テント日誌 1/31「経産省前テント広場―143日目」
- 2012年 2月 2日
- 交流の広場
- 経産省前テント村
今日は国会前の座り込みの最後の日なので朝、まず国会前の方に顔を出した。裸の銀杏の木に残っていた雪はもう消えたとはいえどこか寒々しさは残っている。何人かのメンバーが参院議員会館でのポスティグ作業(各議員へのビラ入れ)を行っている。この後に衆院第一議員会館、衆院第二議員会館へと続く。今回の国会前行動は経産省前の緊迫状態が続いたから影が薄くなったが、子供たちを放射能汚染から守るための「子供・妊婦法案(仮称)」の今国会での成立や事故調査委の機能発揮による再稼働の動きへの歯止めなどを具体的な訴えとしている。国会はこれからであるから、今後も時期を見て国会前行動を展開する積りである。経産省から国会に出掛けてくる行動を考えている。
経産省前のテント態勢の維持が手薄になるのでは危惧されたこともあるが、緊迫の中で無事貫撤された。国会と霞ヶ関、日本の政治権力の中枢をなすこの二つの関係を理解するのは難しいことかもしれない。人々の目や意識には国会が政治権力の中心的場と映っているのかもしれないからだ。両者の関係を見直す動きが最近は続いてきた。民主党の官僚主導政治の見直しの提起があったからだ。でも、これもまた曖昧化してきている。こういう事情にあるとはいえ、原子力行政を見ると原子力ムラの動きなどやはり日本の政治決定には官僚の問題は外せないと思う。経産省前にテントが存在することの重要性は変わらないのである。国会では政局(政争)によって動きが取れない中で、官僚側は着々と原発推進を進めている。特に原発再稼働の戦略に於いてはである。僕らは霞ヶ関(官僚側)と国会(政府や政党)の関係を睨みながら脱原発の主張を展開する必要があると思う。官僚主導の原発再稼働→原発保存の動きを注視しながらである。見えないところでの官僚の動きを監視しながら。
テントに帰ると経産省から弁明書なるものを手渡すという。何のことかと思ったら1月24日(火)に出された撤去命令の副本にあたるもので追加分というところである。1月24日の撤去命令書は6項目からなっていたがそのうちの5項目は防火問題だった。最後の1項目が以前に出した要望書の却下理由であった。今回の弁明書はその6項目を補足するものであった。今回の命令書が防火管理の問題に偏り過ぎたのを是正する意味があったのだろうか(?)これは2点からなるもので1点は「9条改憲阻止の会」が特定の政治団体であり、その主催する活動は「行政の中立」なる観点から認められないというものだった。2点は歩行者の便宜などの公共性を損ねているというものだった。つまり、テントの主張が特定の政治的主張であり、場所の占拠が公共性を損ねているということである。
「9条改憲阻止の会」が経産省との交渉の窓口をなしてきたことは事実であるが、テントはテント広場運営委員会が実質的に運営しているし、これが国民的な意志の表現の場になっていることから見れば「行政の中立論」は有効な論理でないのは明瞭である。経産省側が右翼団体を背後でそそのかしていると噂されてきたことが本当のことかも知れないと推測されもする。そう受け取れるのである。経産省側の「行政の中立」を裏図けるのが右翼の行動や要求の他にないからである。もっともその右翼も脱原発や反原発の主張は批判していないのだから、行政の中立論は根拠が薄弱である。場師の占拠が公共性を損ねているというが、通行上の不便をもたらしたにしても市民や国民は原発論議の公共性の方が重要であることを認めていると思う。ご都合主義的な公共論は権力のお得意の論法だがそんなことは誰も認めない。彼らの言う公共性が何を指しているのか明瞭ではないし、テントの実際において通じない論理である。
寒さの増してきた夕暮れのテントの中では大阪から駆けつけたという女性が話していた。暮れの関西電力前の座り込みに参加したそうだが、24日の撤去命令はとても心配していたという。27日は用事があって動けなかったがテントがまだあって嬉しかったと。ここ一両日は初めてテントに来た人、激励に駆け付けたという人が多い。やはり、こっちも元気づけられる。僕らの予想超えてテントは浸透し支えている力も広がっているのを感じる。24日からの1週間は緊迫の日々であったが貴重な日々でもあったのだと思う。(M/O)
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。