三木清と西田幾多郎の人間学 (2)
- 2012年 6月 19日
- スタディルーム
- やすい・ゆたか三木清西田幾多郎
1.三木から西田へ
2.存在論的人間把握
3.交渉的存在としての人間
4.交渉的存在の存在構造
5.三木清のアントロポロギー
(以上前回、以下今回)
6.基礎経験とアントロポロギー
7.内的人間と歴史的人間
8.純粋経験論とアントロポロギー
9.ノエシスとノエマ
(以下次回)
10.実在としての薔薇の意識
11.絶対無の場所
12.「死して生きる」と自己表現としての事物
——————————————————————————-
6.基礎経験とアントロポロギー
野口:三木の人間学と基礎経験との関連が分かりにくいのですが、基礎経験は一方で論理化できないようなものだとしながら、人間学の基礎になるような経験でもあるわけでしょう。そこが整理されていないような感想を持ったのですが。
やすい:そうですね、ロゴスによって指導され、支配されている日常的な経験とは区別されたものとして「基礎経験」が位置付けられています。既存のロゴスでは救済できない、止揚できないものであり、ロゴスの支配できない根源的な経験であるとしています。それは「不安的動性」であり、言葉では表現できないので、現実の経験としてはひとつの闇であると云われているのです。
野口:かといってそれは神秘的なものではない、全く単純なる原始的事実だというわけです。そして基礎経験の概念によって、素朴実在論から脱却するとしています。
やすい:そこで人間は、物自体のようなものではなく、植物と環境のようなものでもないとしています。人間は他の存在との動的な連関的関係として交渉的関係にあって、その中で互いに意味付けられ、現実的になり、自己を実現するわけです。
野口:基礎経験は、この交渉的関係の中で、既に在るロゴスによって予め強制されることのないものを意味するというのですが、どういう意味でしょう。
やすい:基礎経験は論理の枠に収まらないという意味では、非合理的なものの如く受け止められやすいのです。そして確かに抑えがたい生命の欲動と深く関わっているのですが、人間の交渉的関係を一定の秩序に押さえ込もうとする力に、根源的な人間の生命力が反発するということです。
野口:ニーチェの『悲劇の誕生』におけるディオニソス的なものアポロン的なものの対置で言えば、三木の基礎経験はディオニソス的なものにあたり、これをアポロン的なロゴスが表現して、枠をはめ限定します。しばらくはそれで安定している様にみえますが、それに収まりきれず、再びアポロン的なものをディオニソス的なものが氾濫して、押し流してしまうのです。三木はこれをプロレタリアの基礎経験の分析に使ったわけでしょう。
やすい:使おうと考えたでしょうね。しかしいわば「闇のパトス」のようなものですから、形容しがたくてうまくは使えません。プロレタリアの運動のエネルギーをこういう論理で説明しますと、それを指導しようとする前衛政党は、理性的に対応できなくなります。既成左翼から反発されたのもそのためです。ただし唯物史観を生の哲学から説明する試みとしては、大変わかり易いですね。
野口:基礎経験とイデオロギーの間に人間学を挟んだのが良かったと思います。基礎経験を搾取と抑圧の現実としますと、そこから直接それらを否定した階級闘争と革命の理論がイデオロギーとして性急に提起されがちです。既成の唯物史観は、そういうものでしたね。ところが間に人間学を挟みますと、基礎経験から先ず世界がどのように見えるかが論じられます。第一次の論理化ですね。その上に立ってその世界をどうすべきかというところでイデオロギーの形成という第二次の論理化がなされるということになります。
やすい:基礎経験を全部非合理な闇としてしまいますと、人間学という第一次の論理化もできません。衝動的な闇の部分も含む日常的経験として基礎経験を捉えてはじめて人間学が成り立つと思います。その点の明確化は必要でしょうね。人間学はある程度、日常生活の論理として機能していますが、やがて社会の変動や生活の危機、労働現場での矛盾の先鋭化、さらには政治的な危機の深刻化などで、既成の交渉関係が破綻し、人間学が今までどおりでは行かなくなるわけです。そして基礎経験の変化と人間学の変化によって、やがてイデオロギーの組換えも迫られるようになるのです。このように三層的に唯物史観を展開することは理論の豊富化であり、発展なのですが、生の哲学という不純物を唯物史観に紛れ込ませたと、俗流的な唯物論者たちが反発したのでしょう。
野口:基礎経験の第一次の論理化を「人間学」と呼んだのはどうしてですか。
やすい:それは交渉的存在として諸個人や諸事物が、人間の交渉的ふるまい、実践を表現したものであり、それらが人間の定在なのだからです。
7.内的人間と歴史的人間
野口:三木は西田哲学を歴史的人間の人間学として深めたのでしょう。あきらかに三木は一九二七年の「人間学のマルクス的形態」でその立場に到達していましたね。その時、西田はどうでしたか。
やすい:西田はまだ小論「人間学」で社会や歴史から人間を論じることを「外的人間」とし、社会や歴史を形成する人間自体は社会や歴史に還元できないという発想で、哲学を「内的人間学」と規定していました。
野口:やがて西田もマルクスの影響を受け、三木の成果の上に立って、歴史的人間学に到達したのでしょう。
やすい:ええ、西田は「人間学」への跋文で「私は今後人間学といふものを書くことがあるならば、此論文と非常に異なつたものとなるであらう」と断り、「人間は歴史的人間であり、創造的世界の創造的要素といふ如きものでなければならない」としています。それで西田の立場は「内的人間学」から「歴史的人間学」へと転回しているとみなせます。そこには田辺や三木の人間学の影響が考えられるのです。
8.純粋経験論とアントロポロギー
野口:西田幾多郎のアントロポロギーつまり人間学というのはあまりなじみのない表現ですね。やすいさんは西田哲学自体が丸ごと人間学だとおっしゃりたいわけでしょう。
やすい:『善の研究』で純粋経験を唯一の実在だとしたのも、そういう意味があります。純粋経験は人間の経験ですからね。花を見れば花が人間の経験なのです。パースの「記号=人間」論やジェームスのラジカル・エンピリシズム(根本的経験論)のように人間を経験の流れと考えれば、花もまた人間だということです。
野口:それは人間と人間の経験を混同している議論です。「花もまた人間なのではなく、花も人間の経験」だということでしょう。純粋経験においては主観と客観は未分化ですから、花と人間が未分化だと言われるのでしょうが、それは意識において言われることでして、事物としての花とそれを見ている人間とは明らかに別物です。
やすい:ですから、純粋経験の方を唯一実在だとしますと、事物としての花やそれを見ている主観は、純粋経験の解釈として反省によって捉えられるわけです。ということは、西田に言わせれば純粋経験としての花は人間の経験だけれど、事物としての花よりも実在的だということです。
野口:そうしますと、純粋経験が唯一実在であり、また人間であるという西田の議論はまさしく唯人間論ということになりますね。
9.ノエシスとノエマ
やすい:純粋経験から自覚へさらに絶対自由意志へと突き詰められていきますが、それは決して、意識経験から主観や意志を切り離すのではないのです。意識を統合する意識自身の働きを自覚や絶対自由意志として捉え返し、そこにおいて意識経験が成り立つことを説いているのです。
野口:意識経験が成り立つ主観と、その意識経験の中身を区別してはいけないということですか。
やすい:もちろん区別しているからこそ、その区別の仕方を西田は問題にしているのです。デカルトやカントでは意識する主観と意識内容は超越的です。意識する主体としての自我が先ずあって、それが意識をしているわけです。この自我が存在するということは、デカルトによれば「我思う、故に、我有り」であるから絶対に疑えないというわけです。しかし意識しているということは、意識する主体が先ず在って、その主体が意識を生み出しているとは限りません。
野口:デカルトのように、意識する主体の実在が、意識しているという事実からだけ帰結されますと、意識は身体の有無に依存しなくなり、霊魂として誕生以前から存在して、肉体と結合していたことになります。その点、イギリス経験論では意識自身の内部に意識を統合し、整理する働きを認めようとしていたようです。
やすい:つまり自我や霊魂を「もの」として実体化せずに、意識自身の働きとして捉え返していたわけです。その意味で西田は経験論の伝統に忠実です。ですから意識内容と自我=霊魂は別物ではないわけです。
野口:同じ意識の統合する働きと統合された対象との違いとして、やはり人間の主観と客観的な事物、例えば花は区別されるのでしょう。
やすい:それが意識の作用面であるノエシスと、同じ意識の対象面であるノエマの違いでしかないんです。
野口:人間の身体と他の事物とは空間的に離れていることは否定できないでしょう。身体的に別物として認知できる以上、花や鳥や獣や石や道具や建物を人間だというのはやはり納得できませんね。
やすい:その思いは西田にもあります。人間身体と他の事物は明らかに他者ですし、それらが人間だというのは間違っているとは思っているのです。でも人間とは何かということを考えますと、人間を人間の身体に還元できません。人間にあらざる物に自己を表現し、物の中に自己を見出すのです。
野口:ヘーゲルの言い方だと、「他在にあって自己のもとにある」ということですね。
やすい:ええ、むしろ絶対無の自覚に立って、「物と成って見、物と成って考える」ことを強調します。
野口:確か「物と成って考え、物と成って行ふ」となっていたと思います。『日本文化の問題』でしょう。これは「物に成りきる」ことを大切だと「無心」の境地を説いたものでして、決して物が人間になって考えたり、行動したりするという意味ではありません。
やすい:全集第十二巻三二四頁では、見ることが働くことであり、働くことが見ることである行為的直観においては見ることは物となることであり、、物となって考え、物となって働くことだとしています。また三二七頁にも同じ主旨の文章があります。また三七七頁では、「我々は何処までも我を主張することによって創造するのではなく、真に物になって考え、物となって行うところに創造するのである。」と表現されていますから、物の考える機能を物と一体化した人間が補完していることになります。そのことによって逆に物は人間を表現し、人間の一部と成っていることになります。西田は三木が「交渉的世界」と呼んだのに対して、「表現的世界」と呼んでいますが、やはりこれも人間学的発想です。あえて人間と事物の断絶を克服して、物に成り切ることを説くわけです。それが行為的直観でもありますし、「絶対矛盾的自己同一」という発想も、人間はむしろ身体以外の事物を自己の定在とするところに特色があるわけです。たとえば大工さんは大工さんの身体ではなく、彼が建てた家こそが彼のアイデンティティであるわけです。
野口:いや、建物の出来で評価されるにしても、建物自身が大工ではなくて、その建物を建てた行為の主体としての仕事ぶりにこそ、大工の存在があるわけです。それを対象面だけで捉えて、大工と家を混同することを、ノエシスとノエマの対置で西田は批判しているのではないですか。
やすい:それはあくまで「有の場所」で言えることです。家は家を建てたり、家に住んだり、家を見たりする作用、つまりノエシスを捨象して、ノエマ面だけを捉えますと、事物として大工や居住者とは区別されます。でも家が家としての居住空間であるためには、そこに住むことやそれを見ることなどを含まないといけないのです。
野口:三木の言い方だと「交渉的存在」ですね。
やすい:ええ、そうです。家は住むことに関係する意識活動の集合として、意識の場所に現れます。この「意識の場所」が述語論理で捉えられる「無の場所」です。
野口:事物が有に対して意識が無ということですか。意識のレベルではあくまでも有ですよね。
やすい:事物の有というは主観としての意識を捨象して、客観としての事物が有ることを主張しています。それに対して、その有は主観の意識としての有でしかなく、それ自体としては無であることを自覚の立場に立った意識は自覚するわけです。
野口:カントの立場からは、事物はすべて感覚を素材に構成された現象に過ぎないということですね。もっともカントの物自体というのは、感覚に現れないのですから、意識としては「無」だということになります。
続く
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study513:120619〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。