尊厳死の法制化に反対する
- 2012年 6月 2日
- 時代をみる
- 宇井 宙尊厳死
超党派の「尊厳死の法制化を進める議員連盟」(会長・増子輝彦民主党参院議員)がいわゆる尊厳死法案(「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」)の今国会か次期臨時国会への提出を目指している。今年の3月22日には衆議院第2議員会館で総会を開き、「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案」(仮称)(↓)を公表した。
http://www2.odn.ne.jp/~aas49970/120322/songenshi12032203.pdf
ここでは、患者が延命治療の差し控え(不開始)を希望する意思表示をしていた場合で、かつ2人の医師が「終末期」であると判定した場合には、延命治療の不開始を行った(開始をしなかった)医師の刑事上・民事上・行政上の責任を問わないとしていたが、新聞報道によると尊厳死議連は5月31日にこの原案を修正し、免責対象となる医師の行為を、人工呼吸器の取り外しなど「現に行っている延命治療の中止」にまで拡大する方針を決めた。議連は6月6日に総会を開いて修正案を公表する予定だという。
この法案に対しては、障害者や弁護士の団体などが反対を表明しているが、今のところ社会的な関心はそれほど高まってはいないように思われる。しかし、非常に重大な問題をはらむ法案であるので、今回はこの修正前の原案に即して基本的な問題点をまとめてみた。(修正案はその問題点をさらに拡大することになるであろう。)
尊厳死法案の骨子は第7条と第8条であり、簡単に言うと、「患者が延命措置の不開始を希望する旨の意思を書面その他の厚生労働省令で定める方法により表示している場合」(満15歳以上)で、かつ、「当該患者が終末期に関わる判定を受けた場合」に、医師が延命措置を行わなくても刑事責任・民事責任・行政責任(過料も含む)を問われない、という制度である。
この中に出てくる「終末期」と「延命措置」という言葉については、第5条に定義条項があり、それによると、「終末期」とは「全ての適切な治療を受けた場合であっても回復の可能性がなく、かつ、死期が間近であると判定された状態にある期間」であり、「延命措置」とは「単に当該患者の生存期間の延長を目的とする医療上の措置(栄養又は水分の補給のための措置を含む。)をいう」とされている。そして、「終末期に係る判定」は第6条で、「必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う判断の一致によって、行われるものとする」とされている。
なお、この法律案(仮称)には、末尾に法案の提出理由がつけられているが、それには、「終末期の医療において患者の意思が尊重されるようにするため、終末期に係る判定、患者の意思に基づく延命措置の不開始及びこれに係る免責等に関し必要な事項を定める必要がある。これが、この法律案を提出する理由である」と述べられている。
この提出理由によれば、患者があらかじめ延命措置の差し控え(修正案では「中止」も含まれる。以下同様)の意思表示をしている場合に、その意思を尊重することと、患者の医師を尊重して延命措置の差し控えを行った医師を免責することが目的であるかのように見える。では、本人が意思表示をしていなかった場合は、これまで通りなのか、といえば、どうもそうではないようだ。なぜなら、「終末期に係る判定」は患者の(延命措置を拒否する)意思表示の有無とは関係なく行われるような規定になっているからだ(第7条参照)。その結果、「終末期」と判定された場合には、「医師は……終末期にある患者又はその家族に対し、当該延命措置の不開始により生ずる事態等について必要な説明を行い、その理解を得るよう努めなければならない」(第3条)とされているから、意思表示を行わないまま意識不明になった患者が「終末期」と判定された場合には、家族の「理解」だけで延命措置が差し控えられてしまう可能性がある。
また、患者の意思表示の方法については、第7条で「書面その他の厚生労働省令で定める方法により表示している場合」としており、今後定められる省令次第で、いくらでも拡大される恐れがある。さらに、第10条では、「延命措置の不開始を希望する旨の意思の有無を運転免許証及び医療保険の被保険者証等に記載することができることとする」とも規定されており、延命不開始希望者を広げようとする強い意思が感じられるが、元気なうちに気軽に表明した「延命措置不開始」の意思が、重篤な病気に冒され、いざ終末期と言われるような状態になっても変わらないとは誰にも保証できないだろう。
また、そもそも「終末期」とは一体何なのか? 「死期が間近である」というが、「間近」とはどのくらいの期間なのか? 1週間なのか1カ月なのか3カ月なのか? そうした判断を医師は本当に誤りなく判定できるのか? 余命3カ月と言われて1年以上生きながらえる人はいくらでもいるだろう。これでは判定する医師によっていくらでも勝手に判断されることになってしまうだろう。また、小児科医の山田真氏は「延命措置」の定義もあいまいであると批判する。山田氏は「わたしたち医師が、特に成人の慢性病の人たちに対して行っている医療はほとんどすべて治癒させるものにはなっておらず、ただ生存期間の延長を図っていると言ってよい」ので、「わたしたち医者が日常行っているのはほとんどが延命措置である」と述べている。それゆえ、いくらでも拡大解釈可能なこの法案が成立すれば、患者は「簡単に終末期と判定され簡単に治療を打ち切られてしまう可能性を含む」と山田氏は危惧するのである(山田真「尊厳死法の危険な可能性」『現代思想』2012年6月号)。
山田氏の批判はさらに、延命措置の打ち切りが優生思想と結びつく可能性にも向けられている。いわく、「尊厳死の思想は人間が生きている状態に対してこれは尊厳ある生き方、これは尊厳の失われた生き方というふうに規定する」ので、「尊厳の失われた状態で生きることは無駄であり本人も望まないものだと決めつける」というのである。その結果、「例えば全面的な介助を必要とする重度の身体障害者などは一生を尊厳の失われた状態で生きている」と見なすような考え方につながる恐れが大きい。この批判の意味は重い。なぜなら、「尊厳死」の思想とは、すべての人間に尊厳を認める思想とは逆に、人間の生死に尊厳のあるなしを区別し、高齢者や難病者や障碍者の生を尊厳のないものと見なすような差別的な思想と表裏一体となっていることを示しているからだ。
それゆえ、いったんこのような法制化がなされてしまえば、意識がない人や認知症の人など自分で判断ができない人々が機械的に延命治療は必要なしとされてしまう危険があるだけでなく、難病患者や障碍者などが家族にかかる経済的・精神的な負担や「迷惑」を怖れて、延命措置の打ち切りを「自己決定」させられてしまう恐れ、少なくともそうしたプレッシャーを受ける恐れは劇的に高まるだろう。そもそも患者の自己決定権は、終末期に限らず医療のあらゆる場面において保障されるべきものであるのに、なぜことさら、自己決定が困難になる場面が多い終末期に限り、しかも死に直結する「延命治療の打ち切り」の場面に限って「自己決定」を言い募るのであろうか。その背後には、医師の免責と「“無駄な”医療費の抑制」という本音があるのではないか。適切な医療を受け、インフォームド・コンセント原則に基づいて患者の真の自己決定権を保障するような医療・福祉・介護体制が整備されていれば、「終末期」のみにおける「死への自己決定権」のみを保障することなど本来不要であるはずである。前者のような患者の権利を保障する体制が整備されていないことこそが真の問題であろう。
患者の「意思」や「自己決定権」の尊重という美辞麗句が、別の目的を隠すための名目なのではないかという懸念は、単なる杞憂ではなく、悪しき前例がある。1997年に成立した臓器移植法では、本人がドナーカードで事前に臓器提供の意思表示をしている場合に限って認められていた脳死下での臓器移植が、2009年に成立し2010年7月から施行された改正臓器移植法では、本人意思が不明の場合や子どもの場合にも家族の同意のみで提供できるように改悪された。これは、「脳死」は本人の同意がある場合にのみ限定的に認められるという旧法の思想の全面的な否定である。同じことが、尊厳死法案が成立した場合にも起こる恐れは極めて高いと言わざるを得ないだろう。しかも、尊厳死法が改正臓器移植法とセットになることにより、臓器不足を補うために、尊厳死させられた人の臓器を移植に利用する動き(あるいは移植用臓器を増やすための尊厳死者を増やす動き)が強まることは確実であろう。全国「精神病」者集団の山本眞理氏は、臓器移植法改悪後の初めての15歳以下のドナーの死が自殺であったが、それが徹底的に隠されたこと、日本で最初の膵腎同時移植のドナーが精神障害者だったこと、精神障害者はドナーになれてもレシピエントになれないことなど、臓器移植法につきまとう差別性を暴露している(山本眞理「死に向けた「自己決定権」の異様さにおののくこと」『現代思想』2012年6月号)。全国「精神病」者集団は今年1月27日に声明を発表し、その中で、「終末期」という曖昧な要件がどんどん拡大し、「遷延性意識障害者、重度障害者、精神障害者や知的障害者など「人格がない」とされてきたものへと広がっていくことは避け得ないと考えます」との懸念を表明しているが、私も同様の懸念を抱かざるを得ない。「医療はまず命に向けられた営みであり、死へ向けた営みであってはなりません。私たちは尊厳死ではなく、まず尊厳ある生が障害のあるなし、年齢性別にかかわらず保障される社会を求めます」という同声明に私も賛同する。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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