TPP参加交渉と日本の政治経済の今後
- 2011年 11月 13日
- 評論・紹介・意見
- 三上治
アメリカではオバマ大統領の再選問題が重要な政治的主題となりつつある。「チエンジ」という流行語まで生み出したオバマ大統領の誕生であったが何が変わったというのだろうか(?)これが偽らざる評価である。同じことは政権交代で誕生した民主党政権に当てはまる。このことをあらためて感じさせたのがTPP参加交渉をめぐるドタバタ劇である。野田首相らの立場は日米同盟深化の経済展開というべきものだろうが、客観的にはオバマの大統領再選に向けた経済戦略に日本の民主党政権や官僚が同調《パフォマンスも含めて》したに過ぎない。野田内閣にも、官僚にもTPP参加までことを進めるだけの政治的力はないと思う。今回の反対の動きは今後有効に働くと思うし、政治的な抑止力として機能するだろう。
「貿易立国として活力ある社会を発展させるには、アジア・太平洋地域の成長力を取り入れなければならない」。報道によればこれは野田首相がTPP交渉参加の意義として強調したことである。まず、貿易立国として活力ある社会という時、現在の日本の経済分析として日本社会が活力を失っている《停滞している》、あるいは将来そうなるという判断をしていることになる。果たしてそうであろうか。これは「バスに乗り遅れるな」「最後の機会だ」という推進派の議論と同じである。日本経済の「失われた10年」の続きといわれる停滞は貿易立国としての活力が失われたせいであるか。その危機は今後一層深まるのか。こういう面々は輸出産業主導型経済で高度成長を達成した日本経済の過去のビジョンに呪縛されている。第二次産業経済を中心にした輸出主導経済(例えば自動車・家電・機械・鉄鋼・化学)は新興国の追い上げの中で相対的地位を低下させつつ、それでも日本の実体経済力としてある(これは第二次産業経済の力の喪失後のアメリカ経済とは違う点である)。だが、これらが中心となって再び高度成長に向かうことはない。これらがまだ力のある間に日本経済は第二次産業経済中心の構造を転換し内需拡大をはかるべきである。輸出の活性化もそこを基盤にして可能となる。野田の貿易立国としてという言葉が何のイメージも喚起しないのは日本経済の現状にアンテナが届いていないためだ。これは野田のTPP交渉参加が唐突に見え、貿易立国論が取ってつけた理由にしか思えないことの根拠である。経産省のデータ―も説得力を欠くのもそのためである。オバマ大統領の経済戦略に同調するだけのためのものであるからだ。それはこの政策でのデメリットの方が具体的である理由でもある。
野田首相はTPP交渉参加の理由としてアジア・太平洋地域の成長力を取りいれなければならないというが、これも抽象的過ぎる。第一に「失われた10年後」の日本経済の停滞を救ってきたのはアジア経済の成長である。特に中国やインド、韓国、ASEAN諸国の経済成長である。そしてこのTPP交渉には韓国や中国、インド、インドネシアやタイというASEANの中枢国は参加してはいない。アジア諸国の成長力を取り入れるとはアジア地域の一部のブロック化を避けるべきである。TPPはアメリカのアジア経済の成長力の取り込みであり、ブロック化であるが、ここにはドル基軸通貨維持のための経済圏の確保という戦略がある。アメリカはアジア地域での軍事戦略(安全保障)を使って経済的支配力を保持するのが基本戦略である。ドル基軸通貨の経済基盤の衰退を補うための経済圏(ブロック化)である。日本は日米同盟という名によってアメリカの戦略に取り込まれないで独自でアジア諸国との連携を図るべきである。韓国や中国、とASEAN諸国との地域的連携を進めるべきである。
日本がアジアでの経済関係をより発展させるために必要なのは通貨の安定である。ドル安《円高》に苦しめられずにアジアでの通貨安定をはかるべきであり、アジア経済圏での基軸通貨ドル離れをめざした方がいいのだ。これは中国と共通の利害を形成する。ドル基軸通貨依存度を減らし円や元の通貨協定で準基軸通貨《決済通貨》として拡大する方がいいのである。東アジア経済圏やアジア通貨の創出というのに行くのは無理であるが、日本はアメリカとの距離をとりつつアジアとの連携を強化すべきである。アメリカは理念としては自由貿易を標榜する。これにアメリカは国家《国益》を超えた普遍的利益のためという理念を付与している。このアメリカの主張には二つの問題がある。一つは現在では全社会生産の自由と競争(市場解放や市場原理)も国家(国益)という制約を持っている。ここにある矛盾や現実を無視した普遍の主張は欺瞞になる。
アメリカのグロバリゼーションが孕む矛盾である。ドルがアメリカの通貨である限り、それが基軸通貨と言ってもアメリカの経済政策が市場原理に基づくものであることはありえない。自由貿易はいい。それは経済理念として否定する必要はない。しかし、アメリカ流の自由貿易論はその理念の中に国益論が混じっているし普遍的なものではない。自由貿易に近づく上で経済の現段階が国益の障壁のあることを認識することが大事だ。アメリカの自由貿易論の矛盾を認識して行くことは重要だ。これともう一つ自由と競争の原理のことがある。
アメリカのグロバリゼーションは市場解放や市場原理に基づくものであったにしてもそれは理念通りのものではない。アメリカの国益が含まれたものであり、TPPの場合にはアジア諸国のブロック化が戦略の根幹にある。日本はアジア地域での経済的連携を構想すべきであり、通貨問題での戦略的構想をもつべきである。これには日米同盟論の軍事的・政治的側面のみならず経済的側面を理解すべきである。その見直しとアジア地域との経済的連携を重視した構想を考えるべきである。
戦後の日米経済の摩擦が激しかったのは1980年代であった。アメリカは日本の市場の閉鎖性批判と市場解放を要求してきた。その時のアメリカの主張は全社会的生産物の自由と競争という市場原理主義の理念をかざしてのものだった。この理念が対外的な自由貿易論で孕む矛盾は指摘した通りであるが、アメリカの国内経済もそうではないのである。産軍複合体制と呼ばれる軍事経済は生産物の自由と競争に適さない。アメリカ経済が第二次産業全盛期はまだしも、その後が軍事経済と金融経済に偏重して行ったときにはこの主張は金融経済にとって都合のいい論理になったに過ぎない。アメリカの金融経済偏重は格差の拡大を助長してきたことを想起すべきである。今回のTPP参加でのアメリカの対日要求の主要な点は牛肉問題や自動車問題もあるが金融や医療問題での市場解放である。具体的には日本郵政の優遇見直しなどである。ここで認識すべきは全社会の生産を自由と競争にという新自由主義的理念の矛盾や問題である。自由と競争に適さない社会的生産やその領域があるということなのである。金融の自由化が金融投機に至りついた現状を反省しないで日本に押し付けるのはおかしいがこれは医療問題についてもそうである。自由と競争の経済活動における合理性を認識しないではないし、社会的にガードされた経済活動が停滞や閉鎖性を生むことは理解している。その改善と見直しをするのは当然であるが、市場原理がそれを導くというのは幻想である。アメリカ経済が2000年の前半に展開した新自由主義の至りついた結果にたいして僕らは見るべきである。ウォール街の占拠行動はそれを映している。アメリカは日本郵政の優遇見直しを要求する根拠はない。自国の金融制度を見直せ。日本の保険制度や医療制度への介入なども同じである。社会的にガードさるべき領域とそこでの矛盾の解決を日本は独自にやればいいのであり、その解決はアジア地域での社会的・経済的活動の新しい道になるかも知れない。社会的・協同的生産の現在の見直しだ。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0684 :111113〕
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