「祖国から成る欧州」か「欧州合衆国」か -それとも「南北分裂」か-
- 2012年 5月 27日
- 評論・紹介・意見
- ギリシャユーロ危機伊藤力司
1999年1月に欧州単一通貨ユーロが華々しくスタートしてから13年。ギリシャの債務問題から1年半くすぶり続けてきたユーロ危機は、5月6日の総選挙でギリシャ国民が「緊縮政策ノー」を突きつけたため、一挙に爆発した。この総選挙結果で後継内閣ができなかったギリシャは6月17日に再選挙をするが、再選挙でギリシャがユーロから脱落するとの予測が市場を駆け巡っている。事はギリシャだけで済まず、南欧諸国ユーロ離脱に追い込まれはしないか-そんな不安がグローバル化した各地の相場を動揺させている。
第2次世界大戦後、「戦争はもうこりごり」と思い定めた欧州大陸中心部のフランス、西ドイツ(現ドイツ)、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク6カ国が1,952年、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)を発足させたのが欧州統合の第1歩であった。戦争遂行に絶対必要な石炭と鉄鋼の管理を共同化することが不戦ヨーロッパにつながるとの、当時のロベール・シューマン仏外相の熱意が6カ国を合意させた。
その後1958年に欧州経済共同体(EEC)=欧州共同市場=と欧州原子力共同体(EURATOM)が原6カ国でスタート、67年にはECSC、EEC、EURATOMの3機関が統合されて欧州共同体(EC)が誕生した。6カ国による統合の成功を見た周辺諸国は73年に英国、アイルランド、デンマークがECに加盟。81年にギリシャ、86年にはスペイン、ポルトガルが加盟して、欧州共同体は12カ国に倍増した。
1991年の冷戦終結で、欧州の東西分裂に終止符が打たれると統合の動きは加速、93年に欧州連合条約(マーストリヒト条約)が発効して、統合の度合いを強めた欧州連合(EU)がスタート。加盟国が国家主権の一部をEUに移譲し①経済通貨統合②共通外交・安全保障③司法・内務協力-の3政策を追求することとしたのである。95年にはオーストリア、フィンランド、スウェーデンがEUに加盟した。これで欧州統合は15カ国に。
マーストリヒト条約の批准で経済通貨統合が進み、93年1月には単一市場が発足。99年1月には欧州経済通貨同盟(EMU)が成って、単一通貨ユーロが英国、スウェーデン、デンマークを除く12カ国に導入された。2007年にスロベニア、08年にキプロスとマルタ、09年にスロバキア、11年にエストニアが参加してユーロ圏は計17か国に拡大。この間04年5月にポ-ランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、スロベニア、エストニア、リトアニア、ラトビアの旧ソ連圏諸国とマルタ、キプロスが、07年1月にはブルガリア、ルーマニアが加盟してEUは27カ国体制になった。
1960年代のドゴール(仏大統領)=アデナウアー(西独首相)時代、2度の大戦悲劇を体験した両首脳は、何世紀にもわたって敵対を繰り返してきたフランスとドイツが、欧州統合のプロセスに参加して和解を着実に進めることを、歴史の教訓とした。以後ポンピドー=ブラント、ジスカールデスタン=シュミット、ミッテラン=コール、シラク=シュレーダー、サルコジ=メルケルの歴代仏独首脳コンビは、所属する政党のイデオロギーは異なったが、仏独連合こそ欧州統合の要である点で一致して統合をリードした。
ドゴール=アデナウアー時代の合言葉は「祖国から成る欧州」であった。欧州諸国はそれぞれ異なる言語と文化を持ち、神聖ローマ帝国解体後はそれぞれ固有の歴史を形成してきた。それぞれの祖国の歴史と文化と民族性を尊重しながらも、共通の要素であるキリスト教とギリシャ・ローマ文明を媒介に欧州人としての一体性を確認しよう-それが「祖国から成る欧州」、あるいはそれぞれの祖国のアイデンティティーを維持しながら、欧州統合によるメリットを享受しようという魂胆であった。
しかし西ヨーロッパを結束させてきた東西冷戦が“解凍”され、旧ソ連圏の東欧諸国やバルカン諸国がEUに加盟する時代になると、「祖国から成る欧州」のスローガンだけでは律しきれなくなってきた。ギリシャや旧ソ連圏の東欧諸国のキリスト教は東方正教会であって、西欧のカトリックやプロテスタントとは肌合いが異なる。西欧では通る「祖国から成る欧州」の原則を東欧、バルカン、ギリシャの「東方正教会」世界に適用するのが危なかしいことは、ギリシャ危機が発生する前から西欧では秘かに語られていた。
ローマ帝国が395年東西に分割されて以来、ビザンチン(イスタンブール)を首都とする東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は東方正教会(Orthodox Church)を発展させ、一時はローマを首都とする西ローマ帝国より隆盛を極めた。しかし7世紀にアラビア半島を席巻したイスラム教が北進して帝国を浸食。特に13世紀末小アジアから勃興したオスマン・トルコ帝国は、皇帝がイスラム教のカリフ(教皇)の名の下に中東、北アフリカからイベリア半島まで、さらにバルカン半島から中部ヨーロッパにまで版図を拡げた。その結果、ギリシャを含む旧東ローマ帝国領はイスラム教と正教会が混在する、西欧キリスト教社会から見ると「一風変わった、ややこしい」世界になったのである。
EECでスタートした6カ国でさえ祖国は異なったのに、東方正教会の国々を加えた欧州統合となると、異文化の国々をまとめるルールが必要になる。それがマーストリヒト条約であり、「欧州合衆国」へ進もうとする第一歩であった。単一通貨ユーロの誕生は、「祖国なき合衆国」を人工的に生み出そうとする試みだった。そこに無理があることは、英国、スウェーデン、デンマークなどの有力国がユーロ圏に加わらなかったことで示された。しかしEUの多数派17か国はほぼ10年間、強いユーロのおかげで得をした。
しかし西欧とは異質なギリシャが破綻した。2010年10月総選挙で政権交代した全ギリシャ社会主義運動(PASOK)のパパンドレウ首相は、それまでの新民主主義党(ND)の政府が、国の債務は国内総生産(GDP)の3%以下にするというユーロ参加国のルールに違反して、ギリシャ国債発行高がGDPの13%を超えていたことを暴露した。ルール違反判明でギリシャ国債は暴落して利回りは高騰、その結果デフォルト(default=債務不履行)の怖れが市場に一挙に広がった。事はギリシャ国債危機だけで済まず、ユーロ危機に拡大した。
その理由はEU内部に潜在している南北問題である。フランス以北のベルギー、オランダ、ドイツ、デンマーク、スウェーデンなどの諸国は総じて勤勉な国民性を共有し、経済的に信用できる。一方フランス以南のスペイン、ポルトガル、イタリアなどの南欧諸国は陽気なラテン気質を共有し、享楽的だが勤勉とは言いかねる国民性を持つ。経済的信用度に欠ける国々だ。「いい加減」なビザンチン気質を持つギリシャの国債が危なくなった途端、南欧ラテン諸国の国債にも危機が蔓延した。いっそのことEUの北側の国が北部同盟を結成したらユーロ危機は解消するはずだが、南欧の危機がさらに深刻化しEUは解体する。
それでは数十年にわたって積み重ねてきた欧州統合は、完全に破綻してしまう。歴史を振り返ると、欧州は17世紀前半30年にわたったカトリックとプロテスタントの宗教戦争で膨大な戦死者を出し、欧州中の男の数は半減したとまで言われた。これに懲りた欧州の諸王国は1648年ウェストファリア条約を締結して、他国の内政に干渉しないことを誓った。それから1世紀半後のナポレオン戦争まで、ヨーロッパは平和を保ったが、「堅忍不抜」のドイツが20世紀前半に2度にわたる世界大戦の口火を切り、欧州はまたも悲劇を繰り返した。悲劇を2度と繰り返すまいと誓った仏独が中核となって、ここまで進めた欧州統合である。
今回のユーロ危機は、オランド仏大統領とメルケル独首相の新コンビを中軸に何とか切り抜けるのではあるまいか。切り抜けられれば、いよいよ「欧州合衆国」へ進む以外にない。それは何十年かかるかわからないが、2度と戦争はしないと誓った欧州がいずれ到達するコースであろう。さもなければ欧州は南北に分裂し、その行き着く先は第3次世界大戦だ。そんな愚かなコースをヨーロッパ人は辿るまいと期待しよう。(了)
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