中国・南通市の排水管建設、デモでとん挫 -成長モデルの壁が目前に 管見中国(40)-
- 2012年 8月 5日
- 評論・紹介・意見
- 中国住民デモ田畑光永
先月28日、中国江蘇省の南通市啓東県というところで、市が計画していた排水管の建設に反対する住民のデモが県政府の庁舎に押し入り、内部を荒らしたうえで排水管の「永久建設中止」を勝ち取るという成果を上げた事件があった。この事件はこれまでの中国の成長モデルに立ちはだかる壁がいよいよ目前に迫ったことを示すもののように思える。
南通市というのは上海の対岸、上海は長江右岸の河口にあるが、南通は長江の左岸、上海よりやや上流の町である。上海に近いということで外国の企業もたくさん進出しているところだ。
そしてここの開発区に日本の王子製糸が工場を作り、去年の1月から生産能力40万トンの高級紙の生産設備が操業を始めている。製紙工場は大量の排水が出るので、環境問題が大変だが、南通市は工場誘致にあたって、開発区から長江の下流に向かって100キロもの長い排水管を新設し、啓東県というところで一日に15万トンの排水を海に流すと約束した。それが完成するまでは、王子製紙は汚水処理をしたうえで長江に排水を流している。
ところがこの啓東県の呂四という沿岸漁場は海水と淡水が入り混じるところから、上海蟹などがよく獲れ、全国四大漁場の一つに数えられる好漁場といわれ、漁民14万人と関連部門の4.6万人が海で生計を立てている。
そこで漁民たちは、海が汚染されるのは困ると排水管の建設に反対し、28日の朝からデモに繰り出し、県政府に押し掛けた。庁舎前を埋めた人数は不明だが、写真で見るとその密集度は大変なものだ。勿論、警官隊が役所を守っていたのだが(写真の白いシャツが警官隊)、デモ隊はそれを突破して役所に押し入り、車をひっくり返したり、書類を手当たり次第に窓から投げ捨てたり、中にあった高級酒やなぜか避妊具まで探し出してきて、やはり窓から投げ捨てるなど、「乱暴狼藉」をはたらいた。その勢いに押されて県当局は午前11時に排水管工事を永久に中止すると発表、ようやく事態は収束に向かった。
ところが、中国のメディアはこの事件をほとんど報道していない。以上の内容は香港の新聞が伝えたものだ。中国のメディアでは一部の新聞が、啓東県政府が排水管設置計画を撤回したと伝えたが、デモには触れなかった。また国営の新華社通信は英文の配信で、数千人がデモをしたとだけ報道し、暴徒化した事実は伏せて、ただ警官隊はデモを妨害しなかったと伝えたという。
明らかな暴力的反抗だから、けしからんと紙面で糾弾してしかるべきだし、こう場合は「一握りの悪質分子が下心を持って大衆を扇動した」と書くのが常なのだが、今回は報道管制を敷いて事実そのものを知らせないようにしている。ほかへの飛び火を恐れたためであることは明らかだ。
ここ数年、住民の集団的反抗事件、中国語の「群体性事件」が多発している。大小さまざまだから件数はともかく、最近の傾向としては住民が環境汚染を理由に工場建設の中止を求める例が目立ち、その場合、当局の方が折れて住民側が目的を達することが多い。
最近の例では去年11月に東北の大連市で化学工場の移転を求めるデモが起き、市政府はその日のうちに工場の移転を約束した。それからつい先月にも四川省の什邡(シホウ)というところで、モリブデンなどの金属を扱う工場の建設に住民の大規模な反対運動が起こり、結局、当局側が建設断念に追い込まれた。こうした環境問題以外では昨年から今年春にかけて広東省の烏坎村(ウカンソン)で起こった村の幹部の排斥運動で村民側が全面的に勝利して有名になった。ここは村の幹部が農地をかってに開発業者に売り渡して、村民にろくに補償もしなかったことから村人の憤激をかったのだが、これも農村暴動の一つの典型だ。
地方の役人は経済を発展させて、自分たちの成績を上げるとともに、自分たち自身の懐も温かくしたい。しかし、農村では結局、農地をうまく業者に売り渡したり、今度の排水管のようにインフラ工事に土地を提供したり、という以外にこれといった妙策はない。そこで住民との対立が起こる。
今年は秋、おそらく10月に中国共産党の第18回党大会が開かれ、そこでは首脳部の大幅な入れ替えが起こる。トップの総書記に習近平氏が就任することは間違いない情勢だが、そのあと来年3月の人民代表大会までさまざまな人事異動がある。それを控えて、地元をうまく治められず、騒ぎを起こしたとなると、官僚としては致命傷になるから、騒ぎを外に知られないように、即座に収拾して何もなかった顔をするために報道管制を敷くことになる。今度もデモが起きたその日の午前中に、もう工事の永久中止を決めたというのにはそういう事情がある。
啓東県の海への排水はこれでなくなったが、一方、工場近くの住民たちは王子製紙の工場の閉鎖を要求する動きを見せているようだ。8月1日の香港紙によると、排水管の建設がとん挫したことで、今度は工場のある南通市中心部の住民が、現在、長江に流されている排水へ警戒心を向け、7月31日には工場から数キロのところにある南通市の上水道の取水口で水質検査をしたという。
王子製紙では今後、紙の生産能力を現在の倍の80万トンに引き上げ、また来年の完成を目指して、木材チップからパルプを年産70万トン生産する設備を整備中といわれるが、計画が影響を受けることは間違いない。
つまり今度の事件は中国のこれまでの成長路線が壁に突き当たったことを象徴すると言える。一つはこれまでもお上のすることに住民がノーと言って、反抗することはたくさんあったが、党大会前という特殊事情があるにせよ、力関係がこれまでと変わって、住民の方が強くなった。役所を荒らされても、今のところ大勢が捕まったという話が聞こえてこないのは、政府の力が弱くなったことを端的に示している。中国政府は相手が個人だと言論人であれ、弁護士であれ、強硬に弾圧するが、何千人という単位の庶民がまとまって立ち上がると、とたんに怖気づく弱い政府になりつつあるということだ。
それからもう一点は、中国は外資の導入をテコに産業の近代化を図り、高度成長を続けてきた。しかし、一方では人件費が年間20%近くも上がり、一方ではこういう住民パワーを政府が抑えられないとなると、外資の引き上げが始まるのではないか。これまでの成長モデルを続けるのは難しくなる。その意味で、啓東県の出来事は一つのエポックを画する事件ではなかったか。
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