2011年教科書採択から見えてきたもの
- 2011年 11月 2日
- 時代をみる
- 教科書採択問題青木茂雄
(1)2011年8月4日、横浜市教育委員会での「採択」
2011年8月4日には650人余りが教育委員会の傍聴を求めて横浜市関内の教育文化ホールに前に集まった。抽選の結果、傍聴券を入手できたのがわずか20人である。委員会は記名投票の結果、社会科歴史・公民教科書については、6人中4人が「新しい歴史教科書をつくる会」(分裂後は「教科書改善の会」)系の育鵬社発行の歴史教科書(『新しい日本の歴史』)及び公民教科書(『新しいみんなの公民』)を「採択」した。横浜市は全市1地区である。
これらの教科書の内容の問題点については他にも多くの指摘があるのでここでは詳述はしないが、一つだけ指摘すると、歴史教科書については、タイトルが「日本の歴史」となっていることからもわかるように、自国中心史観に貫かれていることである(学習指導要領ではあくまでも「歴史的分野」なのであって「日本の歴史」ではない)。「検定」通過のためにたとえ薄められたとはいえ、この教科書が決して譲らなかったのは、「帰化」と「大東亜戦争」という呼称である。
公民教科書の最大の問題点は日本国憲法解釈の偏向であり、ページをながめた印象だけからするならば、天皇主権の憲法のように映るしくみになっている。基本的人権の記述は国家中心であり、権利より義務が強調されている。9条や自衛隊の記述も最大限に政府よりであるのみならず、むしろ国際緊張の中で自衛隊の軍隊としての役割の強化をもとめている。原子力発電については、危険性を具体的に言及せず、原発礼讚になっていることは言うをまたない。
これらの教科書に共通するのが、ある特定の見解の「一方的な教え込み」である。1976年の旭川学力テスト最高裁判決には、「子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤った知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法26条、13条の規定上からも許されることではない」とある。この判決に照らしてみても育鵬社の歴史・公民教科書が中学校教科書としてふさわしくないことは明らかである。
このような教科書を選択した6人中4人の教育委員のメンバーは、今田忠彦(委員長、元市総務局長)、小濱逸郎(著述業)注1、野木秀子(IT企業役員)、中里順子(元中学校長)であり、いずれも中田前市長が選任した。一番の中心となって推進してきたのが今田委員長である。彼は、2005年採択時には、「つくる会」社会科教科書(当時は扶桑社)を強力に推したが、当時の教育委員の構成ではまだ少数派であった。その後おそらく前市長に強力に働きかけた結果、07年に野木委員、08年に小浜委員、09に中里委員が選任された。いずれも「つくる会」系教科書を選ぶためにのみ選ばれたと言っても過言ではない。今田委員長の執念が今回の結果を生んだのである。
委員会議事録や新聞記事などをもとに4人の委員の発言内容を以下に抽出する。
【歴史教科書の審議】
小濱委員「次の点にポイントを絞った。第1は、改正教育基本法の伝統と文化をどう歴史教科書に生かすか。宗教・神話をどう扱うか。第2は、間違った戦争をしてしまった原因を大日本帝国憲法に求めるのは間違っている。大日本帝国憲法は明治近代国家建設の基礎をつくった。むしろ、諸外国から称賛された。その労苦と成果が記述されているか。第3は、東京裁判が史実に沿って公正に記述されているか。」
野木委員「調査結果の観点に重みをつけるのが私の役割だ。文化・伝統に重みを置く。日本を元気にしたい。どんなに元気に書かれているかを重視した。日本人としての誇り、日本文化に誇りを持たなければならない。迫力をもって描かれているものがいい。」
中里委員「我が国の歴史に対する愛情が込められているものを選んだ。社会科には観点の重点項目があっていい。」
小濱委員「東京裁判は勝者の裁判。アメリカは東京大空襲や原爆投下などを行い、甚大な被害を日本に与えた。人道に対する罪に値する。勝てば官軍である。アメリカ中心の東京裁判の史観で戦後を見るのはどうか。」
今田委員長「学習指導要領、教育基本法の第2条の目標を加えて、総合的に判断していきたい。ゆがんだ歴史、自国の歴史に誇りを持てない子どもが多くなっている。」
【公民教科書の審議】
小濱委員「人権と安全保障に着目した。フランス人権宣言の天賦人権説はフランス革命のアジテーションであって、人権は国法の裏付けがなければならない。公共の福祉に反しないよう、人権の濫用の歯止めがきちんと書かれているものがいい。人権はみな平等ではいけない。外国人参政権も無原則に認めることにならないか危惧する。国の主権を危うくする書き方だ。次に、国家主権がきちんと書かれてあるかに注目した。」
言いたい放題である。これらが教育委員としての「教育、学術及び文化」に関する「識見」(「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」4条)に裏付けられた発言とは思われない。明らかになったのは、この4人の個人的な政治的観点(とくに小濱委員)や個人的な思い入れ(とくに野木委員)でこの教科書を選択したという事実である。
個人的見解であったならばこれらも許容される場合もあるであろう。しかし、ここは教科書の「採択」という公的な場である。
教科書など教材の選定は、教師の教育権に属する固有の権限に属するものであり、現行法(地方教育行政の組織及び運営に関する法律23条6号)から見ても教育委員に選定権までを与えたものではないと私は考えるが、百歩譲って仮にそれを認めたとしても、教育委員の個人的な見解(=好み)によって選定すべきではないことは理の当然である。
他の自治体と同様に、横浜市でも教科書取扱審議会を設けており、その答申を受けて教育委員が教科書を選定し、採択することになっている。答申はそれぞれの教科について8つの観点で評価をしている。規則その他に文章として明記されてはいないが、教育委員会制度の本旨からして、答申結果を尊重し、それに基づき選定を行うことは理の当然である注2。
なお、このような審議会答申の内容と形式に関しては、各自治体ともに、つくる会系の政治的圧力を背景に文科省の強力な「指導」を受け、①「学校票」を廃止させ、②教科書の推薦順位を明記させないなど「絞り込み」をさせず、③つくる会教科書を選定しやすいような観点を恣意的に付加する、④現場の教員を審議過程から極力排除する、などを行ってきた。
横浜市においても他の自治体と同様、まず学校票を廃止し、さらに絞り込みの排除を徹底させたうえで、「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し…」(観点3)、「我が国と郷土横浜の伝統や文化を愛し、…」(観点5)など、改定教育基本法を理由に、「つくる会」系教科書を採択しやすいような観点を加えた。現場を踏まえた調査委員の独自見解の余地はほとんどなく、審議会答申はまったく形骸化されている。しかも調査委員の名前も公表されず、市民団体の提訴により、裁判所からの命令でようやく明らかにされた。答申結果は事前には示されず、採択終了後に公開された。
その形骸化された答申でさえも、「つくる会」系の自由社・育鵬社の教科書は低い評価しか得ていない。市民団体の調査によると、歴史教科書では7社中、自由社は6位、育鵬社は5位である。公民教科書では自由社は6位、育鵬社は3位である。
教育委員が口にした「観点に重みをつける」というのは、答申の中から好きなものを恣意的に選ぶということである。言わば観点の「摘み食い」であり、とうてい総合的な判断をしたとは言えない。また、今田委員長は改定教育基本法を錦の御旗のように言っているが、その根拠としている第2条の「教育の目標」には、「学問の自由」の尊重の上で、「幅広い知識と教養を身に付け」以下5項目が示されている。「伝統と文化」の尊重や「我が国と郷土を愛する」はあくまでもその一つの項目に過ぎないのであって、これも「教育の目標」の恣意的な「撮み食い」である。
(2)横浜市教育委員会で何が起こっているのか?
横浜市の人口は約370万人、公立中学校の生徒数は約7万9千人である。横浜市の教科書採択地区は以前は各区ごと18地区に分かれていたが、市教委は2009年6月にそれらを統合して1地区にするとの方針を決定し、10月に神奈川県教委による審議を経て、2010年度から施行された。人口規模ではこれまで政令指定都市で1地区の最大都市であった名古屋市を上回る巨大採択地区が誕生した。
政府は1997年には「将来的には学校単位での教科書選択の可能性も視野に入れて、教科書の採択地区の小規模化を検討する」との閣議決定を行い、以後も「採択地区の適正化」閣議決定を続けてきた。横浜市の方向はこの流れに真っ向から逆うものである。
全市1地区化を背景に、2009年に今田委員長たちは、学習指導要領の改定を理由に中学校社会科教科書の採択を行い、8月4日に教育委員6名中5名の賛成で、私の住んでいる港北区など8つの地区で自由社版の『新しい歴史教科書』を「採択」したのである。だが、これは今回の予行でしかなかった。
自由社版歴史教科書は旧扶桑社版をそっくりそのまま移し替えたものであり、著作権問題で訴訟沙汰を引き起こしている。しかも執筆者は歴史に関してはまったくの素人であり、それもわずか数カ月のやっつけ仕事で書き上げたものだけあって(著者が自らブログで語っている)、写真の裏焼きなどの単純な技術ミスを含めて記述内容の誤りが400カ所以上指摘されている。極め付けは、巻末の年表が東京書籍版をそのままコピーしたという盗作であることが発覚したことである。発行元は、写真の裏焼き等8カ所の訂正パンフを生徒に配布したのみで他はすべて放置したままである。
加えて市教委は、教員側からの是正要求の請願を、「検定に合格した教科書であるから(問題はなく)、採択した教科書をそのまま使用する」として不採択にした。市民からの抗議に対しても、訂正は発行者の責任で行うことであり、内容に関しては検定した文科省が責任をもっている、としてまったく取り合わない。自分たちで選んでおきながら不都合が生じると、発行者と文科省に責任を転嫁する。
2009年に「採択」した教育委員はことごとく倫理感覚ゼロなのであろうか。その同じ教育委員がこんどは舌の根が乾かぬうちに同系統の別の教科書を「採択」したのである。 それだけではない。2010年4月には、日教組傘下の横浜市教職員組合(浜教組)が作成し、組合員に配布した歴史資料の冊子に対して市議会自民党などの保守会派が市議会で「教科書の不使用をあおるもの」として攻撃し、産経新聞もこれを大きくとりあげた。市教委も教科書使用義務の通知を出し、組合に対しては警告文を出した。教育法規をわきまえない市教委に対して県内の法律家団体などが抗議声明を発して、これ以上の悪化を何とか食い止めたが、浜教組は以後自主規制路線を強め、2011年の採択に際しては表立って何の動きも示さなかった。
保守勢力の攻撃はさらに続く。2010年12月には市議会に「公立義務教育諸学校に勤務する教育公務員の行為の制限に関する意見書(案)」が提出された。これは組合活動を含めて教員の基本的人権にまで制限を加えようとするものであり、明らかな憲法違反である。さすがにこれは、民主・公明・共産・無所属議員などの反対で否決された。
このように、つくる会系教科書の「採択」は強力な政治的背景を持った政治運動である。2011年に育鵬社版の教科書を採択した地域は、いずれも保守的勢力の政治的圧力の高かった地域であり、必ず次の段階の攻撃が来ると見て間違いない。
(4)教育基本法改悪後、最悪の教科書攻撃
2011年の教科書採択の全国的な結果は大変に残念であり、今後に起こる事態が大変に憂慮される。育鵬社版の歴史・公民教科書が11都府県19地区に及び、推定発行部数は「歴史」が約4万6千、「公民」が約5万にものぼっている。2009年の扶桑社版のそれぞれ約7千、約4千にくらべると「歴史」は6倍で採択率3.8%、「公民」は12倍で採択率4.2%となっている。公立学校の主な採択地区は、「歴史」「公民」双方で採用が神奈川県横浜市・藤沢市、東京都大田区・都立中高一貫校、栃木県大田原市、愛媛県今治市・四国中央市・愛媛県立中高一貫校、広島県呉市、「歴史」のみが神奈川県立平塚中央校・岩国市・益田市、「公民」のみが尾道市、東大阪市などである。「歴史」「公民」セットになっているところが圧倒的に多い。これも政治的な採択運動の結果であることを如実に示している。
最も深刻なのが神奈川県であり、採択率が43%にも達している。また、地方議会の圧力から今回、すんでのところで逃れ、採択には至らなかった京都市のような例が各地に散見される。一方、自由社版はそのあおりを食って、「歴史」「公民」とも採択率はほぼゼロに近くなった。
このように育鵬社版が急増したのは、内紛により「つくる会」から分裂して07年に結成された「教科書改善の会」が、「日本教育再生機構」を通じて日本最大の右翼団体「日本会議」と連携し、財界・国会議員のみならず、地方議員や草の根右翼をも動員して、採択運動を展開した結果である。その手法は、
① 個々の教育委員を獲得する。首長を通じて「つくる会」系に賛意を示す教育委員を選任させる。
② 地方議会で決議をあげ、まだなびいていない教育委員に圧力をかける。その際、錦の御旗としたのが「改定教育基本法」と「学習指導要領」である。
③ 地方議会や教育委員会に住民をかたって請願・陳情を集中させる。
④ 一方で外部に対しては「静謐な採択環境」と宣伝し、公正な採択を装う。
⑤ さらに今回は、教科書の内容もよりソフトにして、一見してそれとわかるようなものではないように工夫し、「つくる会」系隠しを対して行ったこと。マスコミ向けにはこの偽装工作が功を奏した。
対する市民運動の側は、全体的に立ち遅れており、大田区のように住民にとって「寝耳に水」だったところも多い。横浜市のように11万を越える署名を集め、大きく盛り上がったところもあったが、それでも全体状況を変えるまでには至らなかった。また、前回前々回の採択時と比べても、学校現場からの声は圧倒的に少なかった。声もあげられないほど規制が厳しいのだろうか。もうどうにもならないとあきらめてしまっているのだろうか、それとも教科書などはささいな問題だと考えているのだろうか。私には学校現場の沈黙がむしろ不気味にすら思える。今後の対策であるが、横浜市の場合を念頭に置いて考えると、
第一に、問題のある教科書の学校現場への定着を許さないこと。記述内容の批判や現場の教員との経験交流の機会を設けること。
第二に、市や市教委への陳情・請願を継続し、問題のある教科書の採用を既成事実化させないこと。
第三に、教育委員の改選の機会を逃さないこと。
そして何よりも、学校現場の声を教科書採択に反映することができるように制度の改変を目指した運動を進めなければならない。そのための理論的枠組みをつくりあげることが何よりの急務である。残念ながらこの点が一番立ち遅れていると言わざるをえない。
「つくる会」系教科書の採択運動は、戦前・戦後と続けられている「国家による」「国家のための」教育をつくりあげる動きの一環であり、その点では何ら新しいものではない。 教材の作成権を国家が独占することにより、結果として国民を戦争へと駆り立てていった戦前の歴史を繰り返してはならない。
(注)
1.小濱委員は教育評論家小浜逸郎としては結構その名を知られており、1990年代には既存の枠にとらわれない新しい型の教育論や家族論を展開した。『学校の現象学のために』や『子どもは親が教育しろ』などの著書がある。筆者は見解と立脚点は異なるにしても、これらの著書から教えられたことも多い。また、吉本隆明氏の主宰する雑誌『試行』にも文章を寄せていたという過去もあるが、オウム事件に対する評価に関して氏の怒りを買い、やがて袂を分かつことになる。それが、今回、教育委員として何の変哲もない純然たる保守反動の論客として登場したことはまったく予想もつかないことであった。本気でそう考えているのか、今田委員に肩入れし過ぎたのか、つくる会系との人脈や何らかの政治的背景があるのか、あるいは単なる保身のためか、いずれにしても教育評論家小浜逸郎としての文筆生命はこれで断たれたことは間違いない。
2.市教委側の見解によると、「答申」はあくまでも参考資料でありって、教育委員は尊重はするが、それに拘束されることはない、という。
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