三上治の論評「イラク戦争を忘れられた戦争にしてはならない」
- 2012年 2月 24日
- 評論・紹介・意見
- イラク戦争三上治
「幾時代かがありまして 茶色戦争がありました」(中原中也)。朝日新聞の国際面にイラク戦争終結後のアメリカのことが載っていた。イラクに派兵されていた兵士たちは既に本土に帰還したが、彼らは「国民の英雄」として歓迎される様相はないらしい。大義なき戦争の兵士らしく凱旋パレードが行われる雰囲気もないと報じていた。イラク戦争がアメリカにとっても歓迎されざる戦争であったことはこれがオバマの登場の契機になったことでも明らかであるが、問題はこの戦争が意識的に忘れさられようとしていることである。それは忘却という形で隠されようとしていると言ってもいいが、それは茶色のフィルターがかけられるということでもある。
僕にとつて気になるのはこれが現在と言う世界、歴史の流れを不透明なものにしている要因ではないかと思えるところがあるからだ。イラク戦争は2003年の3月に開戦し、5月には「主要な戦闘は終了」と宣言されたが、実際はその後も泥沼化された戦争として続いた。この戦争は開戦当初から大義は存在しなかったが、奇妙なことはこの戦争の本質《本当の理由》が開示されなかったことである。大義なき戦争であれ、この戦争の理由はあったはずでそれがなければこんなに長く続くことはないのだ。この戦争の本質が明らかにされないことは現在が視界不良という不透明な状態に置かれたことと深く関係している。例えば、今の政治はイラク戦争時に確立された小泉―安倍路線に影響されている。その踏襲をしているともいえる。政権は自民党から民主党に交代したが、民主党政権は小泉―安倍路線に傾斜している。日米同盟論の強調もそうであり、そこから放射線的に出てくる外交路線や軍事問題はそうであり、憲法改正まで想定された統治権力の再編問題もその線にあるものと考えられる。今はまだ顕在化していないがやがては浮上してくる。小泉―安倍政権時に起源を持つ日本の政治の現在への影響が確認されたにしてもその内容が見えにくいのは、あの時代の政治の背景にあったイラク戦争が解明されないことと関係している。僕にはそう思えてならないのである。イラク戦争は何であったのか。これを明らかにすることは日本の小泉―安倍の時代の政治を明らかにすることであり、これからの政治を明瞭にして行くことでもあるのだ。僕はイラク戦争をアメリカのイラクや中近東諸国に向けられたものが半分であるとすれば、後の半分は日本やドイツに向けられたものであると直観していた。冷戦後の地域紛争に対するアメリカの位置の再編であり、日本やドイツ等に対する位置の再編だった。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0783 :120224〕
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