今こそ「奴隷」に「さようなら」を -平和憲法施行から65周年を迎えて-
- 2012年 5月 4日
- 時代をみる
- 安原和雄憲法社説
2012年5月3日、あの敗戦後の廃墟と混乱の中で施行された現行平和憲法は65年の歳月を重ねた。大手紙の憲法観は乱れ、護憲派、改憲派に分かれている。しかし戦争放棄と共に人権尊重を掲げる優れた憲法理念は、あくまで守り、生かさなければならない。
特に強調すべきことは、憲法18条(奴隷的拘束からの自由)をどう生かすかである。現下の政治、経済、社会状況は多くの若者や労働者を事実上の奴隷状態に追い込んでいる。これがかつての経済大国ニッポンの成れの果てと言えば、誇張に過ぎるだろうか。今こそ「奴隷状態」に「さようなら」を告げるときである。(2012年5月4日掲載)
2012年5月3日付の大手紙社説は憲法施行65周年を迎えて、どう論じたか。主要5紙社説の見出しを紹介する。
*東京新聞=人間らしく生きるには 憲法記念日に考える
*朝日新聞=憲法記念日に われらの子孫のために
*毎日新聞=統治構造から切り込め 国のかたちを考える ⑤論憲の深化
*読売新聞=憲法記念日 改正論議で国家観が問われる 高まる緊急事態法制の必要性
*日本経済新聞=憲法改正の論議を前に進めよう
以上の見出しからも察しがつくように、本来の憲法理念をどう生かすかを中心に論じている「理念尊重」派が東京、朝日である。一方、読売と日経は明らかに現行憲法に不満を抱く改憲論に立っている。両派に比べ中立の立場を匂わしながら、「論憲」という名の改憲姿勢であるのが毎日といえよう。
私(安原)自身は、「理念尊重」派に属している。観念的な「理念尊重」ではない。21世紀、特に「3.11」(2011年3月の大震災と原発大惨事)以後の日本再生は、「理念尊重」をどう具体化していくかにかかっている。憲法理念を軽視するようでは日本再生は正道を踏み外すことになるだろう。
▽ 人間らしく生きる ― 憲法25条の生存権
ここでは「人間らしく生きる」視点を重視する東京新聞社説の大要を以下に紹介する。
哲学書としては異例の売れ行きをみせている本がある。十九世紀のドイツの哲学者ショーペンハウアーが著した「幸福について」(新潮文庫)だ。次のようにも記されている。
《幸福の基礎をなすものは、われわれの自然性である。だからわれわれの福祉にとっては健康がいちばん大事で、健康に次いでは生存を維持する手段が大事である》
生存を維持する手段。まさしく憲法の生存権の規定そのものだ。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障した第二五条の条文である。
大震災と原発事故から一年以上も経過した。だが、岩手・宮城のがれき処理が10%程度というありさまは、遅延する復旧・復興の象徴だ。原発事故による放射能汚染は、故郷への帰還の高い壁となり、今なお自然を痛めつけ続けてもいる。
肉体的な健康ばかりでなく、文化的に生きる。主権者たる国民はそれを求め、国家は保障の義務がある。人間らしく生きる。その当然のことが、危機に瀕(ひん)しているというのに、政治の足取りが重すぎる。
生存権は、暮らしの前提となる環境を破壊されない権利も含む。当然だ。環境破壊の典型である原発事故を目の当たりにしながら、再稼働へと向かう国は、踏みとどまって考え直すべきなのだ。
国家の怠慢は被災地に限らない。雇用や福祉、社会保障、文化政策、これらの社会的な課題が立ちいかなくなっていることに気付く。例えば雇用だ。
◆50%超が不安定雇用
若者の半数が不安定雇用。こんなショッキングな数字が政府の「雇用戦略対話」で明らかになった。二〇一〇年春に大学や専門学校を卒業した学生八十五万人の「その後」を推計した結果だ。
三年以内に早期離職した者、無職者やアルバイト、さらに中途退学者を加えると、四十万六千人にのぼった。大学院進学者などを除いた母数から計算すると、安定的な職に至らなかった者は52%に達するのだ。高卒だと68%、中卒だと実に89%である。予想以上に深刻なデータになっている。
労働力調査でも、完全失業者数は三百万人の大台に乗ったままだ。国民生活基礎調査では、一世帯あたりの平均所得は約五百五十万円だが、平均を下回る世帯数が60%を超える。深刻なのは、所得二百万円台という世帯が最も多いことだ。生活保護に頼らざるをえない人も二百万人を突破した。
とくに内閣府調査で、「自殺したいと思ったことがある」と回答した二十代の若者が、28・4%にも達したのは驚きだ。「生存を維持する手段」が瀬戸際にある。もはや傍観していてはならない。
一九二九年の「暗黒の木曜日」から起きた世界大恐慌で、米国は何をしたか。三三年に大統領に就任したルーズベルトは、公共事業というよりも、実は大胆な失業救済策を打ち出した。フーバー前政権では「ゼロ」だった失業救済に、三四年会計年度から国の総支出の30%にもあたる巨額な費用を投じたのだ。
当時、ヨーロッパでも使われていなかった「社会保障」という言葉自体が、このとき法律名として生まれた。「揺りかごから墓場まで」という知られたフレーズも、ルーズベルトがよく口ずさんだ造語だという。
翻って現代ニッポンはどうか。社会保障と税の一体改革を進めるというが、本音は増税で、社会保障の夢は無策に近い。「若い世代にツケを回さないため」と口にする首相だが、今を生きる若者の苦境さえ救えないのに、未来の安心など誰が信用するというのか。ルーズベルトの社会保障とは、まるで姿も形も異なる。
◆現代人は“奴隷”か
十八世紀の思想家ルソーは「社会契約論」(岩波文庫)で、当時の英国人を評して、「彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民はドレイ(奴隷)となり、無に帰してしまう」と痛烈に書いた。
二十一世紀の日本人は“奴隷”であってはいけない。人間らしく生きたい。その当然の権利を主張し、実現させて、「幸福の基礎」を築き直そう。
▽ <安原の感想> 脱「奴隷」から日本の再生は始まる
東京新聞社説の末尾の指摘は「刺激的」であり、かつ「挑発的」でもある。<二十一世紀の日本人は“奴隷”であってはいけない。人間らしく生きたい。その当然の権利を主張し、実現させて、「幸福の基礎」を築き直そう>と。
憲法18条(奴隷的拘束からの自由)に「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」とある。この憲法の条項をどれだけの人が理解し、脳裏に刻みつけているだろうか。「刺激的」とは、「えっ? そんなことが憲法に書いてあるの」と驚く人が少なくないだろうからだ。一方、「挑発的」とは、黙っていていいのか。変革のために立ち上がれ、と促しているとも理解できるからだ。
何をどう変革するのか。上記の社説にそのデータが満載である。変革とは、少なくとも以下のような悪しき現実を改善することだ。
・若者の半数が不安定雇用
・完全失業者数は三百万人の大台に乗ったまま
・一世帯あたりの平均所得(約五百五十万円)を下回る世帯数が60%超
・生活保護に頼らざるをえない人も二百万人を突破
・「自殺したいと思ったことがある」二十代の若者が、28・4%にも
多くの人は今や「豊かさ」よりも「幸せ」を求めて生きている。その幸せを実現させるための第一歩は「自分は奴隷に甘んじているのではないか」と自覚することから始まるにちがいない。つまり脱奴隷への道を見すえることだ。
そのための必要条件として、脱原発との連携が不可欠であるだろう。考えてみれば、原発推進のための原発複合体(政官財のほか学者、メディアなどが構成メンバー)そのものが民衆・市民を奴隷的拘束状態に閉じ込める装置として機能してきた。当初から反原発の少数派は別にして、原発容認の多数派は、奴隷状態に置かれていることに無自覚であった。
しかし「3・11」を境に反原発の少数派が多数派に成長した。つまり脱奴隷への道を着実に歩みつつある。もはや逆流はあり得ないだろう。いったん自覚した奴隷が再び無自覚の奴隷へと転落することはあり得ない。ここから日本の再生が始まる。
初出:安原和雄のブログ「仏教経済塾」(12年5月4日掲載)より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1935:120504〕
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