静かにだが多くの人たちの激励を背にしてテントは続く
- 2011年 11月 14日
- 交流の広場
- 9条改憲阻止の会
2011年11月14日 連帯・共同ニュース第187号
<9条改憲阻止の会>
■ 女たちの編んだ毛糸の紐で締め付けられるのを嫌ったのかあるいは人間の鎖に恐れを持つたか、経産省は報復を始めた。テントを囲むように鎖を張り巡らしてきたのである。11月11日に1300人を超す人たちによって経産省が包囲された翌日の12日からである。今度は鎖の周りに植栽を置くらしい。「小さな意地悪」に見えるが経産省の戦略や戦術も透けて見える。国有地関係者以外の立ち入り禁止の表示の後にテント撤去要求→排除を構想してそのための法的条件を整えているのである。僕らは背後の右翼や警察の策動とともに経産省の動きに対峙している。僕らは静かにすらり込みここを広場とするだけだが、この日常的な神経戦も含めた攻防の中に重要な歴史が実現されていることも感じている。日本における自由と民主主義の出現である。
■ 僕はまだ19歳だった。1960年6月15日に小雨に煙る国会構内にいたのは。安保条約の改定とそれを進めるために暴挙を演じていた政府に抗議の意志表示をするために。国会構内占拠は国民の意思表示が現れた空間であり、意志空間であった。これは政府の政策に対するだけでなく、国民の共同的意志が主体として在るものだった。この占拠による意志空間の実現は日本の歴史においてはじめて実現したものである。そこでは官僚的民主主義(国民の意志=肉体を欠如した間接民主主義)に国民がその意志(自由と民主主義)で対抗したのであり、それが意志空間となったのだ。国家(体制と権力)はこれを暴力的に排除すると同時にこの理念や思想を排除した。その方法はこの意志空間形成を単なる不法侵入や器物破損行為として抹殺するものだった。彼らの法治の実際が暴露されることを怖れ、矮小な法的対象とする手段を選んだのだ。意志空間にたいして不法侵入や器物破損で対応した体制や権力の方法を今、経産省はまた準備しているのだ。
■ テントやその広場の存在から原発の是非、自由で民主主義的な意志表示の意味を排除し単なる国有地不法占拠に矮小するのが経産省の目論みである。彼らはこういう名目でテントや広場を排除し隠蔽された形で原発再稼働→原発保持を進める。この日本型官僚権力のありように僕らは対抗し、「原発問題は民主主義の問題である」ということを実現する。国民の目から隠蔽しながら原発を進めてきた経産省との対抗は官僚制的民主主義に対した自由と民主主義を出現させる。この小さな意志空間はその象徴だが、多くの人たちの期待もある。人々はそこに希望を感じている。僕らはテントや広場の歴史的な意味を自覚し歩を進める。 (文責 三上治)
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