一体何が争われ何が明らかになったのか
- 2012年 3月 23日
- 評論・紹介・意見
- 三上 治
「陸山会事件」といわれる小沢一郎裁判はいよいよ4月26日に判決を迎える。
検察側は証拠として提出した調書の採用を退けられただけでなく、検察の調書のねつ造も明らかになった。普通これなら控訴棄却になる事態である。そうでなくても無罪が予想されるところだ。それでも検事役の指定弁護士は禁固3年の求刑をし、裁判結果も予断を許さない。検察審査会を使った小沢一郎の起訴が当人を刑事被告人として拘束することが目的であったように、彼に有罪判決を下すことが目的としてあるという疑惑は消えないからだ。この目的に大きな政治権力が関係しており司法界(裁判所)もそれに通じていると思えるからだ。
国策捜査は国家権力の座にあるものが政治的敵対者などを犯罪にしたてるために行う捜査である。これは法治国家では許されぬ非民主的で強権的行為である。この捜査が顕著になったのは小泉政権下においてである。2002年に受託収賄で訴追された鈴木宗男氏の事件などが走りといえる。何故に小泉政権下でこうした事件が続出するようになったかは冷戦構造の終焉と日米関係の再編が大きな枠組みとしてはあると考えられる。これを言及すると長くなるので指摘だけに留めておくが、冷戦下の戦後日本の権力構造の再編が迫られそれが従来は体制内部に位置していた保守政党や政治グループの再編に及んできたのである。この背後には冷戦後の世界再編を構想するアメリカが存在する。前例として田中角栄のロッキード事件があったといえる。この国策捜査の仕上げ的な位置にあるのが小沢一郎を含む陸山会事件といえる。この事件はまず、西松建設問題として現れ不首尾に終わるや陸山会の政治資金規正法事件となって出てきた。ここには政権の自民党から民主党への交代があった。西松建設問題は政権交代をめぐる時期に、陸山会事件は政権交代後に現れたが特徴的なことは小沢一郎の排除が目的であったということだ。小沢一郎の検察審議会を使っての強制起訴はそれを如実に示しているが、その無謀な裁判ぶりがまたそれを明瞭にさせている。我々は一連の国策捜査に反対してきた。その非民主的で強権的な権力の所業を批判し、真の民主主義の実現のために闘ってきた。この中で見えてきたのはこうした非民主的で強権的な権力が戦後にアメリカの意を汲んだ官僚主導の日本の政治権力であり、政党や政治家はそれ従属しているということだ。日本の伝統的な官僚政治は政治的に自立する政党や政治家を国策捜査の手法で排除してきた。これはメディアも含めた戦後の体制や権力の実態なのだ。これと闘うことなしに民主主義も自由も法治国家もない。これが見えてきたことだ。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0822 :120323〕
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