「3・11」の一周年も近い。今、想起し続けるべき事とは何か
- 2012年 3月 5日
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2012年2月27日 連帯・共同ニュース第231号
■ 「冬ざれのお糸坂こそわびしけれ かたかたかたと地震(なゐ)やまずける」(穂積生萩)。お糸坂は大田区と田園調布の間にある坂で作者が若いころに住んでいた近くにある。別名、桜坂ともいわれるが地震がやまないと歌ったのはいつ頃のことであろうか。彼女が住んでいたのは1920年代の後半からだから関東大震災の余韻の記憶だろうか。そういえば、「3・11」の一周年が近づくが、この間に大震災は余震として続いてきた。これは「3・11」が過去の震災とは違っている点である。もちろん、余震には様々の事柄(例えば、原発の存在にもつまることで隠されたてきた事等)が次から次と明るみに出てくることも含んでいる。政府の「事故収束宣言」を嘲笑うかのような原発事故進捗状況は端的にそれを物語っている。
■ 「3・11」が僕に与えた衝撃は何よりも震災の巨大さである。そして姿を現わした原発震災だった。誰しもと同じように一刻も早い復旧と復興を願ったが、同時にこれが容易ならざるものであるとも思った。なぜなら、復旧や復興は日本社会の転換を実現することなしに不可能と思えたからだ。復旧や復興は日本社会の転換という構想やビジョンに裏打ちされなければ進まないのである。政府の復興事業が中途半端で遅々として進まないのはそれがないからだ。僕らも「転換」のビジョンや構想の困難さ知っている。だが、大震災はこのビジョンや構想の源泉として人々の社会的な声を生みだした。震災の衝動の大きさが人々をして声を発しせしめた。この声は未だ形にならず未成の言葉であるが社会の転換を欲する基盤となっている。想起し続けるべきことだ。
■ 「3・11」に直面した後の日本の政治が露呈させたものは迷走から脱しえずそれを深める姿である。彼らは口先では「震災からの復興が第一」「日本の再生」ということを唱えながら中途半端な事しかできない。これは大震災が発したシグナルを受けとめられないからだ。彼らの復旧や復興構想は大震災以前の社会への復旧を構想しているだけであり、日本社会の転換の構想を持ちえていないし、むしろそれに目覚め要求する声を抑圧し排除している。日本の政府や官僚、財界やメディア、つまり権力やそれにつながる連中は社会の転換を要求する声を抑圧し排除する。この攻防の最前線は原発問題でありその先端が再稼働問題である。原発震災は人々に隠していたもの、忘れさせていたものを明るみに出した。僕らはこの最前線と尖端の闘いの中で、社会を転換することを進める。これは不可分のことである。 (文責 三上治)
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