国会前に100万市民が集まれば、野田「自民党代行」内閣も原発推進を続けられないのでは?
- 2012年 7月 2日
- 評論・紹介・意見
- 加藤哲郎紫陽花革命脱原発
2012.7.1 ようやく参与観察できました。毎週金曜夜の首相官邸・国会前脱原発デモ、3月の300人からどんどん大きくなって、メキシコ・アメリカの日本に関心を持つ若者たちも注目していた日本版「オキュパイ・霞ヶ関」、または「紫陽花革命」といわれるまでになったとか。野田内閣の再稼働決定後、先々週1万5千、先週4万5千と参加する市民はうなぎのぼりです。1960年5月の国会強行採決から国民の怒りが爆発し、改訂安保条約が発効しても岸内閣退陣を導いた60年安保闘争を想起させます。6時からの行動予定なのに、5時半頃には身動きできず、体調が思わしくないので、反対側の歩道の石塀に腰を下ろしてじっくり観察。といってもお年寄り多数、お子様づれ若いママの集団も、外国人もいっぱい、女性の数が目立ちます。マイクのある歩道の反対側で「再稼働反対」のシュプレヒコールが始まると、正式会場の何キロか後ろの方でも、私たちのいる反対側の歩道でも、誰かが「再稼働反対」と叫べば数十人がただちに呼応します。もちろん腰をおろした私やまわりの老人たちも、仕事帰りで通りかかっただけらしい急ぎ足のサラリーマンも、小さな声で「再稼働反対」、でもそれらがこだまし、反響して、首相官邸にも確実に届いています。帰宅して見たテレビでは、組合旗・全学連旗が見られないと解説されていました。正確には多少赤旗が混じっていても、それぞれ手作りで持ち寄ったプラカードに囲まれ、ほとんど目立たないかたち。60年安保世代の知り合いと何人かお会いしましたが、それも多様な老若男女の群れのなかでは「やあ」の一声でデモの渦のなかに。前回4万5千人より多いのは5時半頃でもわかりましたが、主催者発表15万人ー20万人というのも、昔の政党や組合動員の会ではありませんから、大ざっぱでしょう。かといって警察発表2万人以下は、あいかわらずの政治的発表。帰宅時の地下鉄駅の長い列の実感では、10万人は確実にいたでしょう。大飯原発再稼働が強行されても、このデモは続きそうです。この国のエネルギー政策の基本が確定されるまで、市民の闘争はつづくでしょう。とにかく政府は、国民の声を聞いていない、だったら直接声を届けようという人たちが、圧倒的なのです。次は30万、50万、100万です。
野田内閣は、いまや自民党の政策を自民党以上に熱心に実行する半民主党内閣・自民党政策代行内閣といっていいようです。前回スポット更新で述べた原子力基本法への「安全保障」挿入がそうです。武器輸出3原則の緩和がそうでした。沖縄の普天間基地移転問題に続いて、米軍「未亡人製造機」オスプレイの配備も盲目的に認め実行しそうです。何よりも「政治生命を賭けて」衆院を通過させた消費税増税自体が、自民党内閣が試みても実行できなかった財務省官僚一押しの懸案でした。TPP参加もこのまま進めるつもりでしょう。そして「脱原発」を「脱原発依存」といいかえ薄めてきた野田首相は、国会の事故調査委員会報告も待たずに再稼働と原子力規制委員会設定に動き出し、よくて「ベスト・ミックス」での原発・核燃サイクル存続、悪くすると輸出促進と新規原発認可・原発大国再建の「原子力村の夢再び」に、向かいかねません。2009年総選挙は、日本で初めてのマニフェスト選挙ともてはやされましたが、民主党のマニフェストは満身創痍、けっきょく「政権交代」という小選挙区制に由来する与野党逆転が残されただけで、二大政党制本来の理念的・政策的対立軸は消えてしまいました。それだけ日本政治には、自民党・官僚制・経済団体のトライアングル支配の痕跡が歴史的に残されており、いわゆる「原子力村」もその中核にあったということでしょう。こういう政治は、もう一度総選挙に投げ込んで、民意との関係を正常に戻してから、仕切り直しすべきです。
3月のニューヨーク大学に続いて、6月メキシコでののラテンアメリカ・アジアアフリカ研究学会で、日本のフクシマ原発事故の歴史的意味について報告してきました。3月のニューヨークでは、ヒロシマを体験し3・11を経験した日本でなぜドイツやイタリアのような反核運動が起こらないのかと問われ、占領期の原子力へのあこがれや高円寺ではじまった「素人の乱」の紹介で何とかしのぎましたが、6.29国会包囲で、ようやくこの面での海外への説得は可能になりそうです。メキシコでは、ドイツの脱原発を決定づけた倫理委員会報告「安全なエネルギー供給」を下敷きとして、原子力を「ある種の暴力」と位置づけてきました。その歴史的背景として、(1)マンハッタン計画から戦後にいたる原爆・原子力開発の一体性、(2)1953年末アイゼンハワー大統領演説「Atoms for Peace」の冷戦からの出自と、スターリンの死・朝鮮戦争休戦後の「冷戦のもとでの雪解け・平和攻勢」の二重性格、をあげ、その日本的特徴として、(1)1955年原子力基本法以来の「Energy First, Safety Last」体制、(2)原発推進・安全神話構築における「原子力村」の存在、(3)「国策民営」という「安全」にはなじみにくい国家と電力会社の無責任もたれあい体制、(4)ヒロシマ・ナガサキ原爆そのものを「平和をもたらした威力」と把握し「原水爆反対、原子力の平和利用」を主張し続けた日本の非核運動の原爆・原発観の問題、(5)政党・労働組合に依存した日本的社会運動・平和運動の内部対立と、反原発運動の異質性・周辺性、を説いてきました。地震国メキシコの人々はおおむね熱心に共感してくれましたが、かの国にもどの国にも「原子力マフィア」はいます。フクシマでは死者がでなかったとか内部被曝の病理的影響は統計的に証明されていないとか、少人数でしたが「安全神話」を守る参加者がいて、失笑をかっていました。英文ですので、夏休みに詳しい日本語での論文・著作にします。体調が思わしくなく、今回はこの程度に。
「加藤哲郎のネチズンカレッジ」から許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0922:120702〕
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