「アレルギー」でも「ヒステリー」でもなく、 原発再稼動を許さぬ、まっとうな世論構築へ!
- 2012年 2月 16日
- 時代をみる
- 加藤哲郎原子力原発
2012.2.15 野田内閣の支持率低下が止まりません。 右の読売新聞調査が典型的ですが、支持を減らし、不支持が増え続けています。読売ではなお30%の危険水域ぎりぎりですが、朝日放送ANNは27%、フジ/産経では26、4%と3割を切っています。なぜかNHKだけは31%と1ポイント挽回と出てますが。重要なのは、与党民主党と最大野党自民党の支持率を加えても4割に達しない既成政党離れ、政党支持なし層が5割を越えて、政治そのものへの不信を示しています。それもそのはず、「冷温停止状態」なる新語まで作っての福島原発「収束」宣言は、破たんしました。原子炉の内部がどうなっているかは何もわからず、温度さえまともに測れない状態で、住民を戻していいのでしょうか。事故の原因もはっきりしないままで、「ストレステスト」なる安易な評価で、原発再稼動の準備がすすめられています。普天間基地返還/海兵隊再編とセットだったはずの米軍基地名護移転は、沖縄県民の強い反対のみならず、米国のアジア戦略の都合による海兵隊再配置先行で、日米合意そのものが怪しい雲行きに。世界の焦点であるヨーロッパ金融危機や中東危機に、日本はなんらの役割も果たせないまま、円高・貿易赤字が続き、GDPもマイナスに。そんな政治経済の閉塞の間隙をぬって、憲法改正による「維新」を唱える新興勢力の台頭も。リーマン・ショックから3年たった世界が、1929年世界恐慌後3年目の世界とダブってくる憂鬱が、杞憂であればいいのですが。
希望は、「維新の会」とは、別の方向にあります。相変わらず大手マスコミは無視するか小さな扱いでしたが、2月11日、東京代々木公園で、さようなら原発1000万人アクションの集会・デモがあり、1万2000人の市民が参加しました。1か月後の3・11一周年に向けて、福島での「放射能からいのちを守る全国サミット」400名/「反貧困フェスタ in ふくしま」330人ほか、全国で同様の脱原発集会・示威がもたれました。実は3月は昨年同様海外滞在になるので、久しぶりで代々木公園に出かけました。あふれるばかりの人と旗と「原発再稼動を許すな」のプラカード・シュプレヒコールで、元気づけられました。集会での大江健三郎さん、澤地久枝さん、山本太郎さん、落合恵子さん、それに福島現地からかけつけた市民の発言は、ユーチューブの動画で見ることができます。感心したのは、中学3年だという藤波心さんの話、アイドルタレントというので歌だけかと思ったら、実に内容のあるしっかりした発言で、この国の未来に勇気を与えるものでした。団体なし市民のデモに加わって、原宿の繁華街を歩きましたが、街頭から加わる人や、歩道橋から手を振る人も。マスコミでは、再稼動を急ぐ「原子力村」の動きや、性懲りない経産省・東電の無責任な対応ばかりが目立ちますが、インターネットでつながったネットワークの広がりも、こうした集会に出ると、確かな手ごたえを得ることができます。大阪に続いて、東京でも原発住民投票を求める署名が25万人を越え、有効に条例制定を請求できそうです。
3・11には、福島県郡山で、全国から集う県民大集会が予定されています。東京では、2月19日にも、昨年4月10日に全国に先駆けデモが行われたあの高円寺で、「素人の乱」の皆さんの脱原発杉並「有象無象」デモがあります。2月11日には、すでに脱原発の方向を決めたドイツでも、各地で日本に連帯するデモがありました。ドイツ語ですが、ウェブで見ると大変な数です。東京の集会でも、外国メディアの取材が目立ちました。3・11に向けて、久方ぶりに、世界の眼が日本に注がれます。日本政府と国民は、東日本大震災・福島原発事故から何を学んだのかを、改めて問われます。震災直後の「パニックを起こさない日本人」のような賛辞は、もはや期待できません。すでに福島から世界中に放射性物質をまき散らし、海洋まで汚染させたことを、世界の心ある人々は知っています。昨日欧州の専門誌に発表された「福島原発直下で地震の恐れも」という東北大学趙大鵬教授(地震学)の調査結果のようなニュースに、どのように応え、どんな対策をとっているかが問われます。地震は、なお頻繁におこっています。途上国への原発輸出の前に、白日のもとにさらされた地震大国日本で、なお「原子力の平和利用」がありうるかどうかが、そして国民がなお選択するかどうかが、問われているのです。
学術論文データベースの常連宮内広利さんが」、「貨幣・自由・身体性ーー想像の『段差』をめぐって、「戦後大衆意識の成長と変貌ーー現在を映すカメラをさがして」に続いて、大作「言語の初源から限界までーー言語思想はどこへ向かうか」を寄稿してきました。ちょうど江藤淳の「閉ざされた言語空間」の再検討を「占領下の原子力イメージ」で一応終えて、「日本マルクス主義はなぜ『原子力』にあこがれたのか」の関連で吉本隆明『「反核」異論』を読みなおしていたので、この二人の批評を含む宮内さんの新稿はタイムリーです。故高木仁三郎さんの9つの「原子力神話」にならった10の「原爆・原発神話」の検証、3・11一周年を前に、改めて課題を確認しておきましょう。10の「原爆・原発神話」とは、1、原爆はナチス・ドイツへの必要悪、2、原爆投下で早期終戦・犠牲最小化、3、日本は唯一の被爆国、4、原子力時代、第3の火、5、国連・国際管理で平和利用が可能、6、科学者の良心で統御可能、7、社会主義の核は防衛的、8、核抑止、原発は潜在的抑止力、9、日本人の核アレルギー、10、占領期原爆報道の消滅、でした。このうち「占領期原爆報道の消滅」については、昨年10月「占領下の原子力イメージ」報告でほぼ脱神話化できたのですが、この間すすめている「日本人の核アレルギー」「唯一の被爆国」の検討で、これらが「早期終戦・犠牲最小化」神話、すなわち、もし広島・長崎の原爆投下がなかったならば、本当に軍国日本はポツダム宣言を受諾しただろうか、「天皇陛下のため」の無謀な本土決戦でさらに数十万・数百万の犠牲者が出たのではないか、という問いに、深く関わっていることがわかりました。
「日本人の核アレルギー」神話の直接の起源は、1960年代の米原子力空母の寄港問題であったこと、しかしその背景に、50年代半ばのビキニ水爆実験「死の灰」体験、第5福龍丸被爆時の日本人の「病的なまでに核兵器に敏感」な反発を「治療」するという米国軍・国務相の診断があったことを、前回述べました。英語サイトをあたって、そのさらに裏が、見えてきました。それは、1946年当時の言葉で「核ヒステリー nuclear hysteriaとよばれた、アメリカ国民自身の原子戦争への恐怖・不安、ひいては広島・長崎への原爆投下を正統化するトルーマン大統領への疑問でした。核兵器使用・放射能拡散への批判・不安を抑え込むため、そうした声を「病気」「ヒステリー」として抑圧した診断書の起源は、おそらく『リーダイス・ダイジェスト』英語版1946年2月に掲載されたDe Seversky, Alexander P. “Atomic Bomb Hysteria.” (Reader’s Digest Feb. 1946)です。原爆批判を「核ヒステリー」と診断して切り捨て、特にジョン・ハーシー『ヒロシマ』(新訳・法政大学出版局)の影響力をそぐことによって、アメリカにおける「核安全神話」が創造され、普及するようです。ウェブで読める Patrick B. Sharpさんの論文「From Yellow Peril to Japanese Wasteland: John Hersey’s “Hiroshima”」が説得力あります。日本語でなら、R・J・リフトン/G・ミッチェル『アメリカの中のヒロシマ』(岩波書店)で、状況がわかります。フクシマ後の今日でも、英語/日本語のウェブ上には、脱原発運動を「集団ヒステリー」「放射能ヒステリー」などとする言説があふれ、アメリカの核による世界支配、原発再稼動を正統化しようとしています。それに追随する日本の「核ヒステリー」論もあります。正常と異常、健康と病気の境界を「ヒステリー」の一語で抑え込み、逆転させる、権力のレトリックで、マジックです。「唯一の被爆国」の方には、こうした言論抑圧に対する抵抗から生まれた、科学者や広島・長崎被災者の叫びが、含まれていました。私たちは、米国心理学の戦争動員による誤診は無視して、健康的に、まっとうに、反核・脱原発・再稼動反対の声をあげていきましょう! 」
「加藤哲郎のネチズンカレッジ」から許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
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〔eye1829:120216〕
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