「銀行統合」「国営化」「救済」の茶番劇シリーズ / 『スペインの経済危機』の正体(その4)
- 2012年 7月 16日
- 時代をみる
- スペイン経済危機童子丸開
(http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spain-3b-the_end_of_the_bubble.html より転載。)
2012年7月10日、スペインは事実上国家破産したと言っていいだろう。この日、EU、欧州中央銀行、IMFの「トロイカ」は、金融機関の管理・再編方法を含めた超緊縮財政を求める32もの厳しい条件をつけたうえで、最大で1000億ユーロ(約10兆円)規模の対スペイン「銀行救済策」を行うと発表した。翌11日にラホイ政権は、何一つ実質的な国会の審議を経ることなく、消費税率の大幅値上げや公務員の賃金カット、教育機関や病院での人員削減など、即座にそれらの条件を実行し2年半をかけて国家財政から564億ユーロ(5兆6千億円)を浮かす政策を、さっさと決めてしまった。
しかもその緊縮財政で、どの部門からどれくらい赤字削減の資金を調達できるのかという計画の詳細は、その英語訳が外国の投資機関向けに発表されただけであり、スペイン国内向けには全く準備されなかったのだ。自国の国民にだけはその内容を見せたくなかったのか、あるいはそれが元々どこかの国で英文で作られスペインに押し付けられたものだったのか…。それは分からないが、どこの国でもイザとなったときに政府のやることは決まっている。スペインの場合、大手報道機関がそれを見つけて大々的に報道する点が、日本より少しはマシなのかもしれない。
今後はあの「トロイカ」から派遣された『黒服の男たち(Men in Black)』――「破産管財人たち」――が3ヶ月に1度の割合でマドリッドのスペイン中央銀行あるいは財務省にやってきて詳細をチェックする。そしてスペインは「トロイカ」の中心である欧州中央銀行の執行部のイスを失った。この国にはもはや自国の経済政策を決定する力は存在しない。わずか20ページに書かれた32項目の条件は、この国にとっての「マッカーサー命令」である。逆らうことは許されない。
10年物国債の利回りこそ先に破産したギリシャやアイルランドのような高さは無い。外見上スペイン国債はぎりぎりで「ゴミ箱行き」を免れている。しかしそれは、スペインの経済的死がユーロの死、EUの死、そして世界経済の死にもつながりかねないことを理解するEU、欧州中央銀行、IMFが、必死に「心臓マッサージ」を行っている結果である。この国にもはや自力で「心臓」を動かす能力は無い。どれほどうわべを取りつくろおうともこの事実上の国家破産は隠しようがないだろう。私が以前に「ラホイはその破産宣言の貧乏くじを引き、国民に尻拭いをさせて怨嗟の的となる運命を負うことになる」と予告したとおりである。
このシリーズの(その1)、(その2)、(その3A)、(その3B)で述べてきたように、このような事態は、目先の利害以外のものが視野に入らずその一切の責任をとろうとしない支配階級の者たちによってひき起こされた。しかし、陰謀論的な言い方かもしれないが、この腐りきったスペイン経済は、そのようなスペインの特徴を知っている者たちによって、ユーロ圏とEUの主導権を握り操るために仕掛けられた「時限爆弾」ではないのか、という気すらしてくる。
まあそこまで裏読みする必要もないだろうが、しかしこの欧州のゴタゴタの中で次の主役になろうとする勢力が現れるのは当然だ。拙訳『銀行家どもに食いつぶされる欧州』にもあるが、欧州中央銀行総裁のマリオ・ドラギと、辞任までちらつかせてスペイン「救済」でのドイツの主導権を奪ったイタリア首相マリオ・モンティは、ともにゴールドマンサックスの重要な関係者である。欧州市場で主導権を取ろうとする勢力の暗躍が考えられる。実際に、空元気を繰り返すスペイン首相マリアノ・ラホイがついに白旗を揚げたのは、EUでの「スペイン救済策」が発表されるたびに波状的に引いては高まる10年物国債の利回りとマドリッド株式市場の下落のためだが、これも意図的に操作された可能性があるだろう。
その一方でスペインの経済大臣ルイス・デ・ギンドスは2004年から2006年までの間、例のリーマンブラザーズの欧州相談役に就任していた。今日のスペイン経済の破綻は確かに1998~2007年まで続いたバブル経済の影響が大きいのだが、そのバブル崩壊の引き金を引いたのがこのリーマンブラザーズの倒産である。このギンドスという男、よほど破産に取り付かれているものと見える。彼がラホイ政権の経済省として欧州中央銀行に出向いた際に、この旧知の男の首を絞めるまねをした(写真)マリオ・ドラギの動作は、ひょっとすると単なるおふざけではなかったのかもしれない。
ここで、このスペインの事実上の国家破産に至る過程を振り返ってみたい。
●スペインに訪れた2段階の死
この国は、実質的に欧米の政治と経済を動かす者たちによって行われるビルダーバーグ会議で、2段階で死亡宣告を受ける羽目になった。
2010年6月4日、バルセロナ近郊の街シッチャスで行われたビルダーバーグ・グループの会合で、スペイン首相ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロは、欧州全体を覆う経済危機に立ち向かうスペイン経済の強靭さと健全さを強調した。世界の経済と政治を操る出席者たちは鼻でせせら笑ったことだろう。債務超過に悩むサパテロ政権は、その少し前の5月12日にEUの強い圧力の元で緊縮財政実施を約束させられ、5月15日には議会を前にわずか2分間をかけて、同国史上初めてとなる公務員給与の引き下げや年金改革などを含む16項目の緊縮政策を発表したばかりなのだ。IMFは間髪をいれずサパテロの決定を賞賛したが、その2週間後に行われたビルダーバーグ会議ではおそらくスペインの「安楽死」計画が練られたに違いない。その年の9月1日付のエル・ペリオディコ紙は、5月と6月のわずか2ヶ月間で668億ユーロ(6兆6千億円)もの国外資本がスペインから逃避したことを告げている。沈没しかける船に留まるネズミはおるまい。
このときにすでに「生命危篤」を宣告されたわけだが、より厳しい運命が2年後にラホイにやってきた。そして今回は「支援」という名のさらなる膨大な借金を背負い込まされたうえで「脳死状態」にさせられ、「生命維持装置」を取り付けられた。後は「腐肉」を取り除いたうえでの「解体処分」が待っているだけだろう。犠牲にさせられるのはこの国を死に追いやった支配階級の者たちではなく、一般勤労階級であり、その若者であり老人であり母親であり子どもである。20世紀に中南米で繰り広げられたIMFを使う金融支配と国家・地域の破壊が、21世紀には欧州各国で行われるのだ。
2012年5月にはスペイン第4の銀行バンキアが事実上の破産宣告をした。それはこの国の「心臓停止」宣言でもあった。その後の6月3日に、ワシントンで行われビルダーバーグ会議に出席したスペイン副首相ソラヤ・サエンス・デ・サンタマリアは、FRBとIMFの面々を前にした秘密会で、さぞおいしい「スペイン料理」のレシピを示して見せたことだろう。
スペインでは2010年のビルダーバーグ会議の少し前から、バブル経済による大量の負債を抱え込んだ中小の銀行に対する公金注入が始まっていた。前年の2009年3月にカハ・カスティーリャ・ラマンチャ(CCM)の経営悪化にスペイン中央銀行が介入したのだが、そのCCMはビルダーバーグ会議からわずか2週間後の6月30日に解体され、カハスツールに吸収された。そしてそれを皮切りに、経営難に陥ったスペイン国内各地のカハ(貯蓄銀行)が次々と統合されていき、スペイン中の「悪い血」が集められることになる。その中で最大のものでありスペインに引導を渡す巨大な癌となったのが、バンキア銀行である。次にそれを眺めてみることにする。
●バンキア銀行の成立と倒産
まず、バンキアの事実上の前身といえるカハ・マドリッドを見てみよう。この貯蓄銀行は1702年に礎石が置かれた、スペインでも最も伝統ある銀行の一つである。1996年から始まったアスナール国民党政権の間に、(その3A)でお見せした数多くのバブルの遺跡に巨大な投資をした中心がこの銀行だが、リーマン・ショック以来の苦境を切り抜けるべく、2007年までIMF専務理事を務めたロドリゴ・ラトを会長に据えたのが2010年1月のことだった。ラトはアスナール政権の経済大臣であり、この銀行の経営者会議には国民党関係者が多い。しかしビルヒリオ・サパテロ・ゴメスを筆頭とする数名の社会労働党(PSOE)の関係者もおり、旧共産党関係の統一左翼党や同党の支持母体である労働組合連合(CCOO)関係者さえ加わる。
そのカハ・マドリッドは、同年12月に、他の貯蓄銀行と「緩やかな合併」をしてバンキア銀行の中心になったが、その成立は少々面倒である。まず2008年に進行する金融危機に対処するために国営のFROB(Fondo de reestructuración ordenada bancaria銀行再建基金:仮訳)が作られた。次にスペイン中央銀行によって2010年半ばに銀行システムの保護を目的としたSIP(Sistema Institucional de Protección保護政策システム:仮訳)が登場し、その元で同年12月にBFA(Banco Financiero y de Ahorros融資貯蓄銀行)の仕組みが形作られた。バンキア銀行はそのBFAの一部門として、カハ・マドリッドとバンカハ(バレンシアが本部)を主体とし、他の5つの中小貯蓄銀行を糾合してできたものである。
しかしこれは完全な合併ではない。それぞれの金融機関の主体性を保ちながら緩やかにつながる連合体であり、ひとつの破綻が他に波及しにくい――言い換えると極めて無責任な―ー形を考えたのだろう。ロドリゴ・ラトは2012年5月にバンキアの会長を辞めた後もカハ・マドリッドの会長のイスに座り続けている。
こうしてバンキアは、サンタンデール、BBVA、カシャバンク(バルセロナが本部)に次ぐ、3300億ユーロの資産を持つスペイン第4の銀行となったのだが、しかしその内実は苦しい経営を抱える大小の貯蓄銀行の寄り合い所帯でしかな。そのバブルによって膨らまされた資産はもちろん実体のあるものではなく、スペインの「腐った血」を1箇所に寄せ集めたものといえる。これがスペインの金融システム全体の「心臓発作」をひき起こすのは目に見えていた。
しかし実を言えば、バンキアが誕生してから今年の5月7日に国の支援を受け入れて一部国有化されるまでにいたる過程は、ほとんど明らかにされていない。5月29日に、首相のラホイはバンキアの欠損を調査することを拒否した。国会内でも、主要にこの銀行に関与する与党国民党はもとより、野党の社会労働党も、バンキア破産に至るプロセスをまともに語ろうとも調べようともしない。労働組合も統一左翼党も調査に強い声を上げようとしないのである。誰も彼もが、心を合わせたようにひたすら秘密を守ろうとしているのだ。そしてラホイは、国家の基本的な進路について話し合う毎年恒例の議論を今年は行わないと発表した。つまり、過去についても未来についても、一切の検証も検討も行わない、ということである。そりゃそうだ! この連中はみんな、バンキアの中で高給を喰らう「シロアリ」をそのメンバーに抱えてきたのである。
もちろんバンキアを構成するカハ・マドリッドやバンカハなど、それぞれの金融機関の内部でどのようなことが起こっていたのかも、黒い霧に包まれたままである。バンキアはできたばかりの2010年にすでにFROBから約45億ユーロの援助を受けていたわけだが、すでに(その2)で述べたように、危機を察した銀行の幹部たちは多額の「退職金」を手にして逃げ出していたのである。
●2012年5月と6月に何が起こったのか?
ここで、2012年4月末ごろから、スペイン経済を巡って起こった出来事を、エル・ムンド、エル・パイス、エル・ペリオディコなどのスペイン主要紙の記事を元にして、時系列にまとめてみよう。やや細かいことも多くなるが、目に付いたことは全て書き留めておくことにしたい。ご面倒かもしれないが時間を追って進行していく事柄を、我慢して丁寧に追っていただきたい。どれほど馬鹿馬鹿しい乱痴気騒ぎが起こっていたのか、よくお分かりになるだろう。
【2012年5月】
IMFがバンキアへの緊急支援の必要性をスペイン政府に強調したのは4月25日である。しかし5月2日にスペイン政府は“公的支援抜き”で銀行の健全化を行うと発表した。もちろんその大嘘はじきに明らかになる。同じ日にバンキアの会長ロドリゴ・ラトは自分の銀行の倒産と解体を予想したのだ。5月4日にはバンキアを含むBFAが318億ユーロ分を超える「問題の多い資産」を持っている(実際にはもっと多い)と伝えられた。それに対する政府の対応は公金を使っての「救済」だった。
5月8日に、バンキア銀行は、会長のロドリゴ・ラトの辞任と、BBVA銀行重役ホセ・イグナシオ・ゴイリゴルサリの新会長就任を発表した。しかしこれはラホイ国民党政府からの強い圧力を受けたものであり、70億ユーロの公金注入にいたる過程と同行の経営難に対する国民党幹部の責任を覆い隠すための「尻尾切り」に過ぎなかった。もちろんだが、次の日からマドリッド株式市場でのバンキア株は一気に暴落した。この銀行グループ(BFA)全体が抱える不動産部門の不良債権が、明らかにされている分だけでも375億ユーロにも膨らんでいる実態は、このときまでに広く知られていたのである。不動産部門全体の投資額は1840億ユーロにもおよび、その多くが次々と不良債権化することは目に見えている。70億程度のはした金でどうにもならない。いずれにせよ、バンキアは(一部であろうが)スペインで国有化された8番目の銀行となったのである。
経財相デ・ギンドスは5月10日に将来的にBFA全体を100%国有化する方針を発表した。しかしそれが今のスペインに可能だと思っていたのだろうか。5月14日にスペイン第2の銀行であるBBVAは、このバンキアとそれを取り巻く状況が2007年のリーマン・ブラザーズ倒産のときよりももっと厳しいと語った。バンキアの事実上の破産が欧州の金融システム全体を破滅させるかもしれず、世界経済に極めて重大な影響を与えるだろう。スペイン一国でなんとかなる限度など、とうの昔に超えていることは、誰の目にも明らかだった。
にもかかわらずスペイン政府の対応は異常としか言いようがなかった。首相のラホイは5月20日、NATOの会議でシカゴに出向いた際にドイツ首相のメルケルに対して、スペインの改革はうまくいっていると断言してノーテンキぶりを発揮した。欧州が結束してスペインに圧力をかけ、緊急の銀行支援を求めさせるべきだと語ったフランス大統領オランデに対しては「スペインの銀行の状態を何も知らない」とまで言い放った。シカゴのラホイから電話連絡を受けた社会労働党党首アルフレド・ペレス・ルバルカバは、ラジオSERのインタビュー番組に出演し、スペインはEUの援助を必要としておらず自力で処理できる言い切った。もし彼らが本気だったとしたら、この国の主要政治家たちはみな気が触れている、としか言いようがあるまい。
ところがその舌の根も乾かない翌21日にシカゴで行われた記者会見で、ラホイはその2日後に行われる欧州委員会の会議で銀行救済のための緊急融資を求める意思を語ったのである。しかも「24時間内に実行できる形」での融資でなければならならず、実行に何年もかかるような議論をするつもりは無いとも言った。同じ日にマドリッドで経済相のデ・ギンドスがバンキアの健全化には75億ユーロが必要であるという認識を示した。そして与党の国民党は自らが絶対多数を握る国会内でバンキアに関する議論を受け付けない方針を即座に決めたのである。
同時にスペイン中央銀行とデ・ギンドスは、米国のオリバー・ワイマン、ドイツのロランド・バーガーなど5つの経営コンサルタント会社が、スペインの銀行の経営状態を調査することになると発表した。これはもちろんIMFと欧州中銀からの圧力によるものだが、その道のプロが調べると何もかもが素っ裸にされるだろう。しかし政府与党はスペイン国会に何の調査も許さず、国民は自分たちの銀行の内実について一切知らされることがないのである。またこの日、バンキア銀行のもう一つの柱であるバンカハの会長アントニオ・ティラドが、スペイン中銀に対する虚偽の申告を行った容疑で告訴された。
次の22日、デ・ギンドスはバンキア創設と株式上場が誤りだったことを認めた。いまさら何を! バブルの狂宴の後にいかなる地獄が待っているのかを、この男はリーマンブラザーズで散々見てきているはずである。しかもその地獄の苦しみは99%の国民に負わされるのだ。同じ日に、15M運動の「インディグナドス」たちは、ロドリゴ・ラトを正式に刑事告発すると発表した。
5月24日にバンキアは、国に対して200億ユーロ(約2兆円)のさらなる資金投下を要請する方針を決めた。70億が200億に化けた過程は何一つ明らかにされていない。そして経済省はバンキアを筆頭に、国有化された銀行を一つにまとめて巨大な銀行を作る計画を示した。しかしそんなことがスペインに可能なわけもあるまい。次の25日にはバンキアが2011年に30億ユーロもの赤字を出していたと明らかにされ、傘下の16人もの役員が辞職した。実はバンキアの執行部は今年2月に前年度の収支を3億ユーロの黒字と発表していたのである。要は大嘘に過ぎなかっただけだが、この「30億」という数字もまた信用に値する数字ではあるまい。なお同日の株式市場でバンキア株の売買は「予防的に」停止させられていた。
しかし26日(土曜日)に、新たに会長となったゴイリゴルサリは前任者ラトを擁護しその責任を問わないと発言した。そのうえで彼は、バンキアにつぎ込まれる公金は「支援ではなく投資であり、返済する必要は無い」などと公言し、政府も資金のルートを国営のFROBを通してではなくBFAに直接に注入するように変えて、公金流用というイメージを薄めようとした。そしてラホイは「スペインの銀行に対する(EUの)援助などありえない」と、あくまでスペインの自力再建論を繰り返した。
だがその虚勢が功を奏することはなく、ラホイは28日月曜日の「ブラックマンデー」を防ぐことができなかった。バンキアの株価は底を付き、国債利回りの危険度を示すリスクプレミアム(ドイツ連邦債との利回りスプレッド)は過去最高の513ベーシックポイントにまで跳ね上がった。当たり前である。現実的な市場で、誰がこんな国家と国家指導者を信用するというのか。
次の29日にラホイは、このような事態を招いたバンキア経営陣の責任を問わないとことに決めた。そしてその日の新聞は、バンキアの重役を辞めた一人が退職金・年金として1400万ユーロ(14億円)、もう一人が600万ユーロ(6億円)を手にするだろうと報じた。しかし、スペイン司法委員会はその日、右派法律家集団マノス・リンピアスによる、スペイン中央銀行会長のミゲル・アンヘル・フェルナンデス・オルドニェス、前バンキア幹部のロドリゴ・ラトとミゲル・ブレサの3名に対する告訴を受け付けた。そのオルドニェスは予定を早めて中央銀行総裁を辞任すると発表した。するとすぐさま与党国民党は「バンキア事件」に対する説明と調査の一切をブロックしてしまった。
翌30日には欧州中央銀行がスペイン政府による「バンキア健全化プラン」をはねつけた。当たり前だ! さらに、この4月の間だけで、スペインの銀行が314億ユーロ(3兆1千億億円)の預金(企業・個人)を失ったことが明らかになった。これもまた当たり前だ! こんなところにカネを預けていては、おちおち寝てもいられない。また31日には、この3月までにスペインから970億ユーロ(9兆7千億円)の資金が外国に逃避したことが分かった。どんな馬鹿でもお人よしでも、こんな国のこんな銀行と心中したいとは思わないだろう。
【2012年6月】
6月にはいるとその茶番劇はいっそうその度を高めていく。1日に、ビルダーバーグ会議出席のためにワシントンにいた副首相のサンタマリアが、スペインの銀行に対する救済などありえないと断言した。もちろんこれは意図的な大嘘である。このいつもロレツの回らぬ声でしゃべる女は、クリスティーヌ・ラガルデIMF会長とも十分に意思を通じたうえでこう語っているのだ。一方で元IMF会長でもあるバンキア前会長(カハ・マドリッド現会長)のロドリゴ・ラトは、何たることか、バンキアへの公金注入を批判し始めた。盛り上がる非難と告訴の声に対して、よっぽど自分の身がかわいくなったとみえる。もちろんだが、国民の95%がバンキア問題への調査を願っている。
3日になると、経済相のデ・ギンドスが、スペインの銀行に対する資金注入の方法について、EUと交渉を開始した。ところがEUの中で「スペイン救済」に対する態度の違いが明らかになっていく。フランスとEU本部は銀行に対する直接の支援と言う「即効性のある」形を主張する一方で、ドイツは欧州での「銀行管理メカニズム」の創設を主張した。
5日に、財務大臣クリストバル・モントロはラジオ放送で、EUに対して援助を求めたことはなく、スペインに「黒服の男たち」がやってくることなどありえないと語った。こんな虚勢を見透かしたように、7日になってIMFは、スペインの銀行救済に必要な費用としておよそ400億ユーロ(4兆円)の数字を挙げた。一方で格付け会社のS&Pは1120億ユーロ(11兆円)が必要になるという予想を立てた。IMFはさらに、9日になって以前よりも詳しく370~800億ユーロ(3.7~8兆円)の数字を示した。
そして同じ9日(土曜日)の深夜に、ユーログループは、スペインに対して1000億ユーロ(10兆円)までの支援を行うことを決定した。これはスペイン政府がユーログループに要請したのを受けてのものだが、既に前日にロイター通信によって予想されていたとおりだった。スペイン政府は、一方で国家の危機を否定し援助は必要ないと公言しつつ、その裏でGDPの1割にも上る金額の新たな借金の交渉をしていたのである。
これがスペイン国家に対する死亡宣告の始まりだが、首相のラホイは翌10日、サッカーの欧州杯初戦を観戦するためにさっさとポーランドに出かけていってしまった。国家破産を目前に控え、ギリシャでユーロの運命をかける選挙戦が繰り広げられているときにである。
しかもラホイはいったい何を思ったか、この1000億ユーロの支援をスペインの偉大なる成功であると公言した。このような国家指導者の数々のデタラメな言動が、欧州各国の首脳たちをあきれ果てさせイラつかせたことは言うまでもない。
とうていまともな思考能力を持っているとは思えないのだが、前任者のサパテロにしても、自国経済が危機的な状態にあることを決して認めようとしなかったのだから、この国の「右や左の旦那様方」は救い様がない。もちろんメルケルはバブル経済を放置したスペイン政府の無責任を非難し、ドイツの力にも限度があると、その怒りを隠そうとしなかった。その間にスペインの各銀行は記録的な資金引揚げに遭っていた。スペイン中央銀行が欧州中銀に提出した資料によると、スペインの銀行は5月に2880億ユーロ(28兆8千億円)の資金不足となっている。これは5月の1ヶ月間に140億ユーロ(1兆4千億円)以上の資本の引揚げがあったことを示す。
14日にドイツ中央銀行(ブンデスバンク)のジェンス・ワイドマン会長は、この支援は単なる時間稼ぎであり危機の根本の解決にはならないと語った。彼は、このスペイン発の「死に至る病」がドイツに感染したら、欧州経済全体が死滅することになると知っているのである。
首相マリアノ・ラホイは、G20の会議に出席するために6月18日にメキシコのロス・カボスに向かったのだが、このイベリア半島のノーテンキ男は、スペインの経済状況と再建の進行に対する厳しい監視と監督を回避しながら、1000億ユーロのカネが銀行に注ぎ込まれることだけを夢見ていた。そんな虫の良いことが通用するはずもないが、この国のあまりにもひどい内実が明らかにされることを死ぬほど恐れているのだろう。
そしてそのG20の最中に、スペインの10年物国債の利率がついに「危険レベル」の7%を越してしまった。17日のやり直し総選挙でギリシャがユーロ圏に留まることが決まり、市場は次の焦点をスペインとイタリアの経済危機に向けたのである。それを見た財務相モントロは欧州中央銀行が市場を落ち着かせる措置を取るように要請した。同じ18日にラホイは、G20会議の席上で、「救援」の内容を言い換えて、国債と銀行への援助を切り離すように求めた。どこまでも虫の良い連中である。
19日にはバンキアの株価が上場時の2011年7月に比べて80%下落したことが明らかになり、その日に行われた株主総会は責任を追及する中小株主のために大荒れになった。20日にラホイは救済への圧力は無いと断言したが、実際にはG20の場でメルケルもオランデもオバマも、全員がスペイン政府に対して救済を求めるように強い圧力をかけていたのだ。そして財務相モントロは「スペインは救済されたのではない。我が国は救済を必要としていないのだ。」とあらん限りの大声で主張した。もうここまで来たらマンガとしか言いようがあるまい。こんな国が潰れるのは無理もない。
21日(水)になるとスペインに調査のために派遣されていたオリバー・ワイマン社とロランド・バーガー社は、スペインの銀行に510億~620億ユーロ(5兆1千億~6兆2千億円)分の早急の救済が必要であること、スペインの銀行が抱える赤字が総額で2700億(27兆円)であることを発表した。それを受けてユーログループは、次の月曜日(25日)までに救済を求めるようにスペイン政府に対して強い圧力をかけた。また同時にIMFは、ユーログループに対してスペインの銀行に対する直接の融資を行うように圧力をかけた。
こうしてスペイン政府が25日(月曜日)にEUに対して銀行支援を要請する段取りが作られたのだが、欧州各国とIMFの思惑がそれを遅らせることになった。スペインとイタリアは、IMFと同様に、政府を通しての銀行支援ではなく直接の銀行支援を要求していた。しかしユーログループがそれを拒否したために、支援要請の発表は25日にも27日にも行われなかった。スペイン経済の健全化を求めるドイツが主導権を握るEUは、EIA(欧州投資銀行)による融資、インフラ整備のためのプロジェクト債などを含んだ成長策について原則合意したと発表した。しかしスペインとイタリアは署名を拒否。そしてこうこれ以上遅らせることのできない29日になって、イタリア首相のマリオ・モンティは首相辞任までちらつかせてメルケルを脅し、ドイツも折れざるを得なくなった。結局、可能になり次第ESM(欧州安定メカニズム)による銀行への直接融資実施に切り替える条件で、スペイン政府への支援(貸し出し)を早急に開始するということで何とか合意にこぎつけたのだ。
この合意によって、株価は大幅に跳ね上がり、ゴミ箱行き寸前だったスペイン国債はなんとか最悪の事態を免れることができた。そしてバンキア銀行のゴイリゴルサリ会長は、3年の間に300億ユーロ(3兆円)分の不良債権を処理することができると発表した。もっとも、現在この銀行が抱えている不良債権は600億ユーロ分もあり、その半分が処理できるまでこの銀行が存続できる保証はどこにも無い。
●虚飾の果てに訪れる地獄
こうやって、2012年5月~6月の2ヶ月間に起こったことを日付を追って並べてみると、スペインの政治と経済が、いかに隠ぺいと誤魔化し、虚構と虚飾で作られているのか、よく分かることだろう。
元々からスペイン人は奇妙に格好だけをつけたがる癖があるのだが、スペイン首相のマリアノ・ラホイや財務大臣のクリストバル・モントロなどを見ていると、ボロ服を着て街角に座っているルンペンが最高級の葉巻をくわえている姿を連想して、思わず吹き出したくなる。新たな天文学的な借金を背負い込むことになったこのほら吹き首相は7月2日に、新たに行われるスペインのリフォーム(構造改革)を「我が国の近代化における画期的な出来事になるだろう」と発言した。それが、最初に述べたように、32項目に及ぶ外部から来た前代未聞の厳しい緊縮財政策として実現した。
「画期的な出来事」? 革命の種にならなければ良いのだが…。
もっともラホイは、このスペインの「経済的死」を利用して、今までマドリッドにとって頭痛の種だった地方と中央の反目、特にカタルーニャとバスクの少数民族地域や反中央感情の強いアンダルシアを締め上げ、マドリッドに縛り付ける計画を練っているのかもしれない。それなら確かに「近代化における画期的な出来事」に違いあるまい。
7月2日から始まる次の週では、国会内で野党が、議論抜きでこれ以上の緊縮政策を決めるのはけしからんと声を上げた。しかし昨年11月の総選挙で絶対多数を獲得している国民党中央に聞く耳は無い。5日の木曜日には、リスクプレミアムが前週のEU会議前のレベルにまで戻っていた。こうして、この記事の最初に書いた「スペインの事実上の国家破産」につながっていく。
(その1)、(その2)、(その3A)、(その3B)で、そして今回の記事で描いた「断末魔」の惨めな姿が、残念な事に、私が住み私が愛するスペインの現実なのだ。この様子を見るたびに私の頭に思い浮かぶのは、マドリッドのプラド美術館が所蔵する、近代初期フランドルの画家ヒエロニムス・ボスが描いた2つの祭壇画、「快楽の園」と「干草車」である。この画家の絵には様々な寓意が含まれると言われるが、16世紀スペイン帝国の絶対君主フェリーペ2世がこの奇妙な画家に惹かれたのは、ひょっとすると自分の国の500年後の姿を予感していたためだろうか?
もちろんこれらの祭壇画が持つ寓意の解釈はいくらでもありうる。この二つに共通するのは右側に地獄の光景が描かれている点だ。中央に描かれる光景はやや異なっている。「快楽の園」では無数の裸体の男女が快楽を求める欲望のままに乱舞する幻想的な光景が、「干草車」では大きな車に山のように積み上げられた干草を、欲の皮を突っ張らせてひと束でも多く手に入れようと群がる、王侯貴族から農民、商人から教会の僧侶に至るまでの、ありとあらゆる階層の者たちが描かれる。
「干草車」では明らかに中央の絵の右側に不吉な姿をした化け物たちが車を引く姿が描かれており、その先には右翼画面の地獄絵が待ち構えている。また干草の上では悪魔が人々の欲望を煽り立てるように笛を吹き、「なんとかなりませんか」と祈る天使の姿がある。そして天上ではキリストが「こりゃ、どうにもならんな」という表情で手を広げている。この中央画面が右側の地獄につながるのは明らかだろう。
しかし「快楽の園」では、中央画面で快楽の遊戯にふける裸の男女たちが地獄に落ちるということなのかどうか、もうひとつはっきりとはしない。この点は、中央画面に含まれる寓意と共に昔から議論の種になってきたようだが、私としては、中央画面がそのまま右翼画面と重なっている、つまり、快楽は幻想・幻覚に過ぎず、それがそのまま地獄絵になっているのだと考えてみたいような気がする。幻覚を剥ぎ取ればそこは既に地獄であり、そしていずれにせよ幻覚を失うときが来るだろう。そうなれば快楽の遊戯はそのまま地獄の苦しみに変わっていく。
物事の変化は時間の歩みであり、その意味でやはり、この2枚のボスの祭壇画は私の中で重なって見える。バブル経済の中で夢から夢を紡いでいたスペインは、そのままの姿で紛れもない地獄だったのだ。ただ浮かれている者たちにはそれが見えない。その虚構から醒めたとき、そこにあるのはありのままの地獄でしかない。それでもあくまで虚勢をはり大嘘で自らを飾り、国民を虚構に閉じ込めたままで地獄に突き落とそうと試みるこの国の指導者たちのありのままの姿が、この十年間でむき出しにされた。そしてそんな指導者しか作らないこの国の「民主主義」とは、いったい何なのか?
こんな現実のスペインの姿に、同じプラド美術館にあるスペイン最大の画家(と私が思っている)フランシスコ・デ・ゴヤの「サン・イシドロへの巡礼」が重なってくる。「盲を手引きする盲」とは新約聖書の言葉だが、この暗い絵に描かれるのは、どこから来たのか忘れどこへ行くのかも知らず、盲目的に前の者にしがみついてひたすら歩き続けるしかできない民衆の姿である。その道がサン・イシドロに続くのかどうかは誰にも分かっていない。この絵に現れる人々の表情は、切れ切れの幻覚に操られながら絶望から絶望へと渡り歩くしかできないこの世の現実を表しているようにも思える。
500年前にボスが幻視し、200年前にゴヤが実感した人の世の姿は、やはり永久に続くしかないのだろうか。
次回には、国民の4分の1、若年層の大多数に働く場所のないこの国の現実についてありのままを書いてみたい。
(2012年7月中旬 バルセロナにて 童子丸開)
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〔eye1996:120716〕
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