長野の中川村のみなさん等から頂いた物資を福島へ
- 2011年 11月 11日
- 交流の広場
- 9条改憲阻止の会
2011年11月10日 連帯・共同ニュース第185号
9条改憲阻止の会
■ 10月27日から福島の女性たち、30日からは全国の女性たちが経産省前に座り込みました。原発の再稼働を許さない、子どもたちを放射能から守るための座り込み、そしてテント広場と心をひとつにして、その渦中に市民会議の第15次トラック隊は、福島の子どもたちへの食料品の輸送を行いました。30日までの収集活動、31日の福島への輸送は人を繋ぐ感激の連続でした。
■ 食料品の収集 多くの方から支援物資をいただきました。今回は、物資の収集が一大イベントでした。10月22日、群馬渋川でのさつま芋掘り、29日、セカンドハーベストジャパンからパスタ、缶詰、お菓子などを頂き、30日、茅ヶ崎で有機栽培の小松菜を頂き、この時点でワゴンは満載です。そして中川村の曽我村長が、村民に協力を訴えて(下記に要旨)「福島保育園支援野菜等提供プロジェクト」を立ち上げ、村を挙げて大量の果物、野菜、米を集めて頂きました。『10月4日曽我逸郎 「福島県地域保育所協議会」加盟の保育園に放射能汚染されていない野菜等を届けるので支援して欲しい旨、「東日本大震災緊急支援市民会議」より要望がありました。その後、福島県地域保育所協議会県北支部長 丹治洋子さんからも、協力依頼書を受けました。村として職員を仕事として動かしたり村費を使うことはできませんが、福島の園児たちに安心できる食材を提供したく、有志の方々のご協力をお願い申し上げる次第です。10月30日(日)、「市民会議」のトラックが村にやってきますので、野菜、果物、米、ジュースなど、冷蔵の必要なく日持ちのする食材を、コンテナひとつ分半分を一口の目安として、ご提供下さい。何種類か混ぜていただいても構いません。複数口のご協力も勿論歓迎します。10月30日(日)朝9時から11時位の間に、搬入頂ければ助かります。無理な方は、ご自宅まで集荷にまいります。問い合わせなどありましたら、村ホームページ「村長への手紙」のフォームをご利用下さい。
■ 30日早朝、我トラック・ロシナンテ号とワゴンに分乗して、江田、長船、長船の友人、小山、山梨から合流した久松さん、内本の6人が東京から中央高速で5時間、中川村に向かいました。集積場所の望岳荘に到着した昼には、すでに曽我村長、福島振興課長、農家、保育園の方など30人が用意万端待っておられました。福島課長の指揮でダンボール箱の品目とキロ数を確認し、ロシナンテ号にこれでもかと積み込みました。とにかく大変な量です。特産品のりんご600kg、りんごジュース200本、大根270kg、かぼちゃ470kg‥そしてお米740kg。総重量3,4トンです。農家の皆さんが丹精込めて作られ、福島の子どもたちにとの想いのこもった重さです。心から感謝です。半分しか運べないので、一週間後に再度来ることにしました。積み込み終了後、曽我村長と会食をしてお話を伺いました。村営住宅を避難先として確保してきたこと、今回が初めての支援で思った以上に集まったこと、TPP反対の村内デモには全村上げて取り組み、480人(人口5000人の村の1割!)の参加があったこと等をお聞きしました。被災地の現況と今後の支援、疎開、移住支援の可能性等も意見交換しました。福島への支援を山梨で続けている久松さんは「首長が違うと行政の対応が違ってくる」と感想を言われてます。 中川村は、とても美しく素晴らしい所でした。曽我村長や村民の方々が村を本当に愛している様子が伺えました。市役所周辺には、原発反対、TPP反対ののぼり旗が翻っているそうです。八ヶ岳のおかげで放射線量も低く、民間の検査所での農作物を測定したところ、定量下限値10Bq/kgで放射性ヨウ素、セシウム共に不検出です。
■ ロシナンテ号福島へ 満載の荷に嬉しい悲鳴(?)をあげています。翌10月31日、いよいよ福島に出立です。メンバーは長船、正清、東電アクションの青年、内本の4人です。荷を満載した我ロシナンテ号とワゴンは、朝霧の中一路秋の福島に向かいます。阻止の会の面々と同じく老練のロシナンテ号もこれほどの荷を運んだことはなく、坂道になると桃色吐息ならぬ青色吐息。もがきながら苦しみながら、馬から亀に変身しても着実に歩を進め、完璧に任務を貫徹したのでした。ロシナンテ号、よくやった、貴方はえらい。一言言わせてもらえるなら、大食らいでガソリン代がかさむので、小食になって欲しい。南福島保育園に1時過ぎに到着です。県北地域保育園協議会代表の丹治園長が、各園に1時までに来るように呼びかけ、10の園から集まっていました。皆さん、2トンの量の多さと、品物の種類の豊富さ、貴重な葉物野菜があること等に、感嘆の喜びの声を上げながら仕分けをして、積み込み、各園に持ち帰りました。残りを園内に入れ、搬入は終了です。曽我村長に了解を得て、一部のリンゴと大根などは長船が南相馬市のボランティセンターに運びました。 中川村で頂いたりんごは量が多く、新鮮なうちにと、南福島保育園では子どもたちに家にも持って帰ってもらったそうです。その様子です。「りんごごちそうさまでした。家に帰ってきて私が着替えをしていると保育園バックをズルズルと私の所に持ってきて『りんご りんご』と言い、バックからりんごを出してきました。むいてあげると、ペロッと一コ食べてしまいました。」
■ 福島市の放射能は依然高いです。持参した線量計で測定しました。福島駅のそばの雨に濡れた道路の地面で5μシーベルトが検出されます。子ども福島ネットをはじめ福島では、避難の権利、国と東電の賠償を求め頑張っておられます。子どもたちの命を守るためには一日も早い避難、疎開が必要です。そして今も福島で生活している18才以下の子どもたち36万人を放射能から守る具体的・恒常的な支援、汚染されていない水と野菜などの食料品の提供が必要です。そのためにNPOの設立をも模索しながらの第15次トラック隊の行動でした。そして今回の行動は、経産省テントひろばから出立し、テントに帰ってくる行動でした。テントが原発をなくし子どもたちを守るひろば、拠点として存在しています。11月5日には、中川村に再度食料品を受け取りに行き、長船が福島に届けました。
中川村の曽我村長・福島振興課長・村民の皆様、また野菜・食料品をご提供頂いた皆様、カンパを寄せて頂いた皆様、本当に有難うございました。丹治園長が一枚の紙に大きく書いてこられた言葉を最後に送ります。「感謝 ただただ 感謝!」 (文責 内本俊昭)
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