放射線のリスク・コミュニケーションと合意形成はなぜうまくいかないのか?(5) ――「安心」こそ課題という立場が排除するもの
- 2012年 9月 22日
- スタディルーム
- 島薗進
福島原発事故以前に放射線の健康影響をめぐるリスクコミュニケーション(「リスコミ」と略す)の考え方は危ういものになっていた。多くの市民(日本人)がリスク評価の能力が劣っていると考える専門家が多いことはすでに述べた(2)。この市民の理解力が劣っているという考えと、何よりも市民の「不安をなくし」「安心」を獲得すべきだという考え方(3)(4)が密接に結びついている。そしてリスクコミュニケーションの課題はリスクについて客観的な知識をもち、「安全」の客観的な評価は確保している科学者が、それをうまく理解できない市民の「安心」を得ることにある――これが「安全・安心」論の前提だ。
リスク論やリスクコミュニケーション論は3.11以後に初めて出てきたものではないが、それほど長い歴史があるものでもない。原子力や放射能に関わる問題に限られて述べられてきた事柄ではなく、遺伝子組み換え作物の問題とか、タミフルの副作用の問題とか、BSE(牛海綿状脳症)に関わる牛肉の検査の問題とか、環境・食品・薬物のリスク等、さまざまな問題に関わっている。科学技術の恩恵をこうむる度合いが高まれば高まるほど、科学技術を介して生ずるリスクをどう受け止めるかが重要な問題になってくる。だからこそ「リスク社会」(ウルリッヒ・ベック)という現代社会の捉え方も可能なのだしhttp://www.rinri.or.jp/research_support_Shohyo1202.html 、「リスク・コミュニケーション」が学問的な考察を要する分野として育ってきもしたのだ。
だが、科学が守る「安全」の上に市民の「安心」を得るという日本独自のリスク・コミュニケーションの議論は、1990年代半ば以降のものだ。そして、こうしたリスク評価やリスコミ論の展開において、原子力と放射能の問題は特別重い意味をもっている。それはチェルノブイリ事故の衝撃が和らぐ一方、原子力ルネッサンスの動きにのって原発推進勢力が攻勢に転じる中で展開してきたものだ。リスク論における「安全・安心」論の流行は、1995年の「もんじゅ」事故が大きなきっかけの1つであることを指摘した高木仁三郎の炯眼はさすがというべきだ。
ここでこの問題について、3.11以後に公表されたもう1つの重要な論考にもふれておきたい。それは、2011年11月に刊行された、哲学者の加藤尚武(京大名誉教授)による『災害論―安全性工学への疑問』の第4章「「安全」と「安心」の底にあるもの」だ。これは近代社会の前提としての「自由」の哲学的考察に力を注いできた著者による「安全安心論」批判として重要だ。
加藤氏は、まず「「安全・安心」というように二つの言葉が連なって、それが災害対策や技術の社会的な利用の条件であるかのように語られるのは、日本だけの現象で、諸外国には例を見ない」と述べるp69。「日本だけ」の用語法――そもそもこれだけでも胡散臭いと感じるのは自然だ。「安心」は英語になりにくい、「anshin」とそのまま表記することさえあるそうだ。
加藤氏は「これは正式の法律文書には登場せず、科学技術に関連する官庁や官庁主導の報告書などに使われている」とし、法的規定からずれた用語法であることに注意を促している。そして、平川氏も指摘していたことだが、2004年の「安全・安心な社会の構築に資する科学技術政策に関する懇談会」が官庁の文書としては「最初のもの」ではないかと述べ、「「安全・安心」は、日本の技術行政の専門家が国民向けに作った概念で、法哲学的には「安全」と「安心」は区別しなければならない」と論じる。p69
加藤氏の考察では、「安全」と「危険」は対概念で自由の不可欠の条件をなし、国家の介入が認められる領域だ。「自由主義によれば、公共機関が個人の生活に干渉してよい唯一の根拠は、”harm-to-others”(他者への危害)の防止であると定義づけられるから、その場合には、「危険」の概念を勝手に危険でないものにまで拡張すると、政府の権限をそれだけ拡張することになる。この考え方を裏返しにすれば、「安全」を「安心」にまで拡張すると、「安全」を確保することは政府の義務であることから、「安心」を確保することも政府の義務であることになり、それは政府の義務の拡張を意味することになる。それは自由主義の政府論の根幹に関わる問題である」p70。
加藤氏は安全・安心論の論理では、国家が「安心」にまで介入することを帰結することを危惧している。事実、福島原発災害では、放射線の被害を恐れて避難しようと考えている人たちに対して、政府や福島県、また政府寄りの専門家たちが、「安心」してとどまるよう、あるいは帰るように強いる、あるいは促す姿勢が目立った。科学的な情報をめぐって住民も参加して公共的な討議を行い、それぞれの立場でリスクを評価し「安全」性を判断できるように下ごしらえをすることこそ、政府や福島県、また政府寄りの専門家たちの役割だったはずだが、そうするよりも人々の心理と判断を誘導することを目指して来ているのだ。
私の理解では、加藤氏は「安全」確保義務を超える要素をもつリスクの受容については、市民社会の合意を作ることによってしか解決できないが、「安心」をも国家側が保障するかのごとき姿勢をとることによって、合意形成を困難にしていることに問題がある。ところが、学術会議の議論などを見ると「安全は技術によって保障される客観的状態であるが、安心はコミュニケーションによって獲得される主観的状態である」と理解されている、と加藤氏は言う。P74 ここではどれほどのリスクならば「安全」と見なすかは、リスクに関する「合意形成」の問題だという民主主義の根幹に関わる理解が欠けている。
「したがって「安全は客観的に定義可能であり、それについてのリスク・コミュニケーションのあり方が安心である」という型の定義は採用できない」。技術者の言葉では「安全はハードウェア、安心はソフトウェア」という言い方はできないということ。刑法の言葉では「安全の構成要件に、リスク・コミュニケーション、合意形成が含まれる」ということだ。p78
以上の加藤氏の論は原子炉工学の安全問題に力点があるが、私なりに放射線健康影響問題に適用するとこうなる。長瀧重信氏、神谷研二氏らは「確率」によって示せる「安全」は科学の領域で専門家に委ねよ、その後に「安心」に関わるリスク・コミュニケーションを行って市民・住民の同意を得よ、という。政府や専門家が「安全」が何であるかを決めてしまえば、後はそれを伝えて安心させればよいことになる。これも政府や専門家側の任務だ。それが「リスクコミュニケーション」であり、その方法がうまいか下手かということになる。放射線健康影響の専門家は情報の伝え方が適切でなかった(参・政府事故調)という言い方はこの立場に立っている。
以上、加藤氏の「安全・安心論」批判を私なりに整理する。1)本来、多様なリスク評価のあり方を反映した合意形成によってなされるべき「安全」についての公共的な合意形成を排除して、専門家だけで「安全」規定を行おうとする誤り。2)その上で「客観的」と見せかけた「安全」概念を市民に強いて、さらにそれに基づく「安心」を導き出そうという、誘導的・操作的な「リスクコミュニケーション」概念の誤り。要するに確率によって計算された「安全」は不確かなものであり(とくに原子力はそうだ)、それを踏まえてリスク・コミュニケーションと合意形成が行われるべきだが、それを省いて政府と専門家の意志を押しつけるのに「安心」概念や「安全・安心」枠組みが利用されているということだ。
ここから、話はこの連載の(3)までで取り上げて来た、放射線健康影響についてのリスクコミュニケーションの話にもどる。「安心」論、「安全・安心」論への多大な注目が、この分野でどのように形成されてきたか、
日本以外では見られないような概念枠組みまで用いて、「安全」の論議は特定専門家たちの内にとどめ、「安心」誘導に多大なエネルギーが費やされてきた。誰がこのようなあやしい企てを強力に後押ししてきたのか。これはさまざまな分野がからんでいるので、単純な答は引き出しにくい。だが、放射線健康影響のリスク分野では、「安心」論、「安全・安心」論への執着の理由が見えやすい。というのは、放射線健康影響のリスク評価においてきわめて大きな意義をもつチェルノブイリ原発事故(1986年)の被害について、日本では住民の「不安」こそが問題だという「学説」が、政府寄り専門家により強固に打ち出され、その後、現在に至るまでその立場が固守され続けているからだ。
では、その放射線健康影響問題についての「政府寄りの専門家」とはどういう人たちを指すのか。首相官邸ホームページの「原子力災害専門家グループ」の箇所 、
だが、3.11以後の政府や福島県の放射線対策の策定に深く関与した人物をさらに限定してくと、長瀧重信氏と山下俊一氏という師弟関係にあった長崎大学医学部の教授・名誉教授の名前が浮かんでくる。どうしてか。
原発や核実験の放射線の健康影響を研究してきた専門家の大多数は「保健物理」とよばれる分野の専門家であって、医学者ではなく物理学・化学・生物学などで訓練を受けた研究者が属する。この分野では原発の開発とともに原発による健康被害を抑えつつあまりコストをかけすぎないようにすることが主な研究課題となる。これが「原子力ムラ」に属することは明らかだ。
他方、医学者で原爆・原発の健康影響に関心をはらって研究してきた人はたいへん少ない。原爆や核実験の健康影響を研究してきた人々がいないわけではないが、そこでは放射線の健康リスク評価は政府や原発推進勢力に有利なものとはならない。放影研や放医研に関与するなどして、次第に政府寄りに立場を移していった医学者はわずかながらいる。だが、彼らの中で、放射線による新たな健康被害について研究している専門家はほとんどいない。
ところが政府サイトからチェルノブイリ調査に加わったグループがあった。笹川記念保健協力財団の支援で1991年から2001年にかけて行われた「チェルノブイリ医療協力事業」であり、その中心となったのはIAEAに協力した放影研理事長の重松逸造氏、及び同氏に依頼された長崎大学の長瀧重信氏である。長瀧氏は長崎大に赴任してきから放射能による甲状腺の被害について研究していた経緯があって、米ソから政治的外向的な要請のあったこの医療協力と調査の活動に関わるいことになった。そして、長瀧氏の部下としてこの調査・医療協力活動に加わった数人の研究者の中に山下俊一氏がおり、長瀧氏を補佐するような地位にあった。(『笹川チェルノブイリ医療協力事業を振り返って』笹川記念保健協力財団、2006年)
福島原発災害が起こって、どのような対策をとればよいのかというときに、まずチェルノブイリの被災者への医療支援を行って来た人々が医学界から求められたのは自然なことだったかもしれない。だが、その際、菅谷昭医師(後の松本市長)のように日本での地位をなげうって、5年間被災地に滞在し統治の人々に寄り添い彼らとともに暮らしながら臨床にあたる道を選んだ医師・医学者を選ぶこともできただろう。実際には、そうではなくアメリカ流の原爆被害調査の伝統(ABCC=放影研)を受け継ぐ人たち、つまり長期間かけて大量のデータを収集することにより「科学的に価値が高い」成果を上げ、核開発の推進に役立てようという姿勢をもつ専門家がことに当たることとなった。多くの公害問題でもそうなったように、政府が協力を求めるのは被災者側に立つ専門家ではなく、統治側・加害者側に立つ専門家になる。長崎の専門家ということでそれが少し見えにくい事情があったが、そこまで考慮に入れて事態は展開していった。
福島原発災害の放射線健康影響対策では表記長崎大師弟が多大な権限を得て、政府や福島県の放射線対策に関わってきている。なぜそうなったのか?この両者が1)チェルノブイリ事故の日本政府筋の医療援助の代表的存在と見なされたこと、2)長崎大学が放射 線リスク対策の最大拠点と見なされたこと、3)政府に協力する原発=放射線領域の専門家群の中で医学系でまとまった人員をもつのが長崎大脈であったこと。こうした事情によるのかと推測できる。
なお長崎大では2002年より21世紀COE「放射線医療科学国際コンソーシアム」http://t.co/wYmHGDuY 、2007年よりグローバルCOE「放射線健康リスク制御国際戦略拠点」http://t.co/Xeithw79 を行った。グローバルCOEの拠点リーダーである山下氏はこう述べている。「広島・長崎で培ってきた原爆医療の経験を、もっと直接的に社会に活かそうとするもので、本学の教育・研究拠点の中核に位置付けられている。」http://t.co/KWDEuvBg ちなみに21世紀COEのスタート直後、同分野に東京電力の寄附講座が設置されるはずだった。これについては、次回に少し詳しく述べよう。
初出:ブログ「島薗進:宗教学とその周辺」8月28 日より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study561:120922〕
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