童子丸開「515スペイン大衆反乱:15M(キンセ・デ・エメ) 第6話:限界、分裂、そして広がり」
- 2011年 11月 14日
- 時代をみる
- 童子丸開
バルセロナの童子丸開さんから、「シリーズ:515スペイン大衆反乱」の第6話:限界、分裂、そして広がり、をお届けします。
(紹介趣旨は第1話、2話に掲載。)このシリーズは写真やビデオを多く用いています。もし画像リンクで写真が表示されないようなら、ご面倒ですが、下記のリンク先でお読みください。
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-06.html
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/619barcelona-01.jpg
【キャプション:10万人近い人々が街路を埋める6月19日のバルセロナ大市民デモ(エル・ムンド紙)】
【第6話:限界、分裂、そして広がり】 5月15日以来、スペインの各都市で「広場占拠」を続けてきた「インディグナドス(怒れる人々)」だが、「自分たちが今からどうするのか」についての考え方は、泊り込みを続ける人々の中でさえ相当に異なっていた。
彼らの中には、伝統的なアナーキスト系統の反体制グループ、その一部で「オクパ(okupa)」と呼ばれ使われていない家や施設を乗っ取る運動を続ける者たち、ハッカー集団「アノニマス」の支援者たちも混じる。一方で、1976年まで続いたフランコ独裁時代から抵抗運動を続けてきた者たちや各職場で組合活動を行う者たちもいる。また日常は特に何の活動をしていない一般市民の中にも何かの政治的な動きが始まれば必ず駆けつける人は多い。集まった学生や若い労働者・失業者たちの大部分にしても、特に何かの思想や信条を持たなくてもこのような街頭での意思表示には慣れている。スペインでは、他の欧米諸国と同様に、子どものころから政治デモに行くのが当たり前なのだ。
しかし同時に、そのような雑多な寄り合い所帯でいつまでも一つのパターンを持った運動が続けられるはずもない。5月の終わりごろからプエルタ・デル・ソル広場(マドリッド)やカタルーニャ広場(バルセロナ)など各都市の広場では、アカンパダ(泊り込み)参加者たちによる熱心な、そして激しい議論が連日のように続いた。政治的な先鋭化の方向に運動を進ませようとする人々がいる一方で、泊り込みの人々の多くに疲れが見えてきた。
それは単に熱しやすく冷めやすいスペイン人の気質だけではない。参加した人々のほとんどが、職を探しに出かけなければならなかったり、将来の職探しのために勉学を続けなければならなかったり、いまの不安定で乏しい仕事にでもしがみついて生きる以外にどうしようもなかったせいである。(私的な話だが、筆者の知り合いでこの運動に参加する者はすべてこの状態である。)カネが無い。どこからもカネは出ない。それでも食べるものは食べなければならない。何とかぎりぎりでも生き続けながらなおかつ持続可能な運動にしていかねばならないと考える人が多数派であるのは当然だった。
6月にはいると、プエルタ・デル・ソル広場やカタルーニャ広場では、議会と政治家たちに対する直接の抗議行動を行うべきだとする声が大きくなった。そのように主張する者たちの頭の中には、2011年になって北アフリカで起こった「アラブの春」のイメージがあったのかもしれない。彼らの広場を「新たなタハリール」にしようとしたのだろう。彼らはそこに集まる人々のエネルギーが、政治的な「革命」にまで短時間のうちに高まっていくことを期待したのだろう。しかしスペインにはいまだそのような機が熟しておらず、成功する条件も無かった。それが彼らには何も見えていなかったのだ。当然ながら彼らに付いてきたのは少数のグループだった。多くの人がそこから離れた。
そして6月8日の夜、マドリッドでは2000人ほどの人々が広場を離れてスペイン議会に向かった。彼らは議会前で夜を過ごしながら、労働者抜きで行われる政府と財界による労働政策「リフォーム」交渉への反対を叫んだ。彼ら次の日の早朝、警察の排除が始まるより先に自主的に解散し再び広場に戻ったが、この一部グループによる議会への攻撃はこれから後、数日間、波状的に続くことになる。しかし、その行動が次第に過激化、暴力化していくにつれて、マドリッドでは逆にしらけ気分が広がっていった。
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【キャプション:6月9日、スペイン議会の前に座り込む15Mの「インディグナドス」(エル・パイス紙)】
バレンシアでも同様だった。バレンシアでは以前のフランコ政権与党の末裔である国民党の州議員や州知事の汚職が恒常化しているのだが、6月8日の夜から州議会前に泊り込んでいた「インディグナドス」の一部を、国家警察が翌日の早朝に強制排除した。その際に駆けつけた抗議の人々を含めて、大勢のけが人と逮捕者を出した。また多数の政治家個人への侮辱や攻撃が繰り返された。
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【キャプション:国民党員でアリカンテ(バレンシア)市長J.リポイュ氏への攻撃(エル・パイス紙)】
一方バルセロナでも、武装警官による5月26日のカタルーニャ広場襲撃の責任者であるフェリプ・プッチ州内務長官の解任を要求するとともに、公共サービスの大幅カットを推し進める州政府と州議会に対する直接の行動をしようとする動きが始まった。そして6月14日の夜から、およそ2000人の「インディグナドス」が州議会会議場のあるシウタデーリャ公園の出入り口をふさいで、15日の州議会の開催を阻止しようとした。そこで武装警官隊と激しく衝突し、双方に数十名の負傷者を出し多数が逮捕される騒ぎとなった。結局、州政府高官を含む135人の議員たちは、一部は州警察のヘリコプターで会議場まで運ばれ、一部は警察が「解放」した門から中に入るという異常な事態になり、その日の審議は実質的に不可能となった。
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【キャプション:ヘリコプターで運ばれて州議会に入る州政府高官と議員たち(エル・ムンド紙ビデオより)】
午前中の激しい警官隊との衝突の後、「インディグナドス」たちは1kmほど離れたところにある州の庁舎に向かい、その前の広場で再び激しく抗議活動を繰り返した。
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【キャプション:カタルーニャ州政府庁舎前で抗議活動を行う「インディグナドス」(エル・パイス紙)】
また彼らは、警察が「解放」した門から歩いて入ろうとする多数の議員たちに詰め寄り、侮辱的で挑発的な言葉を激しく投げかけて攻撃した。
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【キャプション:与党議員のA.タナ氏に激しく詰め寄る「インディグナドス」(エル・パイス紙)】
この日の「インディグナドス」の一部がとった行動には非常に不審な面がある。あの5月27日に見せた一糸乱れぬ非暴力の厳しい姿勢はもはやどこにも見られなかった。そもそも議会の議事を阻止すること自体の意味が不明である。またこの行動に参加した者の目撃談によると、警官隊と対峙したときに一人がいきなり警官に突っかかり挑発した。そしてそれを合図にしたように武装警官隊が一斉に攻撃を開始し、そこにいる者たちを片っ端から逮捕し始めたのだ。さらに歩いて登院しようとした一部の議員にスプレーでペンキをかけ、その服に「ナチスの鍵十字に似た模様」を描いたという。これは、何かあるたびにゴミの収集容器などを焼いて大騒ぎするアナーキスト系の反体制グループが市内で常に落書きに用いるマークである。またこれら一部の「インディグナドス」はネオリベラル経済と政治腐敗の主役たちばかりではなくそれに反対する議員たちをも汚く攻撃した。
しかし、このような一部の者たちの行動に対して、即刻、マドリッドとバルセロナで抵抗運動の多数派を占める人々は、”Democracia Real, Ya!(今こそ真の民主主義を!)”の名で「15M運動はこのような暴力的行為をいっさい許さない」という非難の声明を出した。特にバルセロナで起きた警官隊との衝突には明らかにこの運動に対する破壊活動、意図的挑発の形跡が見られる。この種の運動ではよくあることだが、「15M」に単なる『ならず者の気まぐれな欲求不満解消』というイメージ付けがなされようとしていたのだ。それが運動の中に忍び込んだ「工作員」の手によるものなのかどうかは分からない。しかしいずれにせよそれに対する多数派の活動家たちの反応は早かった。
いま述べた各地での騒動が起こる前に、1ヶ月続いた「インディグナドス」の運動は完全に分裂していたのだ。マドリッドでは、5月15日から4週目に当たる6月13日の日曜日にプエルタ・デル・ソル広場での占拠を終了するという「決議」が為されていた。そして一部の占拠継続を叫ぶ者を除いて、大部分の人々は広場から引き揚げて日常の生活に戻っていった。
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【キャプション:6月13日、プエルタ・デル・ソル広場から家具類を運び出して引き揚げる(エル・ムンド紙)】
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【キャプション:引き揚げる際に自主的に広場の清掃をする人々(同上)】
状況はバルセロナなど他の都市でも同様だった。バルセロナではカタルーニャ広場からの自主的退去を6月12日までに行うことが多数派の決定だった。一部の人々は広場占拠継続と州議会への攻撃を主張したが、彼らは孤立していた。
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【キャプション:あくまでカタルーニャ広場占拠を続けようとする人々のテント村(エル・ムンド紙)】
そしてそれから1週間後、6月19日に、全国規模での大規模な集会とデモが繰り広げられた。呼びかけは”Democracia Real, Ya!”であり、インターネットと口コミによってスペイン中に広まったもので、既成の団体の組織動員は無かった。しかしスペイン人たちはこういう動きには慣れている。
そこには、もはや5月15日のときの政治的な熱狂や興奮は影を潜めている。しかしそれは、より多くの幅広い階層の人々を巻き込み、人々の日常生活がそのままひとつの「祭り」へと変化した様相を見せる。「まつりごと」から始まった運動は生活を取り戻して「祭り」に変わった。そしていつか何かのチャンスが訪れれば再び「まつりごと」へと戻るだろう。理屈や理論ではない。失業と困窮に追い詰められ破壊されつつある生活が、全ての人々にとって肌身で味わっている現実だからだ。
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【キャプション:6月19日、マドリッドのネプトゥルノ広場に集まった人々(エル・ムンド紙)】
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【キャプション:マドリッドの街頭をサンバのリズムで進む数万人のデモ(YouTubeビデオより)】
さきほど「既成の団体の組織動員は無かった」と書いたが、もちろんデモへの参加者個々人はいろんな種類の団体に属している。ネオリベラル経済に食い荒らされる国々で共通して見られる現象が、医療、教育、交通、水とエネルギー供給などの公共サービスの私物化(スペイン語でprivatización、英語のprivatization、日本語では「民営化」と呼ばれる)である。スペインでは過去、特に1996~2004年の8年間、アスナール国民党ネオコン政権によってネオリベラル経済が急速に浸透し、電力、ガス、水道、通信などは大資本の手によって完全に私物化された。その間に膨らんだバブルがはじけた2007年以来の経済不況で、医療や教育が私物化されようとしている。それはいずれあらゆる交通手段にまで及ぶだろう。もちろんそれには人員整理、つまり人の切捨てが強行されている。そのような職場で強い反対運動が起こるのは当たり前だ。
このデモに参加する人々に共通するのはこういった泥棒資本主義に乗っ取られつつある自分たちの社会に対する危機感だ。組織動員はなくても人々は分かっている。どの都市でもデモ隊のプラカードには次のように書かれている。
『これは不況ではなく詐欺だ!』、『泥棒にくれてやるカネなど持っていない!』
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【キャプション:「公共サービスの私物化に反対」の横断幕を掲げて進むマドリッドのデモ隊(エル・ムンド紙)】
バルセロナでは、主催者(Democracia Real, Ya!)発表で26万人、警察発表で5万人、市当局の発表で7万5千人の人々がデモに参加した。こういった数字の違いはよくある話だが、おそらく実際には市当局の発表が最も近く10万人をやや下回るほどではなかったかと思われる。カタルーニャ広場からライエタナ通を下って海岸通まで向かう5kmほどのデモコースには、20代、30代の若い男女のほかに、杖をつきながら歩く老夫婦、思い思いの手作りプラカードを持つ初老の人々の集団、幼い子どもを肩にかついだ若い父親、友達同士ではしゃぐ小中学生、果てはスペイン内戦時の共和国旗に第3インターのマークを描いた旗を掲げて進む老いた闘士たちにいたるまでの人々が、サンバのリズムにのってゆっくりと前進していく。先頭が終点についても出発点にはまだ大勢の人が残っていた。
このようなデモの参加人数を数えることは実際には不可能である。日本のように警官隊に囲まれたデモではないのだ。人数はコースの道路の面積と平均的な「人口密度」から概算する以外には無いのだが、人々は疲れるとデモから離れてバルで一休みし再び加わっていく。また通行人でたまたま歩いていた人がデモに加わったり、途中から参加したり半ばで帰る人もまた多数いるからである。逆に言えば、こういったデモはきっかけさえあればどれだけでも膨らみうることになる。周囲の都市の空間にどこまでも開かれているのだ。警察は決してこういうデモに手出しはしない。手を出した瞬間にどうなるか彼らもよく知っている。
ただし、平和的なデモに飽き足らない数百人の人々が州議会や証券取引所の前で一騒ぎしたのだが、これは完全に孤立した動きだった。
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【キャプション:バルセロナでのデモ、「暴力反対」と書かれたチョッキを着る人(エル・ムンド紙)】
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【キャプション:アノニマスの面をつける者、老人から子どもや赤ん坊まで参加する(同上)】
スペインは多民族・多言語国家である。また同じ言語を用いていても、たとえば北部と中央部と南部では歴史経過も文化も全く異なる。この国の政治問題には常に民族間の違い、地方間の違いが大きな影を落としている。しかし、人々が直面する現実の苦痛の原因に対しては、そのような違いなど何の問題も起こらない。カタルーニャ民族地域、バスク民族地域、ガリシア民族地域、多数派のカスティーリャ民族でも起源の異なるアンダルシア地方、そしてスペインのあらゆる地域の人々にとって、自分たちの生活を食い荒らしつつあるものの正体に気づき始めている。
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【キャプション:バスク語とスペイン語で書かれた横断幕が進むビルバオの街路
「我々は政治家と銀行家の手の内にある商品ではない」(エル・ムンド紙)】
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【キャプション:ガリシアのルゴ市の広場にて、ガリシア語で書かれた横断幕
「もう奴隷になっているときではない」と読める(エル・ムンド紙)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/619sevilla.jpg
【キャプション:「市場が社会を支配するなら民主主義は無い:ユーロプラス協定反対」を掲げるセビーリャでの大デモ(エル・ムンド紙)】
この6月19日の全国統一行動は、やがて来る10月15日の《世界同時多発都市占拠》の雛形だった。その後、スペイン各地の「インディグナドス」は、バルセロナからもバレンシアからもセビーリャからもビルバオからも、マドリッドまで歩いておよそ1ヶ月の旅を続け、7月24日に4万人近くがプエルタ・デル・ソル広場に集結するのだが、そのことは次回に述べることにしたい。
しかしその際にスペイン人たちを驚かすようなことが起こった。全国の15M活動家たちが集まる7月25日に、マドリッドのレティラ公園で行われた「15M社会問題フォーラム」に招かれたのが、米国の経済学者でノーベル賞受賞者のジョセフ・E..スティグリッツ(コロンビア大学教授)だったのである。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/stiglitz_in_madrid.jpg
【キャプション:マドリッドで「インディグナドス」に話しかけるJ.スティグリッツ教授(エル・パイス紙)】
J.E.スティグリッツについては次のウイキペディアを参照してもらいたい(日本語版はこちら)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_Stiglitz
また次の日刊現代の記事(2007年4月)も参考になるだろう。
世界で最も有名な経済学者が問う「アメリカの横暴」と「ニッポンの覚悟」
「格差社会」解消の処方箋 (月刊現代 2007年4月号)
http://www.globe-walkers.com/ohno/interview/stiglitz.html
これらの資料でもお分かりのとおり、彼はネオリベラル経済を否定し、特にIMFに対して厳しい批判的な態度をとり続けている。同教授はその日の討論会に出席した数百の人々の前で10分間ほどの話をしただけだったが、その様子は次のビデオで見ることができる。 http://www.youtube.com/watch?v=l6utKaNx5KI
この青空教室で行った彼の発言の要旨は次のようなものである。… この経済危機が示したものは規制の無い市場の資本主義がもたらす現実の問題である。過去30年間の経験は、政府が市場の規制に重要な役割を演じるべきだということを我々に教えている。… 米国ではスペインほどにひどくはないが同様に失業や貧困が広がっている。… この15Mの運動が持つエネルギーに感激した。悪いアイデアを良いアイデアに置き換えていくために連帯しなければならない。この運動は経済学と福祉国家を結びつける一つの機会を表すものだ。…
スティグリッツがこの集会のためだけに来たとは思えない。当日のTVニュースによると、その後にスペイン政府の高官たちとも会っていた。ただどのような話だったのかまでは分からない。また、米国での「ウォール街占拠」運動を進める者たちの念頭にあるのもこのスティグリッツを代表とする反グローバリゼーションの理論であることに間違いはあるまい。彼はその当時米国で芽生え始めた動きと欧州での運動をつなげたかったのかもしれない。また逆に、欧州で最もエネルギーの盛り上がっているスペインの様子を米国に伝えたかったのかもしれない。
もちろんだがスティグリッツの話を聞くまでもなく、スペインで15M運動を中心的に行ってきた者たちの意識には、「1%」の者たちが発揮する際限の無い貪欲のために他のすべてが荒らされ枯れていくネオリベラル経済の姿がはっきりと捕らえられている。IMFや世界銀行、そしてユーロ・プラス協定などへの怒りと警戒は最初から明らかだ。ただ、この著名な経済学者がわざわざやって来て賛辞を送ったことは、「Democracia Real, Ya!」にとって、何よりも大きな励ましになっただろう。
次回はスペイン各地から歩いてマドリッドに集結し、そこからパリを経由して、度重なる逮捕をしのぎながらEUとユーロの中心であるブリュッセルまで歩いた「インディグナドス」のこと、そして5月15日から5ヶ月目の10月15日に世界の80ヶ国以上で同時多発的に盛り上がった「都市占拠」運動に至るまでの事実について述べてみたい。
(2011年11月13日 バルセロナにて 童子丸開)
(次回予定:『第7話:《5月15日》から《10月15日》へ』)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1710:111114〕
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