ハシズム批判(1)大阪府の3条例(教育行政基本条例・府立学校条例・職員基本条例)の危険な内容
- 2012年 4月 28日
- 評論・紹介・意見
- 青木茂雄
大阪府の3条例(教育行政基本条例・府立学校条例・職員基本条例)の危険な内容
1.“橋下徹”という現象
“橋下旋風”が吹き荒れている、という。どうもそうらしい。もし、近々に国政選挙があるならば“維新の会”という得体の知れない「政党」が大躍進しそうだという話が実しやかどころか、大手を振ってマスメディアを闊歩している。そうでないという情報を捜す方がむしろ困難である、という状況である。
折しも、民主党野田政権が自民党政権ですら躊躇した「消費税増税」に血道をあげ、憲法「改正」を除く歴代保守政権の積み残し課題の滞貨一掃を自己の使命としているとあっては、“民意”が離れるのも当然であり、そのチャンスをあの人達が虎視眈々とねらっているとあっては、この国の不幸もここに極まれりだ。
2009年の“政権交代”は私の見方では、疑似野党が政権与党になったにすぎないのであり、“交代”の名にとうてい値するものではなかった。(私はそのことについてかつてこの欄に書いた。)その結果姿を消したのは、仮に疑似であれ何であれ、野党的な存在である(少数を除いて)。この“政権交代”で定着したのが、議員や閣僚の「日の丸」(私はこれを「国旗」とは呼ばない)への“敬礼”である(こういう“儀式”を日常的にやっているのは日本だけであり、天皇ですらやっていない)と言っても過言ではない。このことはささいなことではない。権力の象徴を物的な背景とした言説(「日の丸」を背景とした政府の記者会見がまさにそうである)や“儀式”の空間が国会をはじめとして日本中いたるところにできあがりつつあるのである。東京から大阪に広がりつつある、権力を背景とする学校儀式における「国旗・国歌」の強制は、このような全体状況の象徴的事例であり、先立って行われたものである。
このような中での“橋下徹現象”である。
この現象はきわめて危険なものである。今回は、教育関連の3条例の内容からその危険性を論じていきたい。
その前にまず、“橋下旋風”に関して浮かんだ言葉と、たまたま読みあわせていた本の中からの一節をいくつか。
◎ことわざ、から
・「無理が通れば道理引っ込む。」
・「泣く子と地頭には勝てぬ。」
・「悪貨が良貨を駆逐する。」
◎「世の中のなりゆき。『なりゆく』=ますます生命が増殖するというオプティミズムがともなうから、『世の中のなりゆき』が一時的には不利に見えても、基本的には肯定され、なりゆきに任せる態度への傾斜が生れる。この自然的時間の中に具わるmomentumが、「勢」である。勢がいい人間、元気な人間というような場合には、いきほひは人間精神に内面化され、内から外への発露として主体的にとらえられるが、時勢・情勢・
世界の大勢というような発想において、世の中のなりゆきへの追随としても現れる。」 (『丸山眞男講義録7』74頁「思考様式と世界像の『原型』」)
◎「いわゆる人民投票的支配なる民主制的体制は、その理念からすれば本質的にカリスマ的な特質をもっており、その支持者たちの議論は、すべて、正にこの特質の強調に帰着している。人民投票は「選挙」なのではなく、君位要求者を人的資格をもったカリスマ的支配者として、そこで初めて、あるいはもう一度、承認することなのである。ペリクレスの民主制も、他の将軍たちは抽選で選ばれたのに、一人の将軍だけは正に選挙によって選ばれたということの中に、その特徴的なカリスマ的性格を含んでいた。」
(マックス・ヴェーバー『支配の社会学』441頁、世良晃志郎訳)
◎「極右運動は多くの点においてアメリカ民主主義自体と著しい関連性を持っている。逆説的ないい方を許されるとすれば、反民主主義的極右運動も論理的には民主主義の所産に他ならない。すなわち極度に単純化していうならば、運動としての民主主義がその正常な発展の条件を失うに至った時、それに代わって国民のモラリズムに発現の機会を与え、民主主義運動を擬似的に遂行しようとしたものが極右運動であったと考えられよう。(ダニエル・ベル編『保守と反動』1958年みすず書房、を参照のこと)」
「彼らが組織化を有効に進め得たのは、何よりもまず彼らが地域社会に目を向けたことによるものといえよう。地域社会はしばしば最小限の圧力で最大限の恐怖を醸成しうる。さらに重要なことは、地域社会を重視することによって、外交政策の失敗ないしは挫折を地域的な問題に結ぴつけることが可能となったことである。人々は極右の主張に共鳴するならば、彼らの住む地域社会の中でなにごとかをなしうる。彼らは、身辺にいる教師・牧師・実業家・地方議員などを共産主義者ないしはその同調者として攻撃することによって、共産主義運動のためにささやかな貢献をなしうるのだ。したがって、地域社会を重視することは、幻想の中においてであれ、運動に日常性を回復することを意味する。そして、ここにこそ60年代の右翼が無視し得ない潜在的影響力を秘めている理由が見いだされる。」(阿部斉「アメリカ民主主義の伝統と現実」『講座現代12競争的共存と民主主義』144頁、岩波書店1964年、所収)
2.橋下徹の根本認識─行政は“白紙委任”
4月2日に行われた大阪市の入市式において、橋下市長が新入職員に対し「君が代」斉唱を、両腕を伸ばして“直立不動”の姿勢で行うよう厳しく“指導”したことはインターネット情報等でもとりあげられ話題となったが、問題なのはそこでおこなった彼の“訓示”の内容である。「市民に命令する立場にある公務員は、みずからも命令に服従しなければならない」という内容のことを“訓示”したと伝えられている。私はこのことを聞いて耳を疑ったが、これが彼の“失言”ではないことは、1月30日に行われた「府市統合本部会議」(これは法的裏付けのない非公式の会合であるが)の席上で同様のこと、教育公務員は「命令する立場」であることに言及し、職務命令の厳守について述べていたことからも、彼の根本的な認識の上に立っていることがわかる。
つまり、選んだからには選ばれたものの命令に従えという、“白紙委任論”である。ここから“全権委任法”までの距離は、少なくとも橋下個人の認識の内部ではそう遠いものではない。
現在の行政法学の常識から言えば、狭義の行政命令(訓令・通達)は行政機関の内部に止まるものであり、しかも構成員に対しても個々の「職務」に関するものに限定される。「包括的」な職務命令は「特別権力関係論」に通じるものとして学説的にはむしろ否定されている。
ましてや、公務員と国民との関係は如何なる意味においても命令服従関係ではあり得ない。憲法15条にある通り「公務員は全体の奉仕者」である。
国民に対して権利を制限し義務を課する行政命令は法律の委任のある場合にのみ行われる例外的な事項である。天皇の名のもとに広範囲に独立命令を発することのできた明治憲法下と日本国憲法下の現在とは違うのである。
これは憲法学いや法律学のイロハである。いったい橋下徹は日本国憲法をまともに読んだことがあるのであろうか。それとも「政令」や「省令」を狭義の行政命令と取り違えているのであろうか。それとも、憲法や法令は紙切れに過ぎないというのでもあろうか。
これまで、橋下徹はやや揶揄の意味合いをこめて“独裁者”とか“ハシスト”とか呼ばれてきた。しかし、単なる揶揄ではすまない事態が間違いなく生じるであろうことを示しているのが、ハシズム第一弾、教育関連条例及び職員基本条例である。
3.大阪府で教育関連3条例が成立
2012年の3月23日に教育関連条例(「大阪府教育行政基本条例」・「大阪府立学校条例」)案及び「職員基本条例」案が府議会で維新・公明・自民などの賛成多数でほぼ原案の通り可決・成立した。
昨年9月に大阪維新の会が府議会に提案した教育基本条例案は当初、みんなの党を除いて野党がほとんど反対していた。また、府の教育委員も全員反対し、同条例が成立すれば全員が辞職するとまで宣言していた。しかし、11月のダブル選挙での知事・市長とも「維新の会」候補の「圧勝」以後、事態は急展開した。
12月から府教委は内部で修正案の検討に入り、1月に府市の統合本部会議(前述したように法令の裏付けのない非公式のもの)が開催され(それは会議というより橋下市長の独演会または「御前会議」のようなものであったが)、30日の会議で決着を見たと新聞報道されている。尚、橋下はこれを「満額回答」と自賛している。
大阪府では、知事と府教委との「協議」の結果、「大阪府教育行政基本条例」案、「府立学校条例」案として、新たに提案された。また、教職員の服務については別途呈示された「職員基本条例」案の中に含められた。教育基本条例案の内容は、3つの条例案に分散される形となった。関連して「職員の分限に関する条例」の「一部改正案」も提案された。
4.教育関連3条例のとんでもない内容
成立した3条例は、若干の部分「修正」されたものの、基本的な骨格は元の教育基本条例案・職員条例案とまったく同じであり、危険な本質は内包されたままである。その内容を以下に概略する。
(1)大阪府教育行政基本条例
この条例の内容は、A教育目標、B教育行政の点検、C教員の管理の3点に概括される。
【A 教育目標の設定】
① 教育基本条例案では個々の学校について知事が決めるとされていた学校の教育目標は、府の教育振興基本計画として知事が教育委員会と協議して原案を作成し、議会の議決により決定する。協議するとあるが、最終決定権は教委ではなく議会への提案者である府知事にある。
※ 教育への政治介入の第一歩は「目標」の決定権を握ることである。この点は、統合本部会議の中で、橋下・松井ともに頑として譲らなかった。
【B 教育行政の点検】
② 基本計画の評価・点検は知事と教育委員会が共同して行い、毎年議会に報告する。
③ 評価・点検は教育委員も自らについて行い、自己評価の結果に基づき、知事が教育委員罷免の可否を決定する。
④ 市町村教育委員会に共通する基本方針は、府の定める基本計画に基づき府教委が定め、「指導・助言」する。
※ 自己評価に基づいて罷免理由に該当するかどうかを知事が決定できるとある。実質的に知事は教育委員の罷免権を掌握したと言える。独立行政委員会として発足した教育委員会制度は大阪府において消滅したと言えるであろう。ちなみに、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下、地教行法と略)7条1項には、教育委員の罷免事由についての規定があるが、これは「心身の故障のために職務の遂行に堪えない」場合及び「職務上の義務違反その他委員たるに適しない非行がある」ときに限定されている。
「自己評価」以前の問題である。
「自己評価」に基づいたものであったにせよ「教育委員の罷免」を知事の決定事項としたことは明らかな地教行法7条1項違反である(憲法94条では条例は「法律の範囲内」と定めている)。大阪府の教育委員は「自己評価」の項目を入れたことによって自分たちの身分は保障されたと考えたものと思われるが、その認識は甘きに失する。
教育委員が「罷免」を逃れたとしても、その時は教育委員会が知事の純然たる下請け機関と化した時である。
【C 教員の管理】
⑤ 「指導が不適切な教員」は「指導改善研修」その他の措置を行い、 改善が認められない場合は、免職その他必要な措置を「厳正に講じなければならない」。
※ ちなみに、この根拠法としている教育公務員特例法(以下、教特法と略)25条の規定は、「講じるものとする」である。しかし、基本条例では教育委員に対する強い義務づけの規定になっており、「厳正に講じな」い教育委員の罷免事由の一つを構成することが意図されている。教特法の趣旨に従えば、「必要な措置」は教育委員の自由裁量事項であるが、基本条例はそれを強く拘束するものであり、この通り実施されれば教特法違反との指摘は免れない。
教育行政基本条例は教育委員会を首長の完全な支配下に置くものであり、そのことを通じて、学校・教職員、そして教育内容の完全支配を企図するものであり、当初の教育基本条例のねらいをほぼそのまま踏襲している。
(2)大阪府立学校条例
この条例は、A学区の統合・学校の統廃合、B学校運営、C学校協議会、D教職員の人事、を内容とする。
【A 学区の統合・学校の統廃合】
① 2014年から高校の学区制を廃止し、3年連続して入学定員に満たない学校は再編整備の対象とする。
※ 橋下府政下、私立高校に対する助成を削減しておいて、一方で授業料を免除し受験生が大量に私学に流れ、私立高校で定員オーバーになる一方で府立高校が大幅に定員割れした。公立高校の定員割れは橋下府政によって意図的に作り出されたものである。公立・私立高校を横断する高校間競争と統廃合が目途されている。(『世界』2012年5月号所収、中嶋哲彦論文「収奪と排除の教育改革」を参照のこと)
【B 学校運営】
② 教育委員会は府立学校の運営の指針を定め、これに基づいて学校運営を行うように指示する。校長は指示に基づき学校経営計画を作成する。
③ 学校経営計画に基づき、教育目標を達成するために校長が独自に必要な経費を予算要求する。
※ 校長を中心とした学校運営は教育目標を達成することが最優先される。予算もそのために重点的に傾斜配分される。どれだけ目標を達成できたかが、校長の評価となり、それが予算配分に直結するというシステムである。このようなシステムは、より下位の評価を受ける所の犠牲の上に上位評価の所への予算の増額が行われるのが常である。学校に対する予算配分でそれが行われれば、それは教育の機会均等の原則に反することになる。
【C 学校協議会】
⑨ 学校は授業内容を含めて保護者等への情報提供を積極的に行う。
⑩ 各学校に学校協議会を設け、協議会の委員は教育委員が任命し、常勤の職員も想定されている。
⑪ 学校協議会においては、学校経営計画、学校評価とともに「授業その他の教育活動に係る保護者からの意見の調整審議」を行う。
※ 学校教育法施行規則49条には「学校評議員」の設置の規定があるが、学校評議員と学校協議会委員との異同・関連性は何も示されていない。学校評議員は校長の推薦により教育委員会が委嘱するが、学校協議会委員は教育委員会の任命によるものであり、報酬日額までが示されている。評議員よりもはるかに強い権限を持つものであり、しかも委員には府の常勤職員までが想定されていることから、「保護者・府民」を隠れみのにしてあるが、実際は外部の議会勢力や教育行政からの監視委員であると言って良いで
あろう。戦前の視学の形を変えた姿である。学校としての独自の意思決定は何もできなくなる。
【D 教職員の人事】
⑫ 府立学校の校長は原則公募制によるとし、民間から採用する場合は任期制とする。
⑬「指導が不適切な教員」は「指導改善研修」その他の措置を行い、 改善が認められない場合は、免職その他必要な措置を「厳正に講じなければならない」。
※ 「マネジメント」優先で採用された原則公募制による任期付き採用の校長は、教育よりも外形的に現れる数値目標の達成を何よりも最優先する。そういう学校の姿に疑義を唱える教員は、「指導改善研修」及びその先の「免職」が待ち受けている。
※ 条例案のめざすものは、一般行政と教育行政の境界の抹消であり、行政による教育内容への限りない介入を可能とするものである。
このような内容で「修正協議」に応じた教育委員の見識と責任がやがて問われることは間違いない。
(3)職員基本条例
① 完全相対評価による人事評価を行う、ただし教職員は除外される。
② 職務命令違反5回で免職。同一職務命令違反の場合は3回で免職される。
③ 人事委員会の権限を浸蝕する「人事監察委員会」の設置。
※ ②は明らかに「君が代」起立斉唱拒否を念頭に置いたものである。不起立の回数を重ねるごとに処分を重くしていく、都教委の「累積加重処分」による減給・停職処分の取り消しを命じた2012年1月16日の最高裁判決などどこ吹く風である。
「人事監察委員会」は地方公務員法(地公法と略)に定める人事委員会又は公平委員会の職務権限と抵触する。明らかな二重行政である。地公法の2条には条例・規則その他が「この法律の規定に抵触する場合には、この法律の規定が優先する」とある。また、同法5条には、職員に関する条例はこの法律の精神に反するものであってはならないとしているが、職員基本条例及び次に述べる職員の分限に関する条例は戦後の公務員制度の根幹を定めた地公法の精神に反するものである。
(4)関連する条例
「職員の分限に関する条例」には
① 人事評価が継続して任命権者の定める基準を下回る場合で、研修などの措置を通して も改善の見込みのない場合は、降任または免職。
② ①の「基準」は、①人事評価の基準が2年以上継続して最下位の区分にあるとき、 ②出勤の状況が不良で、業務に著しい支障を及ぼすとき、③正当な理由なく上司の職務 上の命令に従わないとき、④その他
③ 廃職または過員の場合にも降任又は分限を行う。
※ 関連する条例の中で最も苛酷なのがこの条例である。とくに、教員以外の一般行政の職員の場合、相対評価により毎年自動的に下位成績者が一定数発生することになる。その中から毎年一定数の分限による免職者が出る。一定数の成績下位の者が失職の危機に常にさらされるという、民間企業ですらそうざらにはない苛酷な職場と大阪府が化そうとしているのである。分限は大規模なリストラによる定数の削減の場合にも適用される。一口で言えばこの条例は大規模な職員リストラ条例に外ならない。
下位成績者想定者への苛め、パワハラ、密告等により公務員職場は解体していくであろう。学校もまたしかりである。
これが巡り巡って府民にどのように影響していくかはもはや明らかであろう。
5.教育関連の基本条例・職員基本条例のねらい
教育関連の基本条例及び職員基本条例のねらいはとその「効果」は、次のように概括される。
① 「改正」教育基本法の「教育振興基本計画」を活用した府立学校の教育目標管理。各学校の教育目標は「基本計画」に従うものであり、その達成状況は府議会及び学校協議会によって絶えず点検・評価される。これにより、行政・議会・府民による教育内容への限りない介入と干渉が生じる危険性が大となる。
② 学校協議会による学校及び教育内容への介入。学校協議会委員は府教委の任命制であり、「保護者からの意見の調整」という形で、「授業その他の教育活動」への介入が行われる。
③ 公募制による校長は、その経営的な観点から学校経営を行う必要に迫られ、学校間の熾烈な競争が生じ、その結果淘汰される学校が多数出現する。
④ やがて、大阪の学校の大規模統廃合、経営形態の改変、教職員の大規模リストラが生じる。
※ 教育関連の基本条例及び職員基本条例は、橋下・維新の会が今後進めようとしている府市政の大規模なリストラの出発点に立つものである。
指摘されているように、又私がこれまで述べてきたように、これらの条例のことごとくが、上位法である地教行法・教特法・地公法・学校教育法施行規則等の規定に抵触する箇所を含んでいる。
橋下徹はそのことを十分に承知した上で、大阪都構想で国政進出をねらったように、国の教育関連及び公務員関連の法律の全面的な改定を争点として国政に進出する算段である。しかし、このことがもたらす危険性は都構想をはるかにしのぐものであることを銘記しなければならない。
6.大阪市議会の動きは
橋下市長下の大阪市議会では2月28日に、昨年否決された“「君が代」起立斉唱条例”が可決された。
昨年否決された大阪市の教育基本条例案は、府条例にならって、「大阪市教育行政基本条例案」「大阪市学校活性化条例案」として会期末の大阪市議会に提案され継続審議とされた。文教経済委員会で閉会中も審議され、5月の市議会で集中審議される。また、「大阪市職員基本条例案」は財務総務委員会でこちらも閉会中も委員会審議された。
市議会では維新の会は過半数を制してないが、数の力を背景に、自民・公明両党に働きかけている。府議会ではこれらの3党によるブロックが形成された。市議会でも野党の公明党などの動向が鍵となっている。
市議会本会議は5月15日に開会し、21日には文教経済委員会、22日には財務総務委員会が予定されている。
大阪の教育のみならず、日本の教育全体、いやそれだけでなく日本の民主主義の行方をも左右する正念場が、まもなくやって来ようとしている。 (文中、敬称略)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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