「単元単位制」導入論はユニークではない―大学講義のあいまに(7)
- 2012年 4月 15日
- 評論・紹介・意見
- やすい・ゆたか単元単位制義務教育
大学生に「ちきゅう座」での「単元単位制導入」論議を紹介したところ、中には大学でのややこしい受講登録の悩みを反映して、「自身の向き・不向きや得手・不得手を把握した上で自身の方向性を自己決定するのは小学生には無理」ではないかというコメントがあった。
「単元単位制」を小学校に導入しても、最初から自由な受講登録制にする必要はない。習得したら次の単元に進めるようにすればいいとしているだけである。
橋下市長は、市教委幹部へのメールで「義務教育で本当に必要なのは、きちんと目標レベルに達するまで面倒を見ること」「留年は子供のため」などと指摘。留年について弾力的に考えるよう伝えたということだが、Webで調べると、それに対して賛否両論があったようで、その中には私と同様な「単元単位制」導入提案も見受けられる。宇井宙さんは私の提案をユニークと評してくださったが、それほどユニークでもないということである。
「発声練習」という名前のブログに以下のような書き込みがあったので紹介する。2月22日の日付である。既に私が提案している〈単元単位制〉が打ち出されていることが分かる。http://d.hatena.ne.jp/next49/20120222/p2
《「留年した」という事実がネガティブに働き、学習に対する忌避感を誘ってしまうのが問題のひとつだと思うので、この事実の受け取り方を緩和するような仕組みにしたらよいのではないかと思う。具体的には以下のようにしたらよいのではないかと。
1.科目ごと、さらには単元ごとに単位制にする
2.小学校、中学校、高校までを一元化し、授業ごとにいろんな年代が入り混じるようにする
3.テストによる単位挽回法を提供する(授業うけなくても、試験で一発合格させる)
4.小学校低学年(3年生くらい)までは年齢とともに進級させる(生活のベース確保および集団行動の練習のため)
5.年齢が関係ない関係ある科目(体育など)を除き、飛び級を許す
このように単元ごとに単位制にすれば、人間には得意不得意があるのでほとんどの人が単位を落とし、「留年する」という意味より「落第する」という意味になるのではないかと。
こういうシステムだったら、たぶん、私は鉄棒の逆上がりができなくて今でも小学生だな。》
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0859 :120415〕
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