社会運動の視点から見た反・脱原発運動 (3)
- 2012年 8月 8日
- 評論・紹介・意見
- 榎原 均
第3章 日本における新しい運動のはじまり
1)新しい運動と自治のプログラム
序章でみたように、政府による大飯原発再稼動の決定前後から、日本の運動にも地殻変動が見られるようになっている。99%を掲げたオキュパイ運動と連帯した新しいタイプの運動が形をとってきている。反・脱原発運動におけるニューウェイブはチェルノブイリ後の運動で始めて登場したが、この運動は参院選に敗北したことを契機に衰退した。今日の新しい運動は、事故がまだ終息してはいないこと、世界的に新しい運動の黎明期にあること、官僚支配という日本の権力構造がいまだ強固であること、などによって、長期にわたって継続していくものとならざるをえない。
世界的に登場してきている新しい運動にとっては、直接民主主義(自治)が共通の課題となっている。しかし、自治を獲得していくためには、ある種の二重権力状況の実現が不可欠であり、そのためには自己権力がどのような形で可能かについての議論がなされなければならない。二重権力は古くはパリコミューンであり、ロシア革命時のソヴィエトであり、中国革命における解放区であった。しかし、いわゆる民主主義国家が成立して以降の二重権力状況は工場委員会などの構想があり(アウトノミア)、オペライズモが実践したが成功してはいない。
2)反・脱原発運動と自治のプログラム
21世紀の日本などの先発資本主義社会における課題のひとつは、公的セクター(税金のセクター)、私的セクター(株式会社などの営利企業のセクター)、サードセクター(非営利協同セクター)のセクター間バランスを作り出すことである。しかし日本の場合サードセクターは公的セクターの植民地とされていて、サードセクターの自律すら考えられない状況で、自治の取り組みは非常に重い課題ではある。ヨーロッパであれば社会的経済や社会的企業の促進である種の自治圏を構想していけるが、日本の場合、公的資金の交付で絡みとられているサードセクターの諸団体は縦割りにされていて、今年の国連の国際協同組合年にもサードセクター全体での取り組みすら実現できていないという惨状がある。また日本の左派労働組合もサードセクター論がなく、ワーカーズコレクティブなどの自立したサードセクターの取り組みと協調しようとはしていない。
また日本の地方自治体は中央権力に完全に植民地化され、同時に特権官僚化していて、人々を支配の対象と見なしている。だから人々にとっては選挙で鬱憤を晴らすしかなく、早くも1960年代末には地方自治体での首長選挙で革新候補が当選する事態があったが、市民の自治への道は切り開かれることはなかった。首長は官僚支配の現実に対してなすすべもなかったのだ。そして首長を代えた選挙民はそれでも一向に変わらない自治体に飽きが来て、革新首長の時代は終息してしまう。
このような自治に向けての日本での取り組みの出口なしの状況のなかで、反・脱原発運動の一連のプログラムを自治の獲得の観点から組み立てることがきわめて重要になってきている。自治の第一歩は政治参加であるが、署名運動から始まり、首長や自治体議会への再稼動反対の働きかけや、発電・送電分離の要求、そして街頭で声をあげる、等々、従来では選挙しかなかった市民の政治参加の道が多様に開かれている。今日本における自治の取り組みはこの運動をメインにすることで始めて突破口を切り開くことが可能となる。自治のプログラムは、どこかの政党やシンクタンクが上から提起できるようなものではありえない。自治のプログラムの創出は、運動に参加している人々の共同事業としてなされなければならない。さまざまな運動団体に参加している人々が、自治という観点からそれぞれの運動を位置付けなおすことから運動の未来が開けてこよう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion955:120808〕
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