“大飯原発3・4号の運転再開を止めよう!2月4日「びわこ集会&デモ」に参加して<上>”など―地震と原発事故情報 その334
- 2012年 2月 15日
- 交流の広場
- たんぽぽ舎地震と原発事故
4つの情報をお知らせします(2月15日)
1月27日、中国電力島根原子力発電所2号機が定期検査で停止。
残るは東電1基、関電1基、北海道電1基の計3基、全原発停止へあと一歩
【東京電力:柏崎刈羽6号 2012年3月26日に 定検入】
【関西電力:高浜3号 2012年2月20日 定検入】
【北海道電力:泊3号 2012年4月末までに 定検入】
★1.大飯原発3・4号の運転再開を止めよう!
2月4日「びわこ集会&デモ」に参加して <上>
(反原発自治体議員・市民連盟事務局 古野恭代)
★2.第3回六ヶ所村ラプソディー東日本市民サミットに参加して
参加者の魂の成長を感じた、前進した集まりでした。
(たんぽぽ舎ボランティア 工藤わかめ)
★3.<テント日誌 2/12(日)>
夜になって賑わうテント 若者の来訪者が増える
―― 経産省前テントひろば 155日目 ――
<テント日誌 2/13(月)>
テントは若い息吹に包まれて
―― 経産省前テントひろば 156日目 ――
★4.若手芸人の反原発コント 痛烈「スイシンジャー」
原子力ムラ 笑い飛ばせ タブー視は加担と同じ
(2012年2月12日 東京新聞こちら特報部より抜粋)
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★1.大飯原発3・4号の運転再開を止めよう!
2月4日「びわこ集会&デモ」に参加して <上>
(反原発自治体議員・市民連盟事務局 古野恭代)
大飯原発3号・4号機は、原発再稼動阻止の防波堤といわれています。2月4日、びわこ畔大津で開かれた大飯原発再稼動阻止の集会に参加してきました。熱意に満ちた500人が集まった集会の賛同団体は172に上っていました。冒頭、アイリーン・スミスさんが、2月20日に高浜が止まれば、若狭原発は0(ゼロ)に、4月に泊が止まれば国内の稼動原子炉は0になる、大飯原発再稼動反対署名は、4万3229筆となった、再稼動0を実現しようと挨拶。
次に立った服部良一衆議院議員は、現政権のやり方を取り上げ、国会事故調査委員会が調査中なのに、4月発足の規制庁職員を横滑り的に決め、運転期間を40年から60年に延長する「改正」まで考えている、と批判。
「美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会」代表の小山英之さんは、ストレス テスト・IAEAの判断を受け、8日の原子力安全委員会で審査が行われると、その後は首相ら4閣僚による政治判断で決着が付けられる。ただ、そのとき「地元」の理解が必要なことは保安院も認め、住民説明会はどこへでも行ってすると言っている。しかし、重要視される地元了解は、福井県知事、大飯町長の意向もあるが、何よりも福井県議会、大飯町議会での了承を念頭に置いていると考えられる。県議会・町議会は2月、3月にかけて開かれるから、このあたりがヤマ場になる。再稼動反対の論拠として、大飯原発は活断層FO-A、FO-Bに近いが、少し離れたところにある熊川断層も、現在では連動する可能性が高いとされている。もしそうなるとM7.9 の地震が起こる。小山氏は、保安院はどこへでも説明にゆくと言っているからこれからは説明会をどんどん開いてそこを反対集会にしてゆくと話されました。
小浜の明通寺住職中島哲演さんは、地元で原発設置反対運動を長く闘ってこられた方ですが、小浜市民の7割が大飯原発10キロ圏内で生活していると聞いて驚きました。小浜では1972年4基の原発建設計画が持ち上がったのですが、2万5000人の有権者のうち1万2000人が反対して食止めました。大飯町で8基建設の案が表に出たときは、町民が原発賛成の町長をリコールし、中止をいう町長を選びました。しかし、町議会が中止に反対する決議したため、大飯町は原発設置へと押し切られました。今、小浜のお母さんたちは、子供から「なぜ反対しなかったの」と後で言われないよう、断固反対してゆく決意を固めているそうです。
その後、南相馬からこられた井上さんをはじめ、リレー・トークで関西各地の大勢の人たちが反原発の思いを語りました。
印象深かったのは、小さい子供連れで登壇するお母さんや、幼子をあやしながらマイクを手にする若い女性がいたことです。子供たちも視野にいれた闘い、それが今の反原発運動だと思いました。おそらく、まだ生まれていない、姿も声も持たない将来の子供たちも、私たちは代弁する義務があるでしょう。
また、この集会で、地域で連帯が広められていること、過去の反原発運動から学ぶ努力がされていることも知りました。たとえば旧丹波地域では全域7市2町と兵庫県が連合して「原発なしで暮らしたい丹波の会」を作り、反原発は東日本への義務であり、世界への責務だとの考えで活動されています。また、舞鶴市は原発に関わっている人が多く、賛成反対で親戚まで二分される状況があるのですが、同様の状況下で反対を貫いた高知の事例に励まされているそうです。地下の核ゴミ研究施設反対運動をしている岐阜の女性グループは、1988年に美浜から風船1000個を飛ばした記録を再確認しているとのことで、美浜から80キロの岐阜市には2時間で飛来したそうです。 (次号につづく)
★2.第3回六ヶ所村ラプソディー東日本市民サミットに参加して
参加者の魂の成長を感じた、前進した集まりでした。
(たんぽぽ舎ボランティア 工藤わかめ)
2月12日(日)、仙台市市民活動サポートセンターで140名が参加して第3回六ヶ所村ラプソディー東日本市民サミットが行われた。午前は原子力情報室上澤千尋さんによる六ヶ所再処理工場の危険性についての講演、午後からは永田文夫さんから再処理工場の現状についての報告、田村剛一さんの「放射能を海に流さないこと」とする法律を求める請願を出して、岩手県33自治体中31自治体が採択したという報告など充実したものだった。
筆者は特に午後からの討論会に注目したい。この集会は単なる学習会報告会ではなく、むしろ参加者参加型を目指していると思うからである。私は第1回目にも参加しているが、今回の東六ラブサミットは印象が大分違ったものだった。第1回目の時に感じたのは「企画の斬新さ」と「とにかく元気がいい」ということだった。
今回は企画自体は以前に比べて地味になった思う。しかし参加者の魂の成長のようなものを強く感じた。討論での発言の一つ一つが実際に活動を展開してきた自分たちの経験を踏まえたものが多かったということにある。第1回目の時にあった楽観主義のようなものは消えて、より現実を見据えた提案が多かった。
暗くなったと言えば、そうだが、私は「前進」と捉えたい。もちろん、3.11以後ということが大きく影響していると思う。厳しい現実を乗り越えてきたこの一年の経験がことばの中にあるように感じられた。メンバーの多くが被災し、また命を失った仲間もいるという厳しい現状の中、再処理ストップに向けて活動し続けている東北の仲間に改めて敬意を表したい。
★3.<テント日誌 2/12(日)>
夜になって賑わうテント 若者の来訪者が増える
―― 経産省前テントひろば 155日目 ――
2月12日(日) 天気 晴れ。
昼間は温かかったのですが、夕方から風が冷たくなりました。まだ春は遠い経産省前。昨日11日土曜日は、東京の場合、代々木公園で「さようなら原発1000万人アクション」のデモがあり、さらに、その後新宿で「怒りのドラムデモ」にも参加した方も多かったようです。それで疲れもあったのか、今日のテントは人数的に少しさみしい一日でした。
フランスとドイツで映画を作っている方がいらっしゃって「地球の危機」をテーマに映画を作るそうですが、冒頭に福島の映像を使う予定だそうです。昨日の「怒りのドラムデモ」にも参加され、すばらしいデモだったとのこと。
夕方からは栗原優さんと鈴木峻さん主催でライブがありました。
栗原さんがボーカル、鈴木さんがサックス。福島第一原発2号炉の温度計が80度を超えたという発表もあり、経産省に対する抗議ライブ。
2号炉の温度計は82度を超え、政府がいう「冷温停止状態」は破れました。東京電力は温度計の不具合の可能性が高いとして煮え切らない状態です。
温度計の不具合だとしても、人が近づいて不具合の確認もできないのが原発というものです。事故が起きたことで、現在、更にどうしようもない状態になっています。そんなプラントを54基も地震列島に置いている、発想自体が不具合です。 (H.H)
日曜の夜もテントはにぎわった。9時を過ぎても人が次々に訪れ、ミュージシャン2組ほか10人がぎゅうぎゅう詰めに座ってつまみ片手にワインやウィスキーを汲み交わす。砂川闘争で妙法寺の僧侶が警官に警棒で打たれても打たれても座り込み続けて勝利したばかりかその情景が反対側の米兵を反戦運動に駆り立てたこと、ベトナム戦争時の国道16号におけるベトナム反戦・戦車阻止闘争が、遠く北ベトナムやベトコンに報道され勇気を与えたことがずっと後に分かったこと、など反戦反基地の闘いが時空を超えて伝わることが若者に伝えられる。
福島県郡山から避難して来た青年Fさんはもろもろの思いを訴えるために徒歩で日本を一周するという。メッセージが書かれたハンカチが全国から集まってきたと告げるMさん。若者たちもいろいろな意思表示の方法を考え実行している。
驚いたのは夜中1時に大学院生(女性)が訪れたこと。勿論急に泊められないと断るが、タクシーで帰るのも無理という。しばし相談し、やむを得ず、寝ずの番係が交代で話し相手になり、経産省テントや脱原発の闘いや反安保の歴史を小声で語る。彼女は5時過ぎに寝むそうだが爽やかな顔をして始発電車で帰途についた。でもあくまで今回は例外対応、夜中の闖入者は歓迎できません。
(K.M)
昨日(2/11)の日誌で書き忘れていたことがあった。それは、長野・松本市の女性が遂に念願かなってメッセージキルトが完成し、それを持ってテントに来訪されたことである。
(1/15の日誌にその思いをこめたたよりが掲載されている。)
1人1人の思いを丹精こめた刺繍に託した、素晴らしいメッセージキルトである。第2テントに掲げられたそれを見て、誰もが感嘆の声を上げる。今後テントに来訪される方は、是非それをご覧になって下さい。 (Y・T)
<テント日誌 2/13(月)>
テントは若い息吹に包まれて
―― 経産省前テントひろば 156日目 ――
2月13日(月) 晴れ後曇り
今日は夜の泊まり責任者ということで夕刻からテントに顔をだした。
昼間はひっそりと穏やかな時間が流れていたそうである。
それでも来訪者名簿には60人以上の名が記されている。
夜には初めて見る若者達がいて、泊まり込みにも参加するそうだ。
翌朝、所沢から始発で駆けつけたという若者がいて、6時からテントの前に立っていたという。
大阪の若い人達も飯舘村からの帰りに立ち寄る。
このところ若い人たちのテントへの来訪が急増しているようだ。
椎名さんが福島から帰還。11・12の全国サミットは大成功だったようである。若いパパママが気負い無くしなやかに、しっかりと司会進行させているのに感動を覚えたそうであった。
そして2日目、相談に訪れた福島現地の人の多さに感激・・・ とのこと。飯舘村の菅野村長も顔を覗かせたとのこと。
”命”をめぐる真剣な新しいうねりが湧き起こってきているようだ。
14日の続きは別の日誌にて。 ( Y・T )
☆「ひろばー全国・世界からのたより」――寄せられたハガキとメール――
経産省前テントひろばHPをご覧ください。
http://tentohiroba.tumblr.com/post/17603568078/2-13
☆テントへの郵便物・宅急便は
〒100-0013
東京都千代田区霞が関1-3-1 経産省前テントひろば
メールは tentohiroba@gmail.com へ お送り下さい。
★4.若手芸人の反原発コント 痛烈「スイシンジャー」
原子力ムラ 笑い飛ばせ タブー視は加担と同じ
(2012年2月12日 東京新聞こちら特報部より抜粋)
(省略します―「ちきゅう座」編集部)
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[編集部より]
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