本間宗究「ちきゅうブッタ斬り」(12)
- 2011年 11月 16日
- 評論・紹介・意見
- 本間宗究金融危機
もう一つの3・11事件
先日、あらためて気づかされた出来事があったが、それは、2001年にも「3・11事件」が起きていたということである。具体的には、「アフガニスタンのバーミヤン遺跡で、二つの巨大な仏像が破壊された」という事件のことだが、このことを、よく考えてみると、「2001年」の時点で、すでに、「3・11」と「9・11」が示唆されていた可能性があるようだ。しかも、この二つの事件は、どちらも「人災」だったのだが、この後に起きたことは、「マネーの大膨張」であり、かつ、「権力の暴走」だったのである。
そして、現在では、「世界的な金融混乱により、国家債務に関して、コントロールが不可能な状態」にもなってきているのだが、このことは、「権力の暴走が、限界点に達した」ということを表しているようだ。つまり、「無謀な金融政策に耐え切れなくなった人々が、世界中で暴動を起こしている」という状況のことだが、このような状況下で起きたことが、「2011年の天災」でもあったのである。
具体的には、「3・11の大震災」という「海津波」であり、また、7月から始まり、9月頃に姿を表してきた「タイの大洪水」という「山津波」だったのだが、このような「二種類の津波」に関しては、古来、日本で言われていたことでもあったようだ。そして、これらの関係性を考えてみると、「2001年の人災」以降、「1%の人々が、世界の金融をコントロールしてきた」という状況下で、「99%の人々が、この点に気付き、反乱を起こし始めた」という構図が考えられるようである。
つまり、「2011年の天災」が意味することは、「天からの最終警告」が発せられたということであり、これからの展開としては、やはり、「日米のツインタワー」という「約1000兆円前後の国家債務」に関して、「崩壊」が起きた後に、「世界的な大津波が、二波にわたって押し寄せる」ということでもあるようだ。具体的には、「海津波のような、急激なインフレ」と、その後の、「山津波のような、ゆっくりとしたインフレ」だと考えているのだが、この点については、「1991年のソ連崩壊」が、大きな参考になるようだ。
つまり、「最初に、急激なインフレが押し寄せた後に、デノミや通貨制度の変更が行われた」という状況でありながら、その数年後に、再び、「本格的な混乱期」が訪れたという状況のことだが、今回は、世界的な金融大混乱であり、かつ、「文明の交代」という、より大きな問題も絡んでいるために、今後の展開については、大きな注意が必要になるものと考えている。(11月4日)
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明日は我が身
「ギリシャの金融危機」に関するニュースを見ていると、「現在の日本人は、世界的にも突出した呑気な国民である」ということが理解できるようだ。つまり、「ギリシャの国民」を非難しながら、「日本人のような勤勉性がないから、今回のような悲惨な状態に陥っている」というような意見が聞かれるとともに、「他国が助けてくれようとしているのに、なぜ、国民投票を行おうとしたのか?」という批判も、数多く聞かれるからである。しかも、この時に、「日本の国債が、ギリシャのようになる」というような意見は、ほとんど聞かれず、依然として、「日本国債は、95%が国内で保有されているから、絶対に大丈夫だ」というような意見が主流になっているのである。
しかし、「過去の歴史」を検証しながら、「金融システム」を、よく検討すると、「これほど怖い考え方はない」とも言えるようであり、実際には、「明日は我が身」という言葉のとおりに、「日本も、間もなく、ギリシャと同じようになる」という状況が考えられるようだ。つまり、「借りた借金は、必ず、返済しなければいけない」という原則が、日本にも働き始め、「間もなく、日本でも金利の上昇が起きる」ということである。あるいは、金融混乱の波が、「イタリア」から「アメリカ」へと移行し、次に、「日本にまで、この混乱が押し寄せてくる」ということでもある。
このように、現在の状況を考えると、すでに、「イタリアの国債が、コントロール不能な状態」にまで陥っているようであり、実際には、「ヨーロッパの先進諸国」のみならず、「アメリカの金利」までもが、「きわめて大きな上昇圧力に晒されている」ということが理解できるのである。つまり、「国家の信用がなくなると、借金をするときに、より高い金利を支払わざるを得なくなる」という「当たり前の事実」が、世界的に起き始めているのだが、前述のとおりに、「日本だけは例外だ」という考えが、依然として、日本人の考え方を支配しているのである。
そして、今回の「3・11事件」の後のように、「事件が起きて、初めて、現状を理解する」ということが、「日本国債」においても、繰り返されることになるようだが、その時には、「すでに、時遅し」という状況になっており、再び、「なぜ、前もって、教えてくれなかったのか?」という後悔の言葉が、数多く聞かれるものと考えている。しかも、現在の不思議な点としては、「このような状況から、自分の身を守るためには、貴金属などへの実物投資が不可欠だ」という意見が少なくなっているということだが、この点に関しても、「目先の価格変動に、一喜一憂する弊害」が出てきているようである。(11月4日)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0689:111116〕
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