「白鳥事件60年目の真実」が考えさせること
- 2012年 4月 21日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
いまや東都文化中枢の位置を名実ともに占めるに至ったお茶の水の明治大学自由塔において「白鳥事件60年目の真実」を告げる講演会が開かれた。平成24年4月14日(土)のことであった。
敗戦後数年間、日本共産党が仕掛けた、あるいは仕掛けられた様々の流血事件や謀略事件が発生した。1952年1月21日札幌で白鳥警部射殺事件が起ったが、日本の左派運動はそれを国家権力の謀略であると断定して、以後20年余にわたる主犯とされた村上国治の裁判闘争を支援する国民的規模の救援活動を展開した。ところが、今日その左派の内部から極めて実証的に「当時の日本共産党の札幌地区委員会の委員長であった村上国治氏が企画し(4・5中総の『方針』を実行しようとして)、中核自衛隊を中心とするメンバーに準備させ、実行したテロ行為であったこと」(中野徹三札幌学院大学名誉教授)が暴露された。またもう一人の講演者は「この記録を読めば白鳥事件は日本共産党の軍事部(暗号名Y)の犯行であることは確実」(渡辺冨哉)と断定しつつも、事件直後にまかれた二種の「天誅ビラ」、つまり「天誅下る」ビラと「天誅降る」ビラの比較分析を通して国家警察の関与をも推理していた。つまりは共産党主犯で国家権力従犯と言うことになろう。講演会場に事件の計画実行に参加した人物も登場して白鳥警部本人と遺族への謝罪の気持ちをまことに率直に表明されていた。
講演会の後半質疑応答パートには出席できなかったので白鳥事件固有の問題について語るべき感想を持たない。ここでより一般的に左右両翼の革命(維新)運動や民族独立(国家形成)運動に見られる革命党員や独立主義者による殺人・テロ行為を含む非合法暴力の問題を考えてみたい。
旧ユーゴスラヴィアのコソヴォ自治州はユーゴスラヴィア連邦の構成単位としてセルビア共和国やクロアチア共和国等と同格でありながら、同時にセルビア共和国内の自治州であった。ユーゴスラヴィア解体の嵐の中で独立国家形成に成功し、現在欧米諸国や日本によって国家承認されているが、EUの中に民族問題を抱えたスペインなどの如く国家承認を拒否している国もあるし、ロシア、中国、印度等の未承認国のほうが多数派である。コソヴォ・アルバニア人の独立運動は1990年代前半イブラヒム・ルゴヴァに代表される非暴力・不服従の平和的方式によって国家独立を追求していた。しかしながらボスニア戦争が1995年11月に終了すると、武装闘争方式をとるグループが胎動してくる。セルビア政府が本格的な武力討伐に踏み切る1998年3月までに、1997年と1998年の2年間だけで121件のテロ攻撃が実行されていた。攻撃する側とされる側の死者はあわせて146人に達していた。テロ攻撃の主な対象は独立運動を直接取締り弾圧する内務省官憲、具象的に言えば、セルビアの「白鳥警部」であった。また、独立ではなく高度の自治要求に満足するコソヴォ・アルバニア人も亦、その対象となった。最初の頃、テロ攻撃の出現にとまどい、あわてた平和移行方式の指導者ルゴヴァ「大統領」(コソヴォ・アルバニア人社会が地下選挙によってコソヴォ大統領として選出していた)等は、「かかる殺人テロ行為はセルビア官憲が仕組んだ事件で、コソヴォ・アルバニア人に罪をなすりつける卑劣なセルビア側の謀略である。」と解釈し、公言していた。しかしながら、事実は独立国家コソヴォの現首相ハシム・タチがコソヴォ解放軍トップ・リーダーとして断固として実行した作戦であった。目的はセルビア政権側をして武力討伐に踏み切らせ、流血を拡大し、アメリカを先頭とするNATO諸国の軍事介入を招き寄せる所にあった。戦後日本にたとえるならば、野坂参三の平和革命と「愛される共産党」の方針がイブラヒム・ルゴヴァの非暴力・不服従の独立方針に相当するし、村上国治の中核自衛隊・武装闘争がハシム・タチのコソヴォ解放軍・テロ攻撃に対応する。相違は日本では百パーセント失敗したが、コソヴォでは百パーセント成功したところにある。何しろ、1999年2月にパリ郊外ランブイエ城で開かれたコソヴォ問題国際会議にコソヴォ・アルバニア人代表団の団長になったのは選挙で選出された国際的に有名な「大統領」ルゴヴァ教授ではなく、コソヴォ解放軍の国際的に無名な若き指導者タチであった。アメリカはルゴヴァからタチへ乗り換えていた。
ところで、アメリカがルコヴァ路線を支持し続けていたら、どうなっていたであろうか。タチ等武装闘争派はセルビア官憲によって逮捕され裁判にかけられたであろう。そして、ルゴヴァ等平和的独立派は我が日本における「白鳥事件の公正裁判と村上国治の即時釈放要求」(総評第12回大会)運動に相似の市民運動を、コソヴォを含むセルビアにおいて、また欧米社会においてセルビア官憲謀略説に基づいて大展開したことであろう。実際、タチ等はテロ攻撃の故に1997年7月にコソヴォのブリシティナ地方裁判所で欠席のまま10年から20年の禁固刑を宣告されていた。
タチ等による最初は全く無謀に見えた殺人テロ作戦は結果としてNATO空爆を惹き出し、独立に直通したことになる。今日コソヴォにおける数多くのセルビア人「白鳥警部」の殺害を後悔する、そしてセルビア人「白鳥警部」のセルビア人遺族に謝罪するアルバニア人解放軍戦士はいないであろう。彼らは独立戦争の英雄なのである。仮にだが、もしも日本革命が成功していたならば、村上国治やその周辺の人々はやはり英雄となったであろう。彼我の国際的力関係を見誤って、テロ行為に走って、最終目標(日本革命)に失敗した場合には謝罪や責任が問題にされる。彼我の国際的力関係を正しく測定して、テロ行為に走って、最終目標(コソヴォ独立)に成功した場合には顕彰や栄誉が問題となる。「白鳥事件60周年目の真実」に関する明大自由塔講演会は私に上記のような人間社会史的に不幸な構造を考え込ませる。かかる不幸な構造のアウフヘーベンは可能であろうか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0870 :120421〕
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