旧ユーゴスラビィア戦争をめぐる、「ハーグ戦犯1号の日記」(6)
- 2012年 2月 2日
- スタディルーム
- 岩田昌征
13.二つの塹壕
バニャルカの公安部長ストヤン・ジゥプリャニンは将来のセルビア人共和国領内のすべての警察署を完全に統制しようとはかった。警察勤務員全員に民族を問わずセルビア人権力への忠誠署名と新しいセルビア人共和国の記章着付が要請された。それとも解職と武器引き渡し。
プリェドル警察署長シモ・ドルリャチャは明言した、「命令電報を受けとった。コザラツの全警察勤務員にそれを実行する。断固として。」
ムスリム人とセルビア人の間でこの件に関する長い苦しい交渉が行われた。コザラツのムスリム人指導者の一人ベチル・メドゥニャンは交渉の結果を報告して、言った、「私達は二つの塹壕にこもっている。人々は最後の1ディナールまで武器に使った。それを引き渡したくない。武器引き渡しに署名し、セルビア人の規則を受け容れる者は袋だたきに合うだろう。セルビア人達はまだ我々を攻撃する用意がない。」
同じ頃、ムスリム人とクロアチア人から成るBiH残余幹部会(セルビア人代表が抜け出てしまったのでこう呼ぶ:岩田)は連邦軍のBiHからの撤退決議を採択した。BiH内務相アリア・デリムスタフィチはBiHの全警察署長達に秘密電報を打った。①連邦軍の全装備の撤収阻止、②BiH領土防衛隊への供給に必要な連邦軍の装備貯蔵所の封鎖、③BiH内務省のガードのつかない連邦軍の移動阻止、④BiH全域における軍事作戦の急速な計画と始動。
14.連邦軍への攻撃
BiH残余幹部会は秘密裡に対連邦軍宣戦。コザラツのSDA幹部とそのパラミリタリー部隊は内相アリア・デリムスタフィチの電報を待つまでもなかった。
ムスリム人はプリェドル・バニャルカ間を移動している連邦軍部隊へ攻撃し始めた。昼夜をおかずたたかいの叫びがコザラツの通りに響き渡り、群集が通りをかけまわった。その中に私の知人達が多くいて、以前は衝突願望を全く示していなかったのに。プロパガンダの影響は明白だ。残余幹部会の命令でコザラツとハムバリナのSDA幹部は武装軍警部隊を編成し、主要道路上に統制点と封鎖線を設置した。
1992年5月22日ハンバリナの統制点で武力衝突が起こった。ムスリム人軍は警告なしに連邦軍車輌に発砲し、兵士2人を殺害し、4人に負傷させた。そして、死者と負傷者の収容を許さなかった。プリェドルの危機管理本部はかかる犯罪行為の実行者を5月23日12時までにプリェドル公安部に引き渡すように命令した。期限が守られなかったので、プリェドル警察署長シモ・ドルリャチャは「危機管理本部はこの地域における武装解除と兵士殺害者補足のために軍事介入する事を決定した。」と声明を出した。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study437:120202〕
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