沖縄は動きの中にある。激流の中にある。
- 2011年 10月 18日
- 時代をみる
- 9条改憲阻止の会冨久亮輔
「男子三日会わざれば刮目して見るべし」とは古人の言だが…
■ 若き頃何度も繰り返し読んだ三国志演義の中で活躍した呉の若き猛将呂蒙を想い出す。戦には優れていたが知性には劣る武将であった。そのような呂蒙をみて、軍司令官の魯粛は呂蒙を軽く見ていた。そんなある日魯粛が呂蒙と会うと呂蒙は見違えるような知性に溢れていた。魯粛は思わず「呉下の阿蒙にあらず」と言うと呂蒙は「士別れて三日なれば刮目して相待すべし」と応えた。 ぞくぞくするくだりである。
■ 時は変わって平成23年、場所は沖縄。相も変わらず民主党の閣僚と言われる若き日の呂蒙(呂蒙ちゃん)にも劣る蒙昧な連中が権力と銭を求めて右往左往する。そこには金魚の糞も列をなす。これほど沖縄県民が怒っているというのに未だに米軍基地が集中するという構造的差別の状態を改善するどころか普天間基地を辺野古に移しオスプレイの配備受け入れも実行しようとしている。連続的に高江のオスプレイパッドも実行に移そうと虎視眈々である。金魚の糞が10月26日(水)に決起集会を開く。金魚の糞は元名護市長比嘉鉄也氏、元名護市長島袋吉和氏、元名護商工会長荻堂盛秀氏、元県防衛協会北部支部長(沖縄砂利採取事業協同組合理事、県建設業協会前副会長、総合建設東開発会長その他)中泊弘次氏の亡者カルテットである。これは11月に予定されている閣僚の沖縄入りや防衛省が画策しているアセス評価書提出を前に「私達は応援しています、頑張ってください」という、口の回りを涎でベタベタにした垂涎表意行動であることは言うまでもない。呂蒙は空を仰いで嘆息していることだろう。「別れて三年なれど、瞑目して憂うるべし」と。しかし、歴史は歴史。私達は「空を仰いで嘆息」している場合ではない。沖縄は動きの中にある。激流の中にある。国民が原発暴発事件に気を奪われている隙に行われるドジョウ裏切り内閣の姑息な振興金の交付や恫喝をはねのけ再度の琉球処分を阻止しなければならない。
■ 前回のまやかしアセス評価書提出の場合には知事の受け取り拒否にあい、机の上に放り出して退出した防衛省は今回も「提出した」という実績作りのために同様の行為を繰り返すだろう。我々は断固としてこれを阻止するために、防衛省の「お使い」を一人として県庁に入れないような阻止行動を取ろうではないか!!! ウチナンチュもヤマトンチュも一緒に。沖縄市民は来春大型訪米団を米国へ繰り出し、日米政府の頭越しに「日米政府の非人道的占領地政策と米海兵隊の暴力」を訴えるそうだ。絶大なカンパ支援を・・・。(2011年10月16日 連帯・共同ニュース第171号)
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