反帝・反植民地の「狂犬」カダフィ大佐の最期 -独裁者の最期に沸く世界世論だが-
- 2011年 10月 22日
- 時代をみる
- カダフィ大佐リビア伊藤力司
「最後の血の一滴まで戦い抜く」との宣言を貫いたカダフィ大佐の最期に、昭和一桁生まれの筆者には「一代の梟雄(きょうゆう)」という古めかしい言葉が浮かんだ。アラブ革命の英雄ナセル大佐に憧れた27歳のリビア陸軍大尉が、王制を倒す革命に成功して以来42年―良質の石油を蔵する広大な砂漠に僅か640万の人口という恵まれた国の独裁者として、20世紀後半の植民地主義の残渣と闘う反帝・反植民地のリーダーとして暴れまわった梟雄も、反独裁に立ち上がった自国人民の反乱に抗する術はなかった。カダフィ大佐が反乱を援護した英仏米の植民地主義勢力に報復されたという側面を無視できないが……。
リビア王制を護る将校を養成するための陸軍士官学校を出て、任官後も英国に留学して軍事通信を学ばせてもらったカダフィ大尉だが、彼が本心から1952年に青年将校団を率いて王制を打倒して、反帝・反植民地の新生エジプト共和国を率いたナセル大佐に憧れたことは、第2次世界大戦後の第3世界の空気を生々しく反映していた。1967年の第3次中東戦争でイスラエルに敗れたアラブ陣営の指導者ナセル大佐が、敗戦後の混迷の中で1970年心臓発作に倒れて急死したことは、その前年に王制を倒したリビア革命の指導者カダフィ青年にとって大きなショックだった。
以後、彼は反植民地闘争に勝利して1962年に独立した隣国アルジェリアとともに、20世紀後半の反帝・反植民地闘争に突き進む。その最大の焦点は、パレスチナ人民の独立闘争支援であった。1972年のミュンヘン五輪の最中、パレスチナ武装集団「黒い9月」がイスラエル選手団宿舎を襲った事件、1973年にはパレスチナ闘争支援を叫ぶ日本赤軍がドバイで日航機をハイジャックしてリビア東部のベンガジ空港に到着、人質解放後に日航ジャンボ機を爆破した事件等々……。いずれもカダフィのリビアが背後にあった。
しかし1973年の第4次中東戦争は、その後の世界の様相を変えた。カダフィ大佐の働きかけでアラブ石油輸出国機構(OAPEC)諸国は、イスラエル支援に回った西側諸国への石油禁輸を発動した。これが世界を震撼させた石油ショックである。世界で流通する石油価格は一気に4倍値上げされ、日本を含む先進国の経済は危機に見舞われた。しかしこの戦争でエジプトの電撃作戦のために当初は劣勢だったイスラエルは、米国などの支援を受けて最終的にアラブ陣営を破った。この結果、エジプトのサダト大統領は対イスラエル和平に踏み切り、当時のカーター米大統領の斡旋による1978年のキャンプ・デービッド合意が成立、以後アラブ側がパレスチナ支援のためにイスラエルと戦争する可能性はなくなった。
こうした状況でイスラエル軍は1982年6月、シャロン国防相(後の首相)の主導下、アラファト議長率いるパレスチナ解放機構(PLO)をかくまっていたレバノンに侵攻、追い出されたPLOはチュニジアの首都チュニスに“亡命”せざるを得なくなった。これを受けてレバノンに駐留した米海兵隊の宿舎ビルにレバノンのシーア派武装ヒズボラが1983年10月に自爆攻撃、米海兵隊員241人を殺すという大事件が起きた。さしものレーガン米大統領が海兵隊のレバノン撤退を命令したほどの事件だった。この頃から欧米の影響力の強い国際メディアでは、米・イスラエル側の武力攻撃を「作戦」と呼び、軍事的に劣勢なパレスチナ・アラブ側の攻撃を「テロ」と呼ぶようになって行く。
時のレーガン米大統領に「アラブの狂犬(the mad dog of Arab)」と呼ばれたカダフィ大佐は、米国に対する「テロ作戦」を強化する。1986年にはリビア諜報部員が、当時の西ベルリンで駐留米兵が群がるディスコに爆弾を爆発させ、米兵2人とトルコ系ホステスが死亡、米兵など230人が負傷する事件を起こした。これに怒ったレーガン大統領は米軍に、リビア首都トリポリのカダフィ大佐の住むテントを報復爆撃させた。この爆撃でカダフィ大佐は無事だったが、幼い養女が爆殺されたと報じられた。
このトリポリ爆撃に対し、カダフィ大佐は厳しく報復した。1988年スコットランドのロッカビー上空で墜落、乗客乗員270人全員が死亡した米民間航空トランス・ワールド航空(TWA)機爆破事件である。この事件は2003年になって、カダフィ大佐の命を受けたリビア諜報部員メグラヒがTWA機に爆弾を仕掛けた犯行であることが明らかになった。リビアが犯行を認めたのは、カダフィ大佐の反帝・反植民地闘争の「後ろ盾」だったソ連が1991年に崩壊したためのリビアの「回心」の結果だった。
この2003年、ブッシュ米大統領のイラク侵攻を目撃したカダフィ大佐は、それまで秘かに続けていた核兵器開発計画の断念を内外に宣言した。それまで口を極めて米国を非難していたカダフィ大佐の「変心」を歓迎したブッシュ政権は、同年9月国連安保理に働きかけてリビアに対する制裁を解除する決議を採択させた。米軍のイラク侵攻がどのようにカダフィの「変心」を招いたかの詳しいいきさつは、多くの権謀術数を暴露したウィキリークスでも明らかにされていない。しかし、この「変心」がカダフィ滅亡の遠因となったことだけは間違いない。
本年2月24日付「リベラル21」のエントリー「吠える“手負いの獅子”カダフィ大佐」で述べたように、リビアという国は21世紀の世界に生きながらも基本的には「部族社会」の国である。8月20日に反カダフィ部隊がトリポリに攻め込んで以来、トリポリを逃れたカダフィ一統が2カ月も生き延びられたこと自体、近代的統合を遂げた日本人には信じられまい。このことが示すように21世紀の今日でも、イスラム世界の大半は今もなお部族社会に生きている。とりわけ「9・11」以来、世界のメディアを賑わせてきたイラク、アフガニスタン、パレスチナ等々の紛争で、イスラム側を仕切っているのは部族の掟である。
織豊・徳川の武力覇権主義によって平安・鎌倉・室町の部族社会を脱却した日本には、いまだに続くイスラム世界の部族社会は理解の外である。ましてキリスト教を最高の価値観とする欧米社会には、部族社会の概念自体が理解できないだろう。60年余に及ぶパレスチナ紛争、30年余も続くアフガン戦争など、世界の平和を脅かすトラブルの根源に部族の問題があることを、多くの識者は見逃している。
カダフィ大佐が内外の非難と英仏米の軍事干渉に抗して、8カ月もの内戦を戦い続けた背景にはリビア社会のルーツ、親カダフィ部族勢力の力があった。「超近代」の21世紀に今なお現存する部族社会だ。欧米スタンダードのメディアでは忘れがちの「部族社会」に基盤を置くイスラム社会。その一方、インターネットという21世紀の全人類の武器を通じ「アラブの春」を盛り上げ、チュニジア、エジプト、リビアで独裁者を倒したアラブ民衆。大きく変わったリビアが今後どうなるか、興味は尽きない。(10月21日記)
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