テント日誌4/24日 経産前省テント広場―227日目 淡々とした中に激しさを秘めて
- 2012年 4月 25日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
4月17日のハンスト宣言からちょうど一週間目を迎えています。最長の七日間を宣言して冒頭からハンストに入っていたEさんが無事貫撤されました。体調を気遣う周囲の人が逆に励まされるという中で見事にやりぬきました。Eさんはあらかじめ最長の日数を決めておかなければもっとやったと思われほどですが、無意識のところも含めれば身体への負荷は相当なものと推察されますから体調の回復に努めてもらいたいと思います。それから、血圧が相当高くなったと伝えられるSさんのことも心配です。僕らは高齢者が多いので、身体と意識に相当なギャップが生じているはずです。若い時の経験では測れない身体の衰えも来ているところがあるはずで、それは意識を身体に合わすように修正して行く他ないところがあります。内輪をさらせばいろいろのことを抱えながらの集団ハンストですが、ハンスト参加を登録した人は現在のところ70名を超え、毎日テント前で座り込んでいます。
5月5日までの第一次行動として展開されている「集団ハンスト」ですが、真ん中にさしかかる手前の今が一番のきつい時期ともいえます。それでも、テント前には新しい参加者も増え、淡々と遂行されています。せめて、天候が春を思わせる陽光にでもなってくれたらと思うのですが、ぐずついたところから一向に脱出できないでいます。春の天候が不安定なのは致し方がないとしても、春らしさを感じられたらいいのにそれがないのです。天候は人々の気持ちに反映するわけで残念です。23日と24日は大飯原発の現地での行動が気になります。現地からの行動が断片的であれ伝えられるたびにこちらも元気づけられます。「現地はどうなのだろう」という会話もあり、「椎名さんが行ったのがよかったらしい」などの話で盛り上がります。現地のテントも7つになったとのことですがうれしいことです。原発の立地する現地の人はなかなか声をあげにくいのが現状でしようが変化の兆しが伝えられます。
僕もこの淡々とした座りこみに加わりながら、見えにくい権力の動きなどを推察し自問自答をしています。これは夜のテントの中でも話したことですが、少し述べさせてもらいたいと思います。テントに毎日のように来ながら考えていることでもあるのです。
僕らは大飯原発3・4号機の再稼働許さず、5月5日には「原発ゼロ」が実現することを目標にし、その最後的な意志表示として「集団ハンスと」を提起してやってきました。ある程度は予測していたのですが、政府は5月5日前に「原発ゼロ」という事態を回避するために動きだすだろうと推察していたからです。その予想通りに政府は原子力安全―保安院でかなり無理な第一次ストレステストの妥当判断などシナリオに沿った動きをしてきました。だが、政府は予想を超えた反発に戸惑っているようにも見えます。再稼働に対する反対の声がこれほど強く出てくるとは考えてもいなかったのだと思います。経産省や原子力ムラは早い段階から原発再稼働→原発保存というシナリオ《戦略》を持ってその準備をしてきました。脱原発の声は強くても既得権益の強い日本社会では再稼働の動きの中で抑え込んで行けると考えていたのでしよう。彼らはなし崩し的な原発存続の中で基本的な原発保存戦略は可能だと見ていたのです。脱原発の具体的動き《エネルギー政策の転換や送電分離論、電力会社の独占体質の改革など》は議論に留め、実際は現状維持を構想していたのです。現在でもこれは彼らの大きな戦略であると思います。脱原発の動きの戦略の難しさも見込んでことだと考えてもいいのかもしれません。
この官僚の戦略は日本社会の既得権の変更の難しさ、時間による意識の風化を考えてのことであろうと思われますが、今回の福島第一原発事故の人々に与えた衝撃の大きさ、次々と暴露される原発推進の矛盾が変化させた人々の意識の変化を読み取ってはいません。政治家や政党は官僚と違ってこのことはある程度は分かっているのでしようが、それを政治的にくみ取る能力がありません。悲しいかな、官僚主導政治にあった日本の政治の結果です。政党や政治家は原発の存続について歴史的な判断を下さなければなりません。そこから、原発の存続にせよ廃止にせよ政治的構想が生まれてくるのであり、既得権益に支配されたなし崩し的な存続というのは最悪のケースです。官僚に主導された日本の原発政策はその枠組みにあります。政党や政治家はそれに支配されながらも人々の意識の動きに敏感にならざるを得ないから、動揺や戸惑いもみせるのです。日本の現状は官僚主導とそれに飲み込まれ政権の政治ですがそれに対する政治的反発も高まってきています。
僕らが目の前で進行する事態の中で見ているのは原発再稼働に対する人々の反対の声の強さです。政府の稚拙な動きなどがそれを強めていることもあるのでしようが、やはり基本には原発事故から読みとった事があるのだと思います。これが原発再稼働の具体的な動きの中で明瞭になってきたのです。このことは脱原発運動が脱原発にいたる径路を描きえるし、それで原発再稼働→原発保存という官僚のシナリオ《戦略》と対決する道が見えてきたということです。原発再稼働させそのことで再生エネルギーや送電分離などをつぶして行く、それで結局のところ原発依存を保持する官僚のシナリオを崩す道です。再稼働が阻止され原発ゼロの時間が長引けば長引くほど、原発に替るエネルギーの開発や転換も急速に進むはずです。この具体的動きは進行します。このことで脱原発運動は具体性を獲得しても行けます。再生エネルギー議論や代替エネルギー問題の具体性に事が進むのです。原発既得権にしがみつく人々が一番怖れることだし、官僚はその代弁者です。その意味で原発再稼働阻止が結果することは予想以上に大きいのです。こんなことを自問しながら暮れなずむ霞ヶ関をみていた。 (M/O)
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