転形期の日本(その十六)~(その二十)
- 2012年 1月 3日
- 評論・紹介・意見
- 三上治
転形期の日本(その十六)
子供ころにはカルタ遊びをしたものだ。カルタ遊びというともう少しやくざぽいイメージもある。鶴田浩二の『赤と黒のブルース』が思い浮かぶ。カルタ遊びでなくいくつかのキーワードを挙げながら情勢分析の遊びでもやった方がいいのかと思う。アメリカ離れ、いつになることやら。アジアシフトへ、意外なところから進展するかも。内需拡大論、こりゃないものねだりかな。言葉遊びの情勢分析は面白いかもしれないから、来年にはやってみたいのだが、今年の最後の言葉として前回に触れた「成長から成熟へ」ということをもう少し考えてみたい。
3・11以降に転換ということが語られた。僕はこれに共感したし、日本は帰路に入ったという言葉で語りもした。ただ、これは「3・11」によって突然やってきたのではなく、それ以前に意識されていたことである。例えば、民主党への政権交代時に現れた三つの領域の見直し論「外政―対米関係」「権力関係―官僚主導政治からの脱却」「内政論―生活が第一」は大きな枠組みとしてはいいものだと思った。民主党政権はそれに手をつけることなく、怖気づいて後退をしているだけだが、これはあらためて検討し直していいと思っている。だから、転換というのは意識がより鮮明になったということであり、言葉に近づいたという意味である。例えば原発震災は科学技術が人間の進歩に寄与するという現代的な信仰(科学信仰)を揺さぶり、科学技術の産業化(社会化)は人間的自然の生成史の必然であるという考えに疑念を生じさせた。これは、原子力エネルギー幻想を打ち砕いたのであるが、これらは高度成長経済(第二次産業経済の発展による経済社会の高度化)への疑念に結び付きそこからの脱却を意識させるのである。なぜなら、原子力エネルギーは第二次産業経済の重要な構成要因だったからである。原子力エネルギーからの脱却と再生エネルギーへの転換には第二次産業経済構造が中心だった時代の経済構造の転換が結び付かざるを得ない。かつて経済的先進地域と呼ばれたところでは成長段階から成熟段階に入りそこでの課題は第二次産業経済の相対化である。ここから次の段階(成熟社会)の課題に入るのである。この転換には人間と自然との関係の見直しが不可避に伴う。人間は自然の一部だが、動物と違って自然を人間化して自然(対象・世界)との交流関係を持つ。このことは自然との間に膨大な領域《人間的自然の生成史=社会》を形成する。これは人間と自然の間に媒介を持つことだが、媒介を介してであれ人間と自然には交流関係(代謝)関係がある。
ーーーーーーーーーー
転形期の日本(その十七)
人間は自然の一部でありながら、自然との独特の関係を持つ。自然を疎外した人間的自然を生成し、それを介在させた関係を持つのである。人間は自然の一部であると言ってもそれは動物と同じではない。人間的自然として生成されたものが媒介されるからだ。この人間的自然とは精神的内在史と物質史がある。
人間が自然を加工《人工化》して変容させるのが物的過程である。この物的過程は社会の自然的基礎をなすが、それは人間との自然との交流関係の中にあり、循環関係の中にある。自然と媒介するものの時間的・空間的拡大は人間と自然の距離を拡大する。だから、人間と自然の関係は遠くなって行くように現象するが交流関係はあるのだ。ただ、人間の自然の加工はこの交流関係を破壊するものがある。原子力エネルギーはその象徴的な存在である。
原発震災はそれを僕らに示したのであるが、それは人間的自然の生成史、その推進力としての科学技術に対する反省をしいるものであった。原発からの撤退(産業化からの撤退)を科学技術の退歩=社会の退歩という向きもあるが、科学技術の反省、それを基礎とした物質文明への反省であり、退歩と関係はない。原子力エネルギーの利用が科学技術信仰や幻想の代物であり、人間と自然の交流と敵対する以上は人間に取って存在(倫理)に反するものである。これは第二次産業経済による高度成長社会への反省と連なるのである。成長から成熟へと言う時に根底として必要とするものである。そしてこれは近代ヨーロッパの思想制度、とりわけ経済社会制度への反省と歴史的文脈において対応しているのである。人間の存在の矛盾としては人間的自然が発生し、その生成史が歴史と社会を生成してきた。人間と自然との共生ということが語られるとすれば人間的自然が人間と自然の交流関係(代謝関係)を保持し、その再生の中にあるということである。人間的自然が超越的な神の国を究極のイメージにしていた時代から経済社会での物質的世界の実現に転位した時代まで根底にあったのは人間的自我=自然の超克という思想である。人間は自然のままに生きられない。自己を自然から疎外(外化)しその媒介を持って自然との交流関係に入る以外にはない。だから、この人間的自然を人間的自我とする思想も存在した。人間が対象《自然》に対象的になり、自然の持つ制約《矛盾》を超えて行こうとするのは必然であるが、それは自然の超克ではなく自然の組み変えであり、再生であるのだ。人間的精神は自然の超克ではなく共生としてあることも可能である。人間と自然との関係を見直すことが、転換という意識の根底にはある。
ーーーーーーーーーー
転形期の日本(その十八)
まだ学生のころ「近代の超克」という言葉に魅かれた。「我々は何処へ行くのか」という混沌とした意識の中で考える端緒を与えられるように思えた。今では「現在の超克」という言葉に言い換えた方がいいのかもしれないが、この思想的な問いかけは自己の内で存続している。近代西欧思想の超克が「近代の超克」の思想的モチーフであるが、それは今も生きている。これは自己と世界の存在を認識方法が近代西欧思想を基盤にしてきたからだ。3・11がもたらした転換という意識はこれを内に含んでいる。これは人間が自然から自己を疎外して生み出した人間的自然(歴史と社会)が何処へ行くのか、という問いである。転換という意識は現在に矛盾を感じているからであるが、今はこのまま存続しえないという意識につながっているし、それを変革しようという意志も含まれている。
「近代の超克」、あるいは「現在の超克」は現在の転換でもあるが、自己と世界の再生産《存続》自然の超克ではなく、自然との共生のうちに発見するという思想を内包している。そして、縄文時代から現在にいたるまでこの日本列島の中で生まれた思想の見直すということを含んでもいる。人間の再生《存在の再生産》には対象《自然》への働きかけである対象的活動を根底にしている。感性的活動そのものである。人間に生命があることは自然への働きかけである感性的活動が続いていることだからである。そして人間はこの感性的活動をも対象的活動とする。人間のこの対象的活動は人間的自然であり、自由の根源である。ヘーゲルの自己意識の自由もマルクスの物質的自由もこれに与えた理念(思想)である。そしてこの理念は近代思想の根底にあった。この思想のさらなる根底には人間的自然(人間の自我)は自然を超克するということがある。マルクスの思想には人間を自然に解消してしまう自然思想があるが、自然の超克は自然と人間の交流という循環(代謝関係)を破壊していくのではという疑念がある。自然との共生とは人間は自然の一部であってこの交流関係の中にあるという思想である。人間的自然である<歴史と社会>はこの自然との交流関係のうちにあり、そこに存在づけられる。現在の超克というのは<歴史と社会>をその理念やイメージに向かって転換させようということである。これを根底にして歴史と社会を変えることは、成長から成熟へということと重なっていくのである。「3・11」が僕らにもたらした転換の意識をより自覚的なものにすることとは<歴史と社会>を問い直すことであるがその結果がこれである。
ーーーーーーーーーー
転形期の日本(その十九)
「近代の超克」という思想は太平洋戦争の最中に生まれたものであり、西欧近代思想への対立意識の強い時代に生まれたものである。従ってナショナリズムの色彩の色濃いものである。現在の超克といってもその発生期のことは尾を引いてもいるわけでナショナリズムとの関係を語っておかなければならない。今、アメリカとの関係の見直しの意識がナショナリズムを呼び起こすこと、また自然ということが強調されるとき伝統的な日本思想が思い起こされることもあるからこのことは必要なことである。
近代西欧思想が世界思想としてあることへの疑念から「近代の超克」という思想は生まれた。近代西欧思想が相対化されることは進んでいるが、それが世界思想として流布されている事態もあるわけだから、現在の超克というのもその関係を持っている。近代西欧思想が政治支配をともなって出てくる以上、それに対抗する部分がナショナリズムをもって現れる必然はある。現在の世界の共同性が国家を最高のものとしていてあり、社会の共同利害が国家や民族として現れるほかないということでもある。しかし、近代西欧思想は制度の枠組みとして国家を最高の共同性としているわけでから、国家や民族を超えなければ超克したことにはならない。その意味でナショナリズムは過渡的なものであり、ナシュナルにしてインターナショナルなものでなければならないということである。このインターナショナリズムの根拠は労働者の世界性にあり、それはまた経済過程の世界性に根拠をもっということだった。これは社会の普遍性が賃労働と資本の関係にあるということであり、社会の近代制度に根拠づけられる。人間と自然との対象的関係からみれば狭い概念であり、相対化されてしかるべき段階にある。<歴史と社会>を賃労働と資本の関係に還元し、そこから<民族と国家>を超えるという思想は相対化されるほかならない。これはロシア社会主義という幻想とともに潰えた。近代西欧思想を世界思想として、しかも国家を最高の共同性として主張してくる部分に対抗する部分が国家や民族をもって現れることは過渡的には存在する。それが現在の世界の対抗関係である。しかし、僕らが「現在の超克」と言う時に時に<民族や国家>は、そしてナショナリズムを超える対象である。国家やナショナリズムが前面化する風潮のある時代でもそれが超えられる対象であることは明瞭であってそれに組みすることはない。アジアとか、日本列島の住民の文化と言っても人間の社会的存在の普遍性というところで見直しているわけでナショナリストの視点ではない。
ーーーーーーーーーー
転形期の日本(その二十)
視界が遮られている状態の中にある日本と世界の動向を転形期の日本という視点から論及してみた。現在の政治や社会の混迷感はその将来がみえないことに迫りたかった。人間の対象《自然》との対象的活動が人間的自然として<歴史と社会>を生みだし、その現在が転換を要求されている。それが歴史の現段階であるという認識が僕にはある。そこでの転換を根底にイメージして、当面の日米関係の見直しや、権力形態の見直し、内政の見直しと言う政治的課題や大震災から復興、原発の廃絶という課題を考えてみたかった。通貨問題や成長型社会の転換、非戦を軸に国家戦略(安全保障の戦略)などはもう少し長い射程を持った課題と言える。逆にいえばさしたっての政治的・社会的課題を根底的なところから位置づけてみたかった。どうも成功したという気はないが、断片でどこか自分の感覚に響くものを見出してもらえばうれしい。
僕らは社会的に日常の関係の中で、対象との具体的な関係の中で生きている。対象(社会)との現実的あるいは感性的な関係である。これは経験的な世界であるが僕らの実存の基盤である。これが僕らの現実の現存性であるが、僕らの存在にはもう一つ歴史としての存在がある。僕らは現存性と歴史性の二重性で自己を形成しているが、この二重の関係は自己の中で照応させるしかない。だだ、この二重性を照応させることは難しい。歴史の流れと言う歴史性と日常が乖離して行くように現象し、照応と言っても簡単ではないのだ。歴史や社会の流れを情報として受け取り、それを想像力など媒介に理解しても、自己の経験的な日常意識とは相渉らせることが困難なのだ。歴史や社会の動き《流れ》は自己の日常経験とは疎遠な動きになっているように感じる度合いは深くなっている。自己の中で経験的な世界と歴史や社会の動きを照応(架橋)させる努力をするしかない。3・11以降に強まった転換という意識(表出感覚)に像を与えたいという欲求があるが、なかなかうまくは行かないのはこの照応の困難さと関係してもいるのだろう。日常的な、経験的な、いうなら直接性の世界と想像力による歴史の流れを照応させると言う時に、双方で見るべきものを見ることが必要だし、それには僕に視えなくしているもの(僕が僕に隠しているもの、忘れさせているもの)を破ることが不可欠である。歴史の流れをつかむことには僕らを支配している歴史観を懐疑し、それから自由になることが重要なのもそのためである。昨年から経産省前テント広場を保持する中でそんなことをあらためて考えた。 (完)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0740:120103〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。