福島から発信された人々の声が胸に強く響いた「3・11」
- 2012年 3月 13日
- 交流の広場
- 9条改憲阻止の会
2012年3月12日 連帯・共同ニュース第235号
■ 夜の隅田川は水面が光っていた。そして街は灯りに包まれていた。僕の目の前のこの東京の光景は自然に江戸という時代を想起させる。高層の建物が包む街にはかつては木造の建物が密集するようにあったのだろうと思う。わずか百十数年に満たない歳月の内に江戸は高層建築物の街東京に変わった。東日本大震災は日本の大転換を多くのひとに意識させた。それならばこの転換はどのように東京を変えて行くというのか(?)江戸から東京への変身の内には関東大震災も東京大空襲もあった。今後は何がやってくるのか。想像したくない事だが頭を掠める。胸にはわずか前の福島の集会での現地の人々の声が余韻として残っていた。『3・11』。多くの人々が追悼と共に多くのことを考えて過ごした一日であったと思う。僕もまた多くの事を自問した一日だった。
■ 3月10日に郡山市での集会に向かう朝は冷たい雨が降っていた。現地は雪との天気予報で心はどこか重かった。それでも現地は時折雨がぱらつく程度で気分は軽やかになった。「原発いらない地球(いのち)の集い」は「原発いらない福島の女たち」などが主催したものであり、鎌田慧さんの講演など多くの催しがあったが圧巻だったのは「原発いらない交流と文化の集い」だった。この日の最後の催しで、経産省前テント広場で披歴されたことのあるフラダンスやカンショ踊りによる交流会は参加者たちの踊りの輪で締めくくられた。生活の匂いや場から発せられる脱原発の力強い声が参加者を魅了し、みんな輪になった。僕も輪に入った。何年ぶりのことか。脱原発の運動は原発なき後の社会を内包して運動でなければならないが、その象徴のようにこの踊り(文化)はある。3月11日に郡山の開成山野球場で開かれた「原発いらない県民集会」は内外席を満杯にし、芝生の外野席を解放するほどの盛況で一万六千人が集まった。加藤登紀子さんのオプニングコンサートも大江健三郎さんの発言もよかったが6人の県民の訴えには感動した。酪農家など様々の立場の人たちからの生々しい訴えには目頭が熱くなった。涙腺が緩むのを隠し時折下を向いて聴いていた。脱原発。この声だけで十分である。多くの人たちがそう感じたに違いない発言だった。時間による記憶の風化を期待する権力側を僕らは裏切り続けねばならない。
■ 『3・11』は全国の各地のみならず世界各地でも脱原発の集会やデモが行われた。東京での国会包囲(ヒューマンチェーン)も成功だったようだ。各地域の集会については別に報告をする。『3・11』が過ぎれば体制や権力側との攻防戦は高まる。攻防戦はこれからだ。 (文責 三上治)
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