事故の真相究明なしでの原発再稼動を許さず、世界の厳しい眼に耐えうる新生日本の構想を!
- 2012年 4月 2日
- 時代をみる
- 加藤哲郎原発
2012.4.1 アメリカ西海岸から東にまわって、ワシントンDCで満開の桜の散りぎわを眺めつつ、帰国しました。まだ時差ボケ気味ですが、新しいハードと慣れないソフトで、とりあえず1か月ぶりの更新です。日本政治は、ピントがはずれています。3・11一周年は世界でもそれなりに報じられ、東日本大震災・大津波の爪痕が残り復興が遅れていること、「収束」にはほど遠い福島原発のメルトスルー状況と放射能汚染の陸海空への広がりは広く知られましたが、今の首相がなんと言う名前のどんな人物で、どんな政党がどのように政権を動かしているかについては、ほとんど関心をもたれていません。米国オバマ大統領主導の「核なき世界」への主要国サミットにも、直近のソウル開催なのに他国首脳より遅れて出席し、かつての「唯一の被爆国」が「最大の放射性物質拡散国」になりつつあるのに、その弁明も教訓も「握手・立ち話外交」程度でしか伝えられずすぐ帰国。何とも存在感がありません。かつて「持続可能な開発」への1992年国連地球環境サミット発足時は、日本は「経済一流、政治は三流」で、やはり内政が理由で出席できなかった当時の宮沢首相の不在がそれなりに問題になりましたが、いまやアジアには「経済も政治も一流」になった中国があって、米国と世界秩序を競い合っていますから、核サミットでの日本の沈黙はほとんど話題にもならず。円高・財政再建・消費税引上げも、ヨーロッパ金融危機の重大性に比すれば、ドメスティックな「コップの中の嵐」扱いです。私の昔の著書『ジャパメリカJapamericaの時代に』(花伝社、1988年)との対比でいえば、「チャイメリカ(Chimerica)の時代」の到来です。無論それは、「資本主義対社会主義」ではありません。資本主義世界システム内での覇権争いです。
どうして、こんな風になったのでしょう。3・11への政権の初発の対応の失敗と無策、「原子力村」の頑迷な抵抗と脱原発社会運動の国際的に見た立ちおくれがあるのは否めませんが、おそらくもっと深刻な、地震大国日本の近代化の歩み全体が、問われていると考えるべきでしょう。米国への旅の往復では、iPadに入れた森滝市郎日記と故高木仁三郎『いま自然をどう見るか』(白水社)に感銘を受け、成田龍一さんの新著『近現代日本史と歴史学』(中公新書)が頭の体操になりました。英語では、ニューヨークの古本屋で見つけたJohn Hersey, HIROSHIMA,1946とHoward Zinnの遺著The Bomb, 2010に考えさせられました。前者ハーシーの『ヒロシマ』は、法政大学出版局から新訳も出ていますから紹介するまでもないでしょう。第二次世界大戦終了直後のアメリカでのベストセラーです。古本屋でも、65年前の原著からVintageペーパーバック版まで何冊も並んでいました。後者、2010 年に没したハワード・ジンの『爆撃』は、岩波ブックレットに邦訳が入っているということで、いま取り寄せ中です。ハーシーはルポルタージュの手法で、ジンは民衆の歴史学の立場から、1945年8月6日の広島原爆投下が、アメリカのみならず人類にとって、本当に必要であったのかを問いかけるものです。そして、米国トルーマン政権や軍産複合体から「原爆ヒステリー」と攻撃された、ハーシーの本やメソジスト教会の「ノーモア・ヒロシマズ」運動こそが、日本の戦後原水禁運動や反核平和運動の源流ともいうべきものであり、その後の世界的規模での核エネルギーをめぐる情報戦の原型を作ったのではないか、という印象を受けました。成田龍一さんの近代日本解釈史からヒントを得るとすれば、原爆と原発はワンセットで20世紀以降の世界史の基軸を成してきたという、新しい世界史解釈が必要になるでしょう。
もちろん下記に一部を再録する3・11一周年の世界の日本報道のなかでは、日本の反原発運動も、ドイツやフランスのフクシマに刺激された大きな反核行動と共に、紹介されていました。ただしアメリカの新聞・テレビ報道では小さく断片的で、日本のマスコミでも相変わらず無視されたらしく、ウェブ上から主体的に探さないと、全容はつかめませんでした。大統領選を控えたアメリカでは、かのOccupy Wall Street(OWS)運動が、ニューヨークでは弾圧され追い込まれていましたが、西海岸の大学キャンパスやワシントンのホワイトハウス近くの公園のテント村では「99パーセントの声」を掲げて、持続していました。ニューヨークの発祥地・根拠地であった Zuccotti Parkが、9・11の世界貿易センター跡地のすぐそばで、しかしOWSは9・11にはほとんど触れず、反対側のWall Street金融街に向けて声を挙げデモをしたと聞いて、考えさせられました。社会運動とナショナリズムは、かつてコミンテルン型共産主義運動が楽観したようには一つにならず、中東のファイスブック革命も、中国や日本ではずいぶん違った様相を持って現れるのだろうと。アメリカのOWSと、日本の原発再稼働反対・放射能汚染からこどもたちを守る運動は、どこでどうつながるのだろうかと。日本を報じる映像メディアでは、英国BBCの Inside the MeltdownおよびChildren of Tsunami、ドイツZDFの「フクシマのウソ」が、ジャーナリズム本来の姿を示し、強烈でした。帰国後手にした日本語刊行物では、東京新聞原発事故取材班『レベル7』(幻冬舎)が秀逸です。ウェブで探求すれば、日本にもまだジャーナリズムの精神は、残されているでしょう。60年前の「白鳥事件」の真相を探る講演会の予告が「ちきゅう座」ホームページに出ています。4月14日午後1時、明治大学リバティータワー・1013教室とのこと。米軍占領と朝鮮戦争を背景に、真実探求が長く曖昧にされてきた、札幌での警官射殺事件の解明です。福島原発事故は、世界史的な巨大犯罪です。その真相究明と責任追及を、うやむやにしてはなりません。今すぐ、取りかからなければなりません。本サイトは、新学期も、歴史の真実を微力ながら探求し続けます。
「加藤哲郎のネチズンカレッジ」から許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1893:120402〕
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