「抵抗の心ゆるめじ あやまてる核権力の ゆくてみつめて」(森瀧市郎)
- 2012年 5月 16日
- 時代をみる
- 加藤哲郎原爆原発
2012.5.15 「沖縄復帰40年」で、新聞やテレビの特集が組まれています。でも「サンフランシスコ講和独立60年」の方から見た方がわかりやすいのが、現在の日本。朝鮮戦争のさなか、「独立」の名で米軍直接占領下の沖縄・奄美を切り捨て、ようやく独立したの「だからこそ」と当時の科学者たちは「原子力の平和利用」を求め、「自主・民主・公開」3原則での日本経済自立=欧米へのキャッチアップを夢見ました。中曽根康弘と正力松太郎がそこに目をつけて便乗し、日本における原発導入・商業化の道を拓きました。もう5年遡ると、日本国憲法65周年になります。中国新聞「ヒロシマ平和メディアセンター」には「フクシマとヒロシマ」 特集欄のほか、膨大な「ヒロシマの記録」ページがあります。1970年以後しかないように見えますが、「次へ」をクリックして遡ると、1945年8月以後の詳しいニュース記録がデータベースになっています。その1947年5月15日の記録。 アーネスト・ホープライトUP特派員が「スターズ・アンド・ストライプス(米軍星条旗紙)」に広島訪問記。「浜井広島市長は国連原子力管理委員会に出席し、原子力を平時に使用することの必要性を述べたいと語った。現在の広島にはアメリカに対する親しみを示すものが多くある。」 さらに遡ると、1946年7月2日に、木原広島市長がビキニの原爆実験で談話。「広島に対する原子爆弾が世界の平和を促進し、市民の犠牲がその幾百倍、幾十倍の世界人類を戦争の悲劇から救出することが出来た。ビキニ実験は広島の当時の惨状を改めて世界に訴える好機である。世界の同情は自ずから広島へ集まるであろう。平和をもたらした原子爆弾が破壊のためでなく、永遠の平和を確立し原子力が人類の幸福のために利用されることを念願する。」ーーこうした原爆・原子力観が、当時は支配的でした。
勝者=アメリカの方は、余裕がありました。「ヒロシマの記録」1946年8月4日に「ヒギンボタム米科学者連盟会長が原子力の未来語る。原爆攻撃こそが原子時代の幕開け。大衆は原子力を兵器としてしか考えていないが、2年もたてば原子力発電が実現し、5年もすれば原子力が巨船を動かす」と助言します ーー2011年3・11以後の日本は、1945年8月以降のこの国の「復興」の仕方と照らし合わせると、さらによく見えてきます。「第一の敗戦」時は、「原子力の平和利用」ならぬ「原爆の平和利用」の時代でした。いま「第二の敗戦」というべき東日本大震災・福島原発事故のもとで、野田首相は「サンフランシスコ講和独立60年」の日にあわせて訪米し、日米首脳会談で「動的防衛力の構築」「安全保障、エネルギー分野などで包括的な協力関係」を合意しました。「付属文書では日米が原子力協力委員会を設け、原発の廃炉や除染などで共同活動を進めると明記」したとのこと。沖縄の基地移転についても、原発再稼働についても、日本国民に対しては曖昧にしたまま、基本方向を、まずは米国に伺いを立てて決めています。いま、ホンモノの「平和国家」への、再出発の仕方が問われています。
You tube から、「ザマナイ (時代)」 という音楽ビデオを入れました。一度 2009年8月NHKの「ノーモア・ヒバクシャ」という原爆記念日特集番組でうたわれたことがあります。旧ソ連の中央アジア、現在のカザフスタンの反核ヒバクシャ運動のなかで歌い継がれてきた歌です。うまれた場所は、カザフスタンのセミパラチンスク、1949年8月29日、旧ソ連で初めての原爆実験が行われたところです。ソ連の崩壊する1991 年の実験場閉鎖まで、459回の核実験が行われ、推定120万人のヒバクシャを産んだ、世界最大の核人体実験場です。「占領下の原子力イメージ」「日本マルクス主義はなぜ『原子力』にあこがれたのか」に続いて、「唯一の被爆国」と「核アレルギー」の神話を追いかけているのですが、「フクシマ」が新たに加わる「ヒバクシャ」の歴史と世界的広がりを調べていて、「ザマナイ (時代)」に出会いました。映像でも見られますが、森住卓さんの写真をバックに、「心ない仕打ちよ ザマナイ ザマナイ ザマナイ 清き故郷はなぜ消えた 哀れなるわが大地 数え切れぬ爆発閃光に 引き裂かれたわが心よ 」と、TOMOKOさんの日本語版はうたいます。
このほかに、NHK特集でも放映されたカザフの歌姫ローザ・リンバエバさんのカザフ語の歌に、「優しき心を欲する この時代 ザマナイ ザマナイ 悲しいかな清らかな故郷は汚された あわれなりわが祖国 奪われ苦しめられた かつての自由は奪われ 悲しみに代わった 大地は核の閃光に 目を開けられないだろう」というアケルケ・スルタノバさんの訳詞もあります。アケルケさんは、「ザマナイ」の日本への紹介者、実は私の一橋大学時代のゼミ生です。YOKOさんのon this Blue Planetは、「癌、白血病、心臓病…他にも様々な病気や障害児出生率の増加、若年での死亡率の増加、そして自殺率の増加。ペレストロイカを機にカザフスタン全土で200万人が抗議運動に参加。「ザマナイ」はこの運動と共に歌われ、多くの人々に勇気を与えた。1989年、セミパラチンスク核実験場を閉鎖させることに成功したが、周辺住民の苦しみは今日も続いている。人類は、核と共存することはできない」と紹介しています。ヒロシマ・ナガサキでも、ヒバクシャは、当初「被災者」「原爆病」「障害者」とよばれ、差別されました。今こそ私たちは、世界のヒバクシャに学ぶ必要があります。
旧ソ連では、チェルノブイリのほかにも、いくつもの核実験・原発事故がありました。いや1949年のセミパラチンスク核実験以来の封印された放射能拡散・人体実験のデータがあったからこそ、軍主導で住民の強制移住ができたのでしょう。ヒロシマもセミパラチンスクも、チェルノブイリもフクシマも、「その日のあとで」ヒバクシャが生まれ、長期の深刻な放射能汚染にさらされ、とりわけこどもたちが苦しむのは、同じなのです。核の問題性には、「軍事」利用も「平和」利用もありません。人類による統御が困難な破壊力と核分裂生成物を産み、ただ「戦時」利用と「平時」利用の使い分けがあると考える方が、20世紀後半以降の世界史が、よく見えてきます。「原水爆時代」と「原子力時代」は異なるとして、後者に希望を託し前者の核兵器に反対したのが、武谷三男以来の日本の平和運動でしたが、それは「核時代」のコインの片側だけでした。「ヒロシマからフクシマへ」を理解するには、それとは別の、原理的思考を必要とするようです。
こんなことを、来る5月26日(土)午後1時30分−5時、明治大学リバティータワー1101号室、社会運動史研究会・現代史研究会主催「全ての原発の終焉をめざして」で、「反原爆と反原発の間ーー日本マルクス主義からなぜ高木仁三郎、小出裕章は生まれなかったのか」という講演にして話します。後援・協賛団体には、ちきゅう座のほか、変革のアソシエ・九条改憲阻止の会・ルネサンス研究所も加わったようです。「占領下の原子力イメージ」「日本マルクス主義はなぜ『原子力』にあこがれたのか」に続く第3弾ですから、今度は森瀧市郎・池山重朗・水戸巌・久米三四郎・高木仁三郎、そして今日の小出裕章さんにつながる「反原発」思想・運動史の方を主にとりあげ、武谷三男・徳田球一・日本共産党の系譜は従の反面教師とします。5月26日は、歴史学研究会大会や、明治大学に近い日本教育会館での「さようなら原発」講演会なども開かれます。私の講演会は、「人類は核と共存できない」の学習会風になります。歴研大会に合わせて、講演「占領下の原子力イメージ」を活字化した論文が、歴史学研究会編『東日本大震災・原発事故と歴史学』(青木書店)に収録され公刊されます。『インテリジェンス』第12号の「占領下日本の情報宇宙と『原爆』『原子力』――プランゲ文庫のもうひとつの読み方」の短縮版です。「国際歴史探偵 」の方では、かつての「 CIA:緒方竹虎を通じ政治工作 50年代の米公文書分析」を拡張して、共同研究者の吉田則昭さんが『緒方竹虎とCIA― アメリカ公文書が語る保守政治家の実像』(平凡社新書)として公刊します。 産経新聞5月11 日のスクープ報道「独に流れた…ソ連対日参戦のヤルタ密約情報 「小野寺電」に有力証拠」には、資料を提供し、コメントしておきました。消費税増税に「いのちをかける」野田首相、「「津波で電源喪失」認識 海外の実例知りつつ放置 06年に保安院と東電 福島第1原発」が今頃になって明るみになりながら大飯原発再稼働へと走る政治家と官僚。この国の政治は、海図を持たないまま、漂流中です。
「加藤哲郎のネチズンカレッジ」から許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1944:120516〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。