夏の喧騒を超えて続く首相官邸前行動に参加を!
- 2012年 8月 15日
- 交流の広場
- 9条改憲阻止の会
2012年8月13日 連帯・共同ニュース第280号
■ Tさん。8月はいろいろの儀式が重なるのですが、今年はそれにオリンピックもあり、あれやこれやと忙しい気分にさせられました。国会での消費増税をめぐる愚劇もその一つに加えられるべきでしようか。そんな中で経産省前テントも首相官邸前の行動も続いています。これは例年にないことですが、僕らの希望であるわけです。前回の手紙が現在の行動が1960年の安保闘争と比較されその差異が意識され語られていると書きました。これは主に政党という政治集団の役割というか機能について言われてことです。これは顕著な現象です。端的に言えば、政党や政治集団によって組織された(いわゆる動員された)形で現在の行動はないのです。諸個人の自発的、直接的な行動という面が強いのです。このことは明瞭です。僕は脱原発の運動において高円寺ではじまった行動にそれを実感したのですが、それが発展し今日に至っているように思います。この自発的で直接的な行動はある意味では1960年安保闘争でも存在し、その文脈で理解し得ることでもあるように思います。1960年の安保闘争は政党や政治集団の役割や機能において(理念から戦術まで含めて)論じられ、諸個人の行動や立ち上がりの契機において考察され論じられる契機が少なかった。ですが、こちらの側に考察を持てば諸個人の上に現存の感覚として成熟していた自由や民主制の意識の発露として安保闘争はあり、あの急進主義の実体はここに根拠がありました。1960年から70年代に至る急進的行動にまでこれは拡張もしえます。この諸個人の自由で民主制の意識の存在と発現というところで安保闘争を考えればそれは現在の行動につながっているのだと考えられます。歴史的には非連続の連続ということになるのですが、こういう文脈で僕はこの行動を見ています。政党や政治集団が自己の政治理念や信条を同心円的に拡大して行くことは啓蒙的段階の運動では避けられないことですが、それは限界すけられています。諸個人の自発的で直接的な行動(歴史への参画)しか自由や民主制の実現はないのだと思います。自己決定権の行使、直接民主主義の実現と言い換えられもします。諸個人の直接的な意識の発露《行動)は政党や政治集団の外において出てくるものです。(Tさんへの手紙 第三回)
■ 8月17日(金)も首相官邸前行動はあります。この行動は経産省前や環境省前にも広がっています。なお、8月19日・20日の伊方での再稼働阻止集会・全国相談会への参加を募っています。希望者はテントひろば受付に連絡ください(費用の一部が援助されます)。(文責 三上治)
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