テント日誌 3/6日 経産省前テント広場―178日目 暦のうえでは啓蟄であるが
- 2012年 3月 8日
- 交流の広場
- 経産省前テント村住人
このところ週末や週明けはぐずついた天気になることが多い。正確に調べたわけではないがそんな印象である。先週は久しぶりの雪だった。そういえば今日は啓蟄である。「啓蟄や生きとし生けるものに影」(斎藤空華)。冬ごもりしていた虫たちも動き出すとされる日であるがそんな雰囲気はまだない。気候には何かの異変すら感じさせる。大震災や原発震災は生きとし生けるものにどんな影響を与えたのか。
テントの前に座り込んでいる女性は熊本《水俣近辺》から上京され、福島に行く途中であるという。暮れなずむ霞ヶ関の光景を見ながらの話は弾んだ。彼女は九州でも自然に異変を感じていると話していた。例えば昨年は小鳥などの好物の赤い実《アオキの実など》がいつもはなくなるのに今年は残ったという。また、毎年見られるムクドリの群れの姿を見なかったとも。
放射能汚染が人間と自然の代謝関係(循環関係)を破壊することそれが自然の異変となって現象することは程度の問題はあれ予測される。人間の内部被曝と同じように被曝した自然も影響を免れないのである。自然と一体である動植物においては小鳥や小動物にそれはもっとも敏感に現れるのだろう。チエルノブイリでのその異変は報告されているが果たして福島はどうなのであろうか。あるいは日本列島はどうなのであろうか。
春は季節の中でももっとも華やかなものだ。「3・11」からの復興の時を告げる春になるのか、それとも「沈黙の春」になるのか。伝えられる自然の異変については正確なデーターなどの開示が望まれるが僕らは敏感に反応する身体でそれを受けとめて行くしかないのである。生活の場での反応するもの《見聞するもの、知るもの》が根源になる。それを交換し合いながら対応を考える必要があるのだと思う。
テントではFさんが韓国の新聞の取材を受けていた。韓国では「緑の党」も結成され、脱原発の運動も活発化してきていると聞くが、果たして中国ではどうであろうか。原発事故は国境を超えて行くしその影響はアジア地域の全域に渡るわけだからアジア規模の脱原発の運動が必要である。僕らは日本での脱原発を実現するしかないが、アジアのことはいつも念頭においておくべきことだ。
夕方からはロフトプラスワンでのトークに出るために新宿に向かった。ロフトプラスワンの「トークライブ」に出るのは久しぶりであるが、3・11を前にして1年間を振り返る、またどうたち振舞うかのトークである。第一部は写真家の桃井和馬さん記録の映写であったが、大震災をあらためて想起した。第二部のトークは多士済々で面白かったが、若い人たちの話が面白かった。僕の方は経産省前テントのことや再稼働をめぐる動きを話した。テントでこうした企画もあっていいのだろうと思った。脱原発の運動はこれからだし、希望があるというのがみんなの結論だがぜひそれに向かって進んで行きたい。
テントの中ではどうやら厳冬は過ぎたようだ。寝袋にもぐりこんでも寒いということはなくなった。これからも寒い日があるだろうがやがては「三寒四温」ということになるのであろう。思い切った春らしい活動に向かって行きたいものだ。深夜のテントでの不寝番で起きているメンバーでもそのことが話しあわれる。「3・11」を体制や権力が一つの節目として新たな動きを開始することは予測されるが、我々もそれに対応する動きを準備したい。
経産省や原子力ムラは春になって運動が活発化する前に駆け込み的に再稼働の目途をつけたいのだろう。保安院でのストレステストの評価と専門家意見聴取会、原子力安全委員会の審議書検討会が矢継ぎ早になされているのはそのためだ。原子力規制庁の発足前に再稼働の要件を整えたい。原子力安全委員会などはやがてなくなるのだから再稼働の責任の所在もはっきりしなくなる。こういう都合のいい体制の内に逃げ切り的に再稼働を処理して置きたい。福島の第一原発でも責任を取らなかつた彼らの存在は日本の官僚政治の典型であるが本当に怒りを禁じえない。
3月10日・3月11日の福島での集会とでも、3月11日の東京での集会やデモが週末にある。テントから出掛ける人も多くテントが手薄になりがちなので可能な人は来て欲しい。ライブなども予定されているがこの週末には集中した行動を期待したいものだ。
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