「戦争中が一番良かった」という母の声が忘れられない
- 2010年 8月 18日
- 評論・紹介・意見
- 海の大人
8月14日にアップされた、鈴木顕介さんの「65年目の夏に思うーある母と子の死」はまことに切ない記録であった。こうした例は多かれ少なかれ他にも在ったのであろうが、その悲惨さは胸を突く。鈴木さんが、これを「戦争の暴虐を再び許してはならぬ、という堅い、堅い決意」があっても、「この方々が伝え残したいと思う事ごとも、遠からぬ先に消えてゆくことを思う」と記しているのも切ない。無常は無情である。
だから、こうした気持ちは理解できるのだとした上で、私もこうした感情を持つ方々の心情を逆撫でしておきたいと思う。こんな感情は毒の方が多いのだと言っておきたい。私の激情は無常のかなたに新世界秩序を作ることで、保守するものが多くの方とはかなり違うのだ。そして、私の感情の方が未来を拓く胎動に必ず通じると思う。泣く事よりも、復讐を誓う事である。「不戦のドグマより戦勝の工夫」である。「勝者と終戦工作をして生き残った国体に屈従するより、自分で国体を作り全世界を組織する事」である。
左翼でそんな望みを持っているらしい人は知らないが、イスラム戦士はそうしているではないか。自分のイデオロギーがイスラムと違う事とイスラム戦士の行動を直視する事は別である。シオニストもそうして生き抜いて来たではないか。国内でも宗教組織の中には、オウム真理教の轍を踏まず、世界革命を目指している組織が幾つかあるように私には見える。内省のみならず、儀式共同体を組織する事で人間文化を変えようとするのが宗教の本来の姿なのであるから、至極まっとうな考えである。
あいにく私の母は宗教的人間と謂うには俗物すぎたから、決して宗教的変革を求めていた人では無いのだが、生きているころ折に触れて、「長崎の原爆のきのこ雲は見たよ」、「空襲は一度も受けた事がない、警報があると必ず佐世保の海軍が煙幕を張ってくれた」、「商売は戦争中が一番儲かった、海軍と癒着していたからね」、「五島は倭寇の植民地、済州島はうちの島」、「戦前は盆と正月に家船が多い時で400隻ぐらい挨拶にきたよ」、「大村の殿様のお墨付きはあったけれど、大事にしないからね、大村藩の家船は漁師より漁業権で上なのは当たり前だからね」と聞かされた話を思い起こせば、私は家船の宿の末裔としか考えられないのだ。
東シナ海は自分たちの海、幕府は島に西海警護の大番所を置き、その費用を西海捕鯨集団に出させ、西海捕鯨集団は捕鯨に名を借りて海戦訓練を積み、海には唐人貿易船探索(索敵)活動、家船の宿は、南は糸満、台湾、フィリピン、マラッカ当たり、北は北海道まで展開していたことはおそらく間違いない。朝鮮人、中国人に対する仲間意識が独特だった。朝鮮人だからではなく、中国人だからではなく、身内と外を分けていた。国籍ではなく、同族かどうか。東シナ海を支配する倭寇集団であるかどうか、「倭寇」という部族意識を持っているかどうか。東シナ海が倭寇の支配権を持つ海であるかどうか、それを承認する陸上権力とは共存するが、認めなければ陰に陽に敵対する、これが、昭和30年代まで日本政府の小学校義務教育制度による、海民の子は全員寄宿舎で親から離れて、「家族制度を壊されて家船が解体する」までの、倭寇の姿なのだ。
歴史学でいうところの、秀吉、家康などの海賊停止令以降の第三期倭寇運動の姿の概略なのだ。王直、鄭芝龍、鄭成功の平戸海賊が台湾に拠点を移して間もなく、平戸海賊は黒島争奪戦をめぐって、崎戸海賊に敗北した。倭寇は崎戸海賊に主流が移ったのだ。そして、幕府長崎直轄貿易体制の中で、崎戸海賊は軍事力と莫大な捕鯨収入と朝鮮、中国沿岸拠点を確保したのだ。幕府と大村藩から大幅な「権益」を勝ち取り、おそらくは、琉球からも「小琉球=台湾」を収受し南シナ海への進出を果たしたのだ。当然オランダ交易も長崎以外でも可能であっただろう。
こうした海民といっても倭寇といってもよい集団は自覚的な部族集団である。民族集団ではない。「偽倭九、真倭一」という朝鮮、中国認定の民族構成がそれを裏付けていよう。海の権力に統合された、国際文化集団である。しかも、夫婦船、子育て船を生活空間とするのであるから、蓄積する私有財産が最小のものになるのは当然のことである。
こうした人々は昭和30年代のわずか10年間で消えた。もちろんこのことに私の母は責任がある。女といえど人々を守る責任を果たせず、逃げたのだ。そのお陰で私は大人に為れたのだろうが、海が人々の生活空間で、権力空間であることは忘れられた。今や、歴史と云えば陸で作られ、海は「公海」として、ただの通路だと思うに至っている。陸の階級闘争は過剰生産物によって階級社会を作り、「非和解的な闘争の場」という事に為っているが、海では過剰生産物の蓄積場所はないのだ。回廊国家朝鮮・韓国が「通路」であることを認めないように、マラッカ海賊、ソマリア海賊と呼ばれる人々も海が「通路」である事は承認しないだろう。彼らの国際法への果敢な挑戦は、海賊の歴史の復権として、まことに貴重なものである。
だから、私にとっては東亜・太平洋戦争の被害の強調は、他人事である分だけ、不健全という印象をぬぐえないのだ。戦後65年間、敗戦を引きずって国民感情の主流派が、敵米英に負けて日本は良くなったと云い続けているのは、「愚か」というもバカバカしい、「お番犬様のペット」としか思えないのだ。非主流派もまた、民主主義の拡大を持て囃しているらしいが、戦後65年間戦勝国が戦争を続けてきて、国連常任理事国寡頭支配体制を支え続けてきた事は「鬼畜米英兵の死」だからと言って了解できるのか。第二次世界大戦後世界人口はおよそ3倍に増えた。平時のエネルギー消費量の拡大を取り出して言うのは難しいがおよそ6倍から8倍には増えていよう。
世界戦争をしてはならないという事と、世界戦争が不可避だという事は、ともに考えなければならない事ではないか。不可避なら、自分はどのように戦うのかだ。どのように勝つ闘いを組織するかだ。
軍事革命の進行の中で、ここ数日は海兵隊の存在そのものがオバマ政権の検討課題の一つだと伝えられている。海兵隊は変わるかもしれないが、これはアメリカの軍事力の劣弱化を検討しているものでは全くない。素直に考えれば、これは我々にいよいよ戦争準備を真剣に考えなければならないというシグナルではないか。金がない以上、直接軍事力を蓄積する事は出来ないが、幸い、本格的な「軍事理論の革命」は訪れていない。こうした事を悲惨な話の継承とともに研究していく、その主体も含めて、模索して行く事が求められているのではないか。以上
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion096:100818〕
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