青山森人の東チモールだより 第199号(2012年3月7日)
- 2012年 3月 12日
- 評論・紹介・意見
- フランシスコ=シャビエル=ド=アマラル東チモール青山森人
大統領になれなかった男、
「独立宣言者」フランシスコ=シャビエル=ド=アマラル、死去
青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.com
厳しい季節
今年の冬、日本の雪国は記録的な大雪と寒さに襲われ、多大な被害を受けました。青森で暮らす人間は、性格が変わったような大雪に見舞われました。JRの奥羽線や五能線を交通手段で生活する者は電車が動かないので代行バスや代行タクシーに乗せられ、家にいては息をつく間もない除雪作業を強いられるという過酷な冬でした。
一般にこの冬の寒波はラニーニャ現象の影響といわれています。ラニーニャはまた東チモールに大雨をもたらします。3月5日と6日の午後、雨が降り、川は山からの濁流が溢れんばかりになり首都デリ(ディリ、Dili)を横切り、海を濁します。雨が止んでも濁った激流の勢いはなかなか衰えません。この濁流の勢いで山岳部の雨の強弱が推測できます。3月の雨は間違いなく大雨です。山岳地方の道は地すべりや泥でぬかるむかして交通障害を生じていることでしょう。
また、湿気の高い雨季は人間の体力を奪い、蚊を媒介とするマラリアやデング熱の餌食になりやすい危険な季節です。この『東チモールだより第1号』に登場したゼリタちゃんという女の子の弟が一週間前にデング熱で亡くなってしまいました。亡くなった子はまだ10歳くらいで、わたしもよく遊んだ子です。
21世紀の初の独立国である東チモール民主共和国は今年2012年5月20日で独立10周年を迎えます。2008年から劇的に治安が安定し、経済開発と汚職撲滅が次なる目的となり新しい段階に入ったかに見える東チモールですが、幼い子どもがデング熱で亡くなる現実を目の当たりにすると、この国はさほど変わっていないのではないかと疑いたくなります。
フレテリン初代議長、死す
きのう3月6日、午前、わたしはたまたま国立病院近くを歩いていました。交差点に警察が配置され交通規制がしかれていました。フレテリン初代議長であったフランシスコ=シャビエル=ド=アマラルが危篤状態であることから病院に見舞いや報道陣が多数駆けつけるからなのかなと思いました。けさのニュースにはシャビエル=ド=アマラルの死去は報じられなかったからそう思ったのですが、病院の敷地内に入ると花輪が飾られた霊柩車が待機し、警察だけでなく憲兵の車両など多数の車が病院に集まってきました。フレテリン(東チモール独立革命戦線=FRETILIN)初代議長は3月6日午前8時45分ごろ亡くなりました。75歳でした。
1975年12月7日、インドネシア軍が東チモール全面侵略を開始する9日前の11月28日、シャビエル=ド=アマラル議長は東チモール民主共和国の独立宣言をします。1977年、圧倒的な侵略軍をまえに敵との妥協を口にしたとして議長の座を奪われ、シャビエル=ド=アマラルは解放闘争史から姿を消しました。ところがインドネシア軍が撤退し国連統治が始まった1999年から息を吹き返し、1970年代のフレテリンの前身であった政党名前をそっくりいただいた“新党”ASDT(チモール社会民主協会)を結成し出身地方で一定の支持を得て、今日までそれなりの存在感を政界に示しつづけたのです(『東チモール未完の肖像』[青山森人著、社会評論社、2010年]を参照)。
シャビエル=ド=アマラルの健康問題は国連統治時代からとりざたされていました。現在進行中の大統領選挙は3回目挑戦で、これが最後であろうというもっぱらの噂でしたが、選挙運動半ばで亡くなってしまいました。
「11月28日」は「独立宣言の日」として東チモールの祝日となっています(これにたいし「5月20日」は「独立回復の日」)。いろいろあったであろうフレテリンとの確執は脇に置かれ、最近は「独立宣言者」という肩書き・称号がシャビエル=ド=アマラルに定着してきました。国内ニュースでは「独立宣言者」という肩書きがもっぱら使われています。
なお、1975年、フレテリンと内戦を交えたUDT(チモール民主同盟)指導者で最近は韓国駐在の東チモール大使を務めていたジョアン=カラスカランも先月2月に亡くなっています。善くも悪くも一時代を駆け抜けた歴史的な人物が立て続けに死去しました。時の流れを感じます。
シャビエル=ド=アマラルの追悼式典が行われている国会前に集まる人びと。
2012年3月7日 ⒸAoyama Morito
14人から13人、13人から12人の候補者
さて今年、東チモールは独立10周年を迎えると同時に5年に一度の選挙の年です。「独立回復の日」の5月を挟んで二つの選挙が東チモールで実施されます。
大統領選挙運動は2月29日に始まり投票日は3月17日です。そして5月の独立10周年を祝った後で実施されるのが政府を決める国会議員選挙です。東チモールの政治制度では、大統領は国軍の最高指揮権などを握っていますが、政策・立法にかんする権限はありません。
大統領選挙は初め14人の候補者が出揃ったと思われましたが裁判所が最終的に承認したのは13人、アンジェラ=フレイタスという女性の立候補は認められませんでした。『テンポ=セマナル』紙(2012年2月21日、同紙は1月14日から休刊していたが2月7日に復刊を果たす)によれば、要求された項目を満たしていないという理由です。そしていま立候補者の一人が死去してしまい、12人の立候補者による大統領戦となったわけです。
立候補者は以下のとおりです。番号はくじ引きで与えられたものです。
1.マヌエル=ティルマン
2.タウル=マタン=ルアク
3.フランシスコ=グテレス=ル=オロ
4.フランシスコ=シャビエル=ド=アマラル(3月6日に死去)
5.ロジェリオ=ティアゴ=デ=ファティマ=ロバト
6.マリア=セウ=ロペス=ダ=シルバ
7.アンジェリタ=マリア=フランシスカ=ピレス
8.ジョゼ=ラモス=オルタ
9.フランシスコ=ゴメス
10.ジョゼ=ルイス=グテレス
11.アビリオ=ダ=コンセイサン=アブランテス=デ=アラウジョ
12.ルーカス=ダ=コスタ
13.フェルナンド=ラ=サマ=デ=アラウジョ
この中で有力候補は、2.元国防軍司令官のタウル=マタン=ルアク(無所属)、3.最大野党フレテリンのル=オロ党首、8.ラモス=オルタ現大統領(無所属)、13.国会議長で民主党のラ=サマ党首、の4人です。この中から新大統領が選ばれることは間違いないと思います。
誰も過半数以上の得票に達しない場合、上位2名の決選投票へと駒が進められます。おそらく、5年前の大統領戦と同様に決選投票を迎えることになることでしょう。
大統領選挙の投票日を知らせる横断幕。首都デリ市内のベコラ地区にて。
2012年3月7日 ⒸAoyama Morito
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0798 :120312〕
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