サウンドデモ裁判原告意見陳述
- 2011年 12月 3日
- 評論・紹介・意見
- 松元保昭
みなさまへ 松元
木下さんから送られてきました。原告“いのうえしんじ”さんの「サウンドデモ裁判意見陳述」です。こういう人間としての主張が認められない、学校、会社、組合、法廷、そして社会は、やはり根本的に狂っていると、私も思います。
======以下転送======
木下です。
一斉送信で失礼いたします。福岡のサウンドデモ裁判原告意見陳述を紹介していただきました。原告の“いのうえしんじ”さんの意見陳述は、民主主義の原点の確認であり、教科書問題をはじめ、あらゆる社会問題を解決する上で、いえ、私達の日常においても、最も大切にされるべきものだと思いました。
育鵬社版教科書、いえ、すべての教科書にはのらない、教えられない、日本で教育を受けたら持ち得ない感覚だと痛感しております。裁判の経過、興味津々です!
以下、転送です。
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実は9月1日に、日本初「サウンドデモ」裁判を本人訴訟で始めました。目に余る警察のデモ規制に対し、行政処分取消と国賠請求で提訴しました。被告・県(知事)と県公安委員会は、無視するかと思ったら、やる気満々で、ちょっと長くなるかもしれません。
「表現の自由」「広場と道路の自由」を打ち上げています。憲法の横田耕一さんにも意見書を書いてもらいますし、ブログでデモの問題を取り上げている小倉利丸さんにも協力をお願いしたいなと考えています。
10月31日に初公判。ちょっと面白い裁判になりそう。原告は30人。半数が若い人たちで、半数がおじさんおばさん。いいバランスでしょ。
その初公判での、原告の、いのうえしんぢくんの、とても素敵な意見陳述です。陳述する内容に合わせて、劣化ウラン被害、チェルノブイリ被害の子どもたち、デモ規制の写真パネルを原告席で掲げましたが、裁判長は、しばらく掲示させた後、目で降ろすように指示しただけ。「止めなさい」と声高に言うことはありませんでした。
「反原発新聞」をお読みの方は、9月号に寄稿しているしんぢくんのちょっとロッキー・ホラー・ショウ的な女装写真をご参考下さい。
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道ならぬ恋におちただけで死刑。パンを盗んだ罰で足が切り落とされる。
そんなおそろしいことが、ほんの少し前にこの僕らが生きている世界にはありました。
原子力発電に関するエネルギー政策問題を口にして、そんなとてつもない迫害がこの日本にあったのかは僕は知りませんが…いまでもバッシングがあることは事実です。脱原発/反原発運動をやっていたら、何度も何度もなげつけられてきた言葉「反対するなら電気を使うな」。あまりにも食傷気味だからなのかやや乱暴になってしまうのですが「代替エネルギーをどうするんだ」なんてことを考えなくてもいいんじゃないかと思うんです。考えないで「原発やめろ」というのは無責任なのでしょうか?
「責任をもって意見を言え」というなら、政府や電力会社からの情報が全面的にオープンにされてからでしょう。意見を表明したらそれが政策に反映される保障があってからでしょう。それがないのに責任だけ問われてしまうのは、文句をいうなという脅迫でしかありません。僕たちが民主主義と呼ばれる世界に立っているとするならば、人間は不完全なものだから、100%正しい権力者などいやしないからこそ、みんなの意見と力を寄せ集めるしかない、という考えから始まっているはずです。何が正しいかわからないからこそ、みんなで議論しあって、もっともよいものを見つけだそうとするもの、それが民主主義と呼ばれるシステムのはずです。危ないものは危ない、いやなものはいやだとそれぞれの立場から声を出すところから始めるしかありません。
その出発点であるデモという行為を警察と言う国家権力から妨害されてしまったこと。
このことに対して、僕たちは裁判を起こすことになったのです。
福岡に住む僕たちは5月8日に脱原発サウンドデモを企画しました。デモといえば、拳を振り上げシュプレヒコールをあげる、というイメージをすぐ連想する方であれば、そういう従来のデモ行進とやや違うスタイルに見えるかもしれません。具体的にサウンドデモとは、トラックなどに音響機材を積み、DJが乗り込んで曲を流したり、バンドメンバーが荷台などに乗り込んで演奏を行いながら、メッセージを伝えるというスタイルです。一般的にサウンドデモと呼ばれ出したのは、2003年のイラク戦争に対する反戦行動からです。この音楽を中心に使うサウンドデモという行為には、これまでの敵対性より享楽性などの部分も大きくあるからなのか、沿道からはいってくる参加者も少なくありません。動員で組織されてきた従来のデモとは違って、予測不能な爆発的なデモの拡がりを警察はとても警戒しているようで、福岡のデモではまだありませんが東京ではデモ隊の前に警察官を立たせて隊列を分断させています。
福岡でも警察官がデモ隊の脇を並列して密着したり、歩道とデモ隊列の間を分断したり、デモ隊を細切れにして梯団の間を数百メートルも開けさせるようなことを警察はしています。
日本でデモが少ない理由のひとつには、このような警察の過剰なまでの規制にあるといえます。例えば海外では逆で、市民が街頭行動をする時には、警察が協力して路上を開放します。ニューヨークのマンハッタンのような交通渋滞の激しい都市部だろうと、ソウルのように交通量が非常に多いアジアの人口密集地域であろうと、デモ隊のために車道を全面的に開放し、大通りいっぱい歩けるようにするのです。だから、海外でのデモは通りかかった人が参加してみようと簡単に加わることが出来ます。そのおかげで参加人数が日本と比べてずっと多いのもその理由のひとつです。
デモの隊列の先頭に警察車両が陣取って、大して他の歩行者もいないのに「デモは他の交通の邪魔になって迷惑をかけています」とか「迷惑にならないように左に寄って歩きなさい」という警告を大音量で繰り返しています。スピーカーで怒鳴らなくても、デモ隊の脇にはびっしり警官が立っているのにも関わらずにです。こんな警告なんてものも、日本の警察の特別なものです。この他の通行人へのデモに対して敵意を植えつけるような警察からの威圧的な警告は、世界中どこを捜してもみつかりません。
そんな風にして日本の警察との攻防があるのは当然ですが…別の方向からも僕たちには妨害がありました。5月のデモにも使用した福岡市中央区の繁華街にある警固公園を使うために僕たちは中央区役所の公園管理課に公園申請を出したのですが、6月11日のサウンドデモにはこれまでにはなかったたくさんの条件を増やしてきて「場合によっては公園許可を取り消す」と通告してきたのです。これは、僕ら脱原発デモ主催者に対する違和感を持つ人たち、つまり原発推進の考えを持つ人たちが区役所におしかけて、僕らの脱原発運動を妨害しようとクレームを投げ付けたことが区役所を動かしたのだと思います。その証拠は今もインターネットの動画サイトyoutubeで区役所へ彼らが抗議している動画で確認することが出来ます。
しかし、区役所が集会やデモを中止させる権限なんてどこにもないのです。公園を管理する行政がそんな権限を超えた行為をやろうとすることなんて、とんでもない弾圧だとはねのける労力が必要になりました。しかも区役所側は「公園内だけは静かにして欲しい。路上では関知しない」と言ったのです。これは「自分の半径数メートル以内が平和であればいい」という電力会社と政府と自治体のなかで責任のなすりあいをしてる構図とまったく一緒です。
僕が原子力発電に反対する一番の理由は、ヒロシマとナガサキに落とされた原子爆弾から原発が生まれてきた歴史と、その原発で作られる生成物が核兵器に使われてしまう危険性でもありません。核燃料サイクルが破たんしているのに進められてしまう矛盾性でもありません。一度使ったら500年間も冷やし続けなければ動かすことも出来ないプルサーマル発電のゴミ問題でもありません。
それは、権力とはこんなものなのか…と悲しくなるほど強引な進め方で、原発の政策が進められてきてしまったからです。それは2006年に「プルサーマル計画は住民投票で決めよう」という議題が佐賀県議会のテーブルにかけられた時にこそ、僕の原発に反対する理由がそこにあったのです。
この県民投票条例制定運動は、地方自治法で定められた佐賀県民有権者の1/50の署名数が必要でしたが、その3倍にのぼる5万3千筆も集まった署名を前にして古川県知事は「なぜ住民投票が必要だ?専門家が判断したのだから、県民に問う必要はない」と発言しました。プルサーマル計画には、従順で無知で無関心な住民たちの方が都合がいい、という意味です。民主主義の壊れていく様子が透けてみえるようです。民主主義のルールを破ってでも、そこまでして進める理由は何なのでしょうか? どういう力が動いて進められているのでしょうか。
僕は知りたいんです。知らない自分が嫌で、知っているフリをするのは、もっと嫌なんです。
原子力発電に必要なウランが日本にやってくるまでに、既に劣化ウランと呼ばれる大量の核のゴミが作り出されます。このゴミは劣化ウラン弾という兵器に変えられて、イラク、アフガン、コソボの人たちを殺してきた事実が重くあります。僕は誰も殺したくはないし、殺されたくもないんです。
理想を語って原発に反対しようが、逆に働くため生きるために推進しようが、どちらの側に立っても「人間は誰かを傷つけることが宿命」というのなら、無自覚で知らないままに物事が進んでいくのではなく、かっと眼を見開いたままでそらさず僕は凝視していたいのです。誰かを日々傷つけることの自覚と覚悟が少しでも増えていけば…それは無闇に傷つけることを減らすことにつながっていくでしょうから。
僕は世界を変えるような大きな力なんて持っていません。だけれど、せめて世界で起こっていることをこの耳で聞いて、それを自分の頭で判断して、この口で言葉にすることを、誰からも妨害されないこと。この権利だけは守っていきたい。そう願って、この場所にたちました。 以上
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0707:111203〕
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