青山森人の東チモールだより 第220号(2012年9月10日)
- 2012年 9月 11日
- 時代をみる
- クリントン国務長官東チモール青山森人
クリントン国務長官、東チモールを訪問
青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.com
東チモールに縁のあるクリントン夫妻
アメリカのヒラリー=クリントン国務長官が9月6日、東チモールを訪問しました。
東チモールを訪問したアメリカ政府の要人として国務長官は最高位にあたります。元大統領の訪問となれば、夫のビル=クリントンが2002年5月に独立記念式典に出席するため訪問しています。クリントン夫妻はそれぞれ別々に東チモールを訪問したことになります。
クリントン国務長官は、タウル=マタン=ルアク大統領とシャナナ=グズマン首相と会談し、またCCT(チモールコーヒー共同組合)の事務所を訪問しました。7時間の滞在だったとオーストラリアが報じています。
一方、アメリカ国内では民主党大会が開かれており、ビル=クリントン元大統領がオバマ大統領再選のための応援演説をして党大会を大いに盛り上げていました。夫の演説を生で聴けなかったので、国務長官は東チモールの出発を遅らせて録画で夫の演説を見たと報じられました。
ジョゼ=ルイス=グテレス外務大臣がオーストラリアのラジオ局に語ったところによれば、東チモールは基盤整備と教育分野へのより一層の支援や投資をアメリカに望んでいるといいます。
東チモール政府としては、ともかくアメリカ政府からの大物政治家を無事に迎えることによって治安の良さを国際社会に示し、7月に発生した暴動の汚名返上につなげ、アセアン(東南アジア諸国連合)加盟のための点数稼ぎをしたいところです。実際、何事もなかったようですから東チモール政府は胸を撫で下ろしたことでしょう。
中国を意識するアメリカ
東チモール訪問が含まれた今回のクリントン国務長官によるアジア・太平洋地域の歴訪の旅は、一般に報じられるとおり、南シナ海に影響力を拡大しようとする中国を警戒するアメリカ外交占領の一環であることは間違いないでしょう。
8月下旬に発った国務長官はまずクック諸島で開かれた太平洋諸島フォーラムに公式オブザーバーとして参加(国務長官として初)したあと、ジャカルタを訪れ一部のアセアン加盟国(フィリピンやベトナム)と中国が領有権を争う南シナ海問題をインドネシア政府と協議をし、9月4~5日には北京を訪問しました。東チモールを訪れたのは訪中のあとでした。東チモールのあと、クリントン国務長官はブルネイを訪問し、選挙運動で多忙になるオバマ大統領に代わってロシアのウラジオストクで開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)に出席しました。
訪中の前後に中国の影響力を牽制しようとアジア・太平洋の旅をする国務長官の動きは、いくら同長官がアメリカは領土問題で特定の立場をとらないと言ったところで、中国にしてみればアメリカはアメリカの立場を推進しているだけです。
「中国とフィリピンやベトナムとの対立が深まる南シナ海に臨むフリピン・パラワン島に、米海兵隊が複数の小規模拠点を構えることが明らかになった」(『東奥日報』2012年9月5日)という記事を「共同通信」が配信しました。「『沖縄、台湾とオーストラリアをつなぐ防衛ラインの一環』(米外交軍事筋)で、急速に台頭する中国への”防波堤”構築を急いでいる」(同記事)ことは当然、中国も知っていることでしょう。5日、温家宝首相は北京でクリントン国務長官に国民感情に配慮すべきだと反発しました。同長官は首相と楊外相そして胡錦濤主席と会談できましたが、次期最高指導者となる見通しである習近平副主席は同長官との会談を突然キャンセルし、両者は会談しませんでした。
このような文脈からクリントン国務長官の東チモール訪問をみれば、去年11月、オバマ大統領がオーストラリアのダーウィンを訪問し、アメリカ海兵隊のダーウィン駐留を将来2500人規模に拡大していく方針を発表した延長線上にあるといえます。沖縄からダーウィンへつながる中国にたいする”防波堤”に東チモールが重要な係り方をするように見えませんが、オーストラリアが対東チモール外交に失敗してしまったことから、東チモールにおける中国の影響力をアメリカは懸念していると考えられます(『東チモールだより 第193号』[2011年12月5日]を参照)。
中国が海域で領有権を争うという表現からわたしたちはともすれば中国の船が海をゆく光景だけを想像するかもしれませんが、中国の経済力がその国の陸地で大きな影響力を与えている光景も想像しなくてはなりません……例えば、大勢の中国人労働者が建てた大きなビルや、中国人が地元の人を雇って経営している小さな店が連なっている町並みを。
アメリカが、国連PKOとオーストラリア軍主導の国際治安部隊が年内に撤退したあとの東チモールに中国に負けないほどの影響力を与えたいのなら、グテレス外相がオーストラリアのラジオ局に語ったような援助や投資をたっぷりすることになるでしょう。それはチモール海のすぐ向こう側に海兵隊を駐留させての援助・投資であり、キナ臭さはぬぐえません。
クリントン国務長官の東チモール訪問を、最近もっぱらニュースとなっている日本そして一部のアセアン加盟国と中国のあいだで生じている領有権争いの視点から論じれば、以上のような感じになるでしょうか。
未完の正義、アメリカの責任を忘れてはならない
しかし、わたしたちは東チモールの視点を忘れてはならないのです。1975年、インドネシア軍が東チモールの全面侵略を開始したのは、当時のフォード大統領とキンシンジャー国務長官がスハルト大統領に”ゴーサイン”を出したすぐあとであり、24年間のインドネシア軍による残虐な東チモール支配をアメリカが軍事的に支援したというアメリカの責任をわたしたちは忘れてはならないのです。そしてもちろんアメリカと一緒になって経済的にスハルト大統領を支援した日本の責任も。
この9月、13年前の9月とは、住民投票の結果が4日に発表され独立が決定されたあとに、アメリカの軍事訓練を受けたインドネシア軍特殊部隊が製造した民兵組織による大破壊行為が展開されていたときでした。そして当時のアメリカ大統領はビル=クリントンでした。
インドネシア軍が大規模な破壊活動に出ることは、東チモール人にとって百も承知でした。東チモール民族解放軍のシャナナ=グズマン最高司令官は、国際社会に対しインドネシア軍による破壊活動を防ぐように訴えましたが、アメリカや主要各国の首脳たちがニュージーランドで開催されていたAPECで集まっていながら、インドネシア軍特殊部隊と民兵組織が70%以上のインフラを破壊し、25~30万人の住民を西チモールに難民というかたちで強制連行して、悠々と東チモールを去るまで待ったのです。
解放軍のタウル=マタン=ルアク参謀長は、シャナナ最高司令官からどんなことがあっても反撃してはならない、反撃すれば東チモールはまた内戦に陥ったと国際社会にみなされる、それがインドネシア軍の目的である、と命令されていました。住民を守るのが任務のはずの解放軍が住民を見殺しにしなければならなかった辛さは本人たちにしかわからないことです。ようやく多国籍軍の派遣が決まったのは9月12日のこと。インドネシア軍による東チモール人殺害を24年ものあいだ支えていたアメリカや国際社会はこの時から、東チモール支援国となったのです。それが13年前の9月に起こったことでした。
当時の解放軍最高司令官は首相として、参謀長は大統領としてアメリカの国務長官を迎えたのです。
~次号へ続く~
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