テント日誌 4/3日 経産前省テント広場―206日目 春の嵐に負けないテント
- 2012年 4月 6日
- 交流の広場
- 経産省前テント村住人
「春一番が吹かなかった」代償か、大気が放射能汚染に怒っているためか「春の嵐」がやってきた。天気予報で知らされていたため、朝から防御対策が講じられた。以前に台風に見舞われて時は一時テントをたたみ猛烈な雨風をよけたが、今回はそうはいかない。テントも三つに増えたし、荷物も結構な量になった。それに経産省側が虎視眈々と機会をうかがっていることもあり、たためないのである。第一テントの下幕の二隅をたくし上げ風の通り道を作った。当然、雨が吹き込まれるので荷物にはシートを被せ重荷を付けた。第二テントも第三テントも強風対策を施した。
予報通りに3時ころから風も強まり、雨も降り始めた。テント防衛に参加した30数名は雨の吹き込むテントに座り込んでいた。テントの対面は外務省であるが、桜が満開に近い。雨のぱらつく中で見事な桜がいやがおうでも目に飛び込んでくる。思わぬ花見となったが、こんな花見は初めてだ。「花も嵐も踏み越えて行くがテントの…」なんてセリフが自然に口から出た。それぞれ、どこか緊張しながらも愉しそうでもある。滑稽な役割を演じたのは経産省の連中である。彼らはテント防御のために立木に結んだ紐を取れと強固に迫ってきた。例の如くビデオカメラを回しながらである。我々はこんな事で喧嘩するのもアホらしく紐を解いたが、残っていたのを目ざとく見つけ切断した。こんなところだけ意地悪く強固になる経産省の面々って一体何なのだろうか。朝、見ると外務省前の桜は風に吹き散らされた薄くなっていた。やはり、ことしの桜もかわいそうだ。
予報では9時ころが雨風のピークとあったが7時前後に早まったようだった。その首相官邸では大飯原発の再稼働についての4閣僚会議が開かれていた。今会議で再稼働の政治判断は先送りされるということが朝日新聞等で報じられていたが、結果はその通りであった(4月4日付け全国紙の朝刊)。大阪・京都・滋賀のどの近県の反対が強まり、また、国会でも各議連の動きが活発になっている。国民の再稼働反対の意志や声が強くなっていることが根底にある。原子力安全―保安院のお墨付きで「再稼働ありき」に進む野田首相に国民の怒りが強まっているのだ。再稼働派の巻き返しも予測されるから、油断はできない。原発ゼロに向け国民の声を結集し5月5日に進みたい。。
テント内では強い雨や風の中でテント運営委員会が開かれていた。5月5日の「原発ゼロ」に向けての方向の確認であるが、大飯原発3・4号機の再稼働が困難になると、今度は伊方原発3号機が狙われるのではないかということが話題になった。過去にも伊方原発が突破口的な役割を担わされたことはあるわけで今回も警戒する必要があるという声が出た。そして、伊方の現地で開かれる4月14日・15日の現地集会のテント前ひろばからメンバーを派遣することにした。現地との連帯を強めて行きたいと思う。テント前ひろばは政府の動向を注視しつつ原発の存在する現地も方々との連携を強めていきたいのである。
今日のテントの宿泊は臨時の体制となりいつもより多くのメンバーが残った。テント内ではまず消灯前までの議論が続いた。「日の丸」についての議論が多くでるようになったのは時代の反映だろうか。「40代以下の人たちとの考えの食い違いを意識してはいる」と書いたことがあるが、その違いの一端を日の丸についての意識はあらわしているのかもしれない。僕らは日の丸をあまり意識せず、意識するときは否定的な側面が強いが、若い世代はどうなのであろうか。ナショナリズム(国家意識)も含めてここのところは考え聞いて見たいところである。今日は寝るところも狭く、不寝番の人が多く残ったので消灯時間後の議論も続いた。年を取ってもこんなに議論が好きであるのはいいことなのだろう。これも若いころからの知的貯金のためかも知れない。 (M/O)
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