猛暑でも原発は不要、「脱原発」が多数派になる夏を!
- 2012年 8月 16日
- 時代をみる
- 加藤哲郎広島・長崎脱原発
2012.8.15 敗戦の日、丸山真男の命日、お盆休みであり、本サイトの誕生日です。立ち上げは丸山真男の一周忌でしたから1997年8月15日、本サイトも15歳になりました。でも、昨年の3.11から、世界情勢や永田町の政局の話は意識的に少なくし、東日本大震災、とりわけ福島第一原発事故と反原発・脱原発の問題を扱ってきました。テレビや新聞でも、ヒロシマ・ナガサキとフクシマ、敗戦8・15と「第二の敗戦」=3・11をダブらせた記事がみられますが、日本社会の大きな転機であることは事実です。増税に政治生命を賭けて原発を再稼働させた、ピントはずれの野田民主党内閣の余命はともかく、「近いうちに」総選挙が行われます。エネルギー政策の方向や核燃サイクルの行方、脱原発と廃炉・使用済み核燃料処理の問題についても、政府としての一応の方針を出し、政党再編が進むでしょう。毎週金曜に総理官邸前・国会正門前に集っている原発再稼働反対の声が、いまや全国に広がり、政府の主催した意見聴取会や討論型世論調査、パブリックコメントでも、おそらく7割はゼロオプションです。あわてて与党民主党は、選挙用マニフェストに「脱原発依存」を加える検討を始めたともいいます。綱領草案には入らないようですが。もともと「国民生活が第一」だった政権公約マニフェスト自体の信頼性が、ほとんどなくなっています。おそらく「黒幕」仙谷政調会長代行がまた仕切って、財界や連合の後押しでの原発推進への巻き返しがくるでしょう。だからこそ、「再稼働反対」を語る続けることが大切です。
気になるのは、日本国内にもみられる原発への関心の温度差です。先日大阪に出かけて駅で覗いた本屋の書棚には、東京なら特設コーナーになっているような原発本のコーナーがなく、社会問題一般のなかに散らばっていました。福島駅の本屋なら山積みされている放射能汚染の本も、新大阪駅ではほとんどありません。出版関係者に聞いた、原発モノの「東高西低」は、どうやら本当のようです。もっとも「反原発の声、高まる関西」という北海道新聞の報道もありますが。この一年「ヒロシマからフクシマへ」を研究している過程で、よくいわれる原発立地の電力供給地域と大都市需要地域との落差ばかりでなく、問題関心と切実性の地域的偏差をどう考えるべきか、思案しています。どうも、原爆でも原発でも同じようです。日本敗戦時の広島・長崎の原爆被害が、少なくとも占領期には局地化され、むしろその悲惨さゆえに英雄的に復興に立ち上がるという物語りが作られ、「平和都市」再建には補助金まで出されたのに、現実の被害の原因や広がりの調査はおろそかになりました。原爆被害で言えば、キノコ雲とその瞬間的破壊力・熱線・爆風・放射線外部被曝は知られていましたが、内部被曝・晩成被害は、広島・長崎以外ではほとんど知られていませんでした。膨大な死亡者の数も曖昧でしたが、生き残った人々のなかにも、いろいろな被害者がいました。脱毛、ケロイドの痕、手足の不自由やけだるさ、等々症状も様々です。「被爆者」という言葉は、中国新聞では1946年8月に初めて使われるようですが、広がりませんでした。被爆自体が、大都市の空襲爆撃の極端な事例として扱われましたから、そこから「平和都市」「アトム都市」として復興する過程では、むしろ1945年8月の忌まわしい記憶の内部に閉じ込められました。無論、占領軍の検閲が悲惨な報道を許さなかった事情もあります。「原爆被害者」や「障害者」という呼称が一般的だったようです。就職や結婚での困難・差別も多かったといわれます。同じ「黒い雨」を浴びながら、被爆した爆心地からの同心円の距離によって、今日でも「被爆者」と「被爆体験者」が分けられ、「被爆体験者」は年1回の健康診断しか受けられないという理不尽。福島では、どうでしょうか。
広島・長崎における被害と長期の被爆・苦難が広く知られるようになるのは、サンフランシスコ講話条約による独立後のことです。『アサヒグラフ』1952年8月6日特集号が大きな役割を果たしたと言います。原水爆禁止運動が国民的になるには朝鮮戦争とビキニ環礁第5福竜丸被爆事件を経てからのことです。1955年ですから、ちょうど10年後にようやくヒロシマ・ナガサキは日本全体の問題となり、「被爆者」「被爆地」に加えて「被爆国」という表現が現れ定着します。それも「最初の被害国」とか「唯一の原爆投下地」から「唯一の被爆国」という、今日から見れば独善的でナショナリスティックな使用法として。被爆者自身の全国組織、日本被団協も1956年に発足しますが、それは国に被爆者の治療、健康と生活補償を認めさせる長い道のりの出発点にすぎませんでした。ちょうどこの頃、米国の「アトムズ・フォー・ピース」政策に革新運動や科学者までが乗せられて、「原子力の平和利用」=原子力発電が出発します。原子力の脅威と危険は原爆の方へ、エネルギーと安全の方は原発の方に振り分けられ、「唯一の被爆国」であるからこそ原発をたくさんつくって豊かな電化生活を実現しようと突っ走ります。高度経済成長であり、吉見俊哉さんのいう『夢の原子力』(ちくま新書)です。フクシマではその夢が悪夢として現実になったのですから、ヒロシマに学んで直ちに危険でリスキーな原発を止め、将来のこどもたちに被害をおよぼさないようにするというのが、いま「脱原発」に向かおうとする多数派国民の願いです。ところが政府は「原子力村」との癒着を断ち切れず、再稼働と2030年エネルギー比率という偽りの選択肢で、3・11以前の日常に戻ろうとしています。なによりフクシマの16万人の避難者の声に、政府は真摯に耳を傾けるべきです。
8月に入って猛暑が続きます。集中豪雨や地震も頻発しています。野田内閣は、関西電力の大飯原発を「電力供給があぶない」という理由で再稼働させたのですが、案の定、これは口実にすぎなかったようです。もちろん利用者の節電効果はありますが、余裕があるので火力発電を止めたり、ピーク時でも十分足りていたり、シミュレーションそのもののいい加減さが明らかになっています。スイスの天気予報「みえない雲」予報は、相変わらずフクシマからの放射性物質の流れを毎日報じています。チェルノブイリ事故25年後のウクライナは、いまだに封じ込めと廃炉のために膨大な国家予算を割かれ、平均寿命の低下と人口減に悩まされています。歴史に学び、この夏を、原発なしでも安心して生活していける国に転換できる証にしたいものです。
「加藤哲郎のネチズンカレッジ」から許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
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