哀れな猫達よ
- 2011年 10月 1日
- 交流の広場
- とら猫イーチ動物保護
「反原発」や「核兵器廃止」と言うと、薄笑いを浮かべ「非現実的」又は「理想論」と蔑む輩が居ます。 動物愛護を訴え、日本の犬猫殺処分の現状変革を説くと、「犬公方」又は「猫大名」と嘲る輩が居ます。 経済成長第一と軍事力第一で、弱者への慈しみに欠け、人間を信じ人間のために我が身を捧げる伴侶動物達への愛を欠く輩が居ます。
私も昔、そんな野蛮人に「猫侯爵」等と誹謗されたことがありますが、そんな輩に限って憲法第九条の趣旨を誤解し、米国製憲法等と非難するのです。 憲法を始めとして法令の正確な理解に努め、立法府での審議や歴史的な立法過程を説くだけで、「左翼」のレッテルを貼られるのが普通です。 私自身は「右翼」的だと自任しているに拘わらず。 誠に、変な世の中になったものです。
それと言うのも、愛猫が高齢で不治の病(慢性腎臓疾患)に罹患しまして、私宅が、多頭飼いのために看病が思うに任せないので、今まで保護して来ました猫達を里子に出すべく、四方八方手を尽くしたのですが、引き取り手が無いのです。 動物保護のNPOは施設が満杯で、引き取ろうにも保護する空間が無いのが現状です。 多くの日本人は動物達に冷酷で、転居等の自分達の勝手な理由で、簡単に犬や猫を捨てるのです。 捨てられて公園等で生まれた子猫は、殆どが無残な死を遂げるのですが、残った野良猫は、又、子猫を生み、「死ぬための誕生」の連鎖が起こるのです。 勿論、現状変革の試みをしているNPOもいます。 でも、依然として、毎年、数十万頭の犬・猫が無残にも殺されているのです。 私の保護した猫達も、その内の数頭です。 もしこの猫達を居住地の保健所へ連れて行けば、一日二日の内に二酸化炭素で殺されます。
現状を何とも思わず伴侶動物の殺戮を続けている国では、国民もその程度の扱いしか受けないのでしょう。 この国の政府は、経済・産業の担い手に成れなければ、国民でも切って捨てるのでしょう。 どうせ「人間」では無くて「人材」なのですから。 旧ソ連の方が原発事故時に人間的な対応をしたとは、当時の事実を知る者にとって常識ですが、この国では、黙って被曝しろと言わんばかりの扱いを受けても羊達の沈黙が支配するのでしょうか。
私宅の保護猫は、当面は私宅で過ごし、運よく施設に空きが出来たNPOに引き取って貰うことにしましたが、空きが無いか、高血圧で加療中の私が死ねば、安楽死を依頼することにしました。 野良猫で無残な死を遂げることは防いでやらねばなりません。 哀れな猫達よ、もし来生があるとすれば、この国に生まれてはならないぞ。
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。