3度目にして迷う――北朝鮮報告
- 2012年 9月 29日
- 評論・紹介・意見
- 北朝鮮田畑光永
暴論珍説メモ(116)
9月7日に出発して、中国の瀋陽(1泊)経由で北朝鮮に入り、15日に帰国した。一昨年の5月、昨年の9月に続いて3度目の訪問であった。1回目より2回目は確かに物事が見えるようになった気がしたのだが、2回目より3回目が、とはいかず、むしろ逆になにも分からなくなって、むなしい気分で帰ってきた。
というわけで、じつは報告を書く意欲がわかないのだが、あの国の変化を見極めたいと思って始めたピョンヤン通いだから、とにかく目に留まったことだけでも記録しておくことにする。
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去年9月9日の建国記念日に金日成広場で行われた軍事パレードには金正日、金正恩親子が姿を見せ、パレード終了後には親子が長い閲兵台を端から端まで歩きつつ、身を乗り出して手を振ってくれたので、7,8メートルの距離でご尊顔を拝し奉ることが出来た。
その時の印象では金正日はかなり元気だったから、この国が変化するにはまだまだ時間がかかるなと自分に言い聞かせたのであった。ところが、それから3か月余の12月、彼は突然、この世を去った 正直なところ、これで自分の目で変化を見届けられると喜んだ。
そして予定通り、金正恩が後を引き継いで、軍、党、政の最高位につき、その後、経済改革に手をつけたとか、金正日時代に追放された人間を復活させたとか、「新時代の到来」を思わせる「未確認情報」が伝えられる一方、あたかもそれを裏付けるように7月には軍のトップにいた長老が失脚したことが確認された。
それに続いて、8月、金正日の妹婿(つまり金正恩の義理の叔父)、張成沢が中国を訪問し、中国の商業部長と特区の開発についての定例会合をこなした後、胡錦濤、温家宝のツートップと個別に会談して、大げさに言えば世界を驚かせた。中国のこの2人が個別に会談するというのは、大国の首脳扱いだからだ。
その間、若大将のほうは夫人をテレビに出し、米国映画のキャラクターや音楽が登場するコンサートに自ら喜ぶ姿を国民に見せ、さらには11年前まで金一族の専属料理人を務めながら、逃げるように帰国していた藤本健二氏を7月、ピョンヤンに呼んで食事を共にし、2人がハグする写真を日本に持ち帰らせた。
日本に対してはさらに、敗戦時、朝鮮で命を落とした人々の墓地が開発に伴って確認されたのに伴って、日本からの墓参を認め、また遺骨の引き取りをめぐって赤十字会談、さらには課長級とはいえ政府間会談が相次いで8月に開かれた。
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だから今回の訪朝には大きな期待を抱いていた。改革・開放に進む直前の中国のような雰囲気が感じられるのではないかと。
ところがそんな気配はみじんもないのである。受け入れ先である対外文化連絡協会の顔なじみの案内役兼監視役の態度にも毛ほども変化はなかった。商店、市場、デパート、駅・・・要するに人が大勢集まるところは相変わらず一切見せてもらえず、地下鉄はお昼前のすいた時間に3年続けて同じ1駅間だけ体験乗車。
見せてもらったものといえば、金日成生家、板門店、少年文化宮、果樹総合農場、プエブロ号、マスゲーム・アリラン(有料)、高句麗壁画古墳(有料)、人民大学習堂、ここまでは去年と同じ。今年新たに増えたのは国家贈り物展示館(今年開館。金日成、金正日への南北朝鮮、在外朝鮮族の人々からの贈り物を展示)、万寿台創作社(金日成、金正日の乗馬姿の彫刻を作ったところ)、ハナ音楽情報センター(CDなどを制作する会社で金正日が死の直前に「現地指導」した)といったところ。
だんだんむなしくなってきた。わざと何も見えないところを選んで連れまわされているのではないかという気がしてきたからである。きっと面白い話が書かれているはずの本の白い頁だけを見せられているような。
ある朝、みんなで散歩に出た。勿論、我々だけではなくて案内役兼・・も一緒だ。ホテルから200メートルほどのピョンヤン駅の周辺では、地下鉄の入り口から朝7時を過ぎたばかりというのに、続々と通勤者が吐き出されてきていた。こちらの気のせいか、皆、無表情に見える。
平壌の出勤風景
街で笑いあったりしている人の姿を見たことがあったかなと思い出そうとしても思い出せない。「ピョンヤンには盛り場はないの?」と聞いてみると、「ない」と言う。盛り場のない都市、本当だろうか。都市といえば、ビルでもなければ地下鉄でもなく、まずは盛り場ではないのか。
この本にはどこを読んでも面白い話はないのか。だから皆、無表情なのか? まさかそんなことはありえないだろう? どっちなのか、まるで分らない。
経済状況について、今年もまた社会科学院の李基成教授のレクチュアを受けた。3回目だ。GDPについては、一昨年の話で2007年に163億6000万ドル、1人当たり638ドルという数字を聞いただけなので、最近の数字を教えてほしいと頼んだが、答えは今年も「持っていない」。
ただ1つ、新しい数字が出てきたのが、去年の食糧生産高が513万2870トンだったということ。これは一昨年に比べて1万トンの増産だそうだ。これが出てくるまでには、経済建設では自立性、自主性を高めるとか、全般的に産業部門を活性化するとか、農業にすべての能力を総動員するとか、長い長いお話があった。
ところがこの数字、一昨年聞いた2005年の生産高545万トンより30万トン以上も少ないのだ。経済学者なら長い長い建前のお話よりも、農業のこの停滞の原因を話してほしいものだが、先生は淡々とお経を読むようにお話を続ける。
私は去年まで、この先生にすこし同情して、勿論、いろいろな数字を知っているけれど、国の体面を考えて一番いい数字しかわれわれに明らかにしないのだろうと想像し、それを前提に先生の話をいろいろに解釈していたのだが、今年は顔を見ているうちに、失礼ながら先生は何も知らず、何も考えていないのではないか、という疑念がわいてきた。指導者なり、党なりが発表する宣伝論文を片端からノートにとって、それを繰り返すのが経済学者の仕事と割り切っているのではないか。それは通勤者の無表情に通じる。
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というわけで、むなしい1週間だったのだが、われわれがうるさく要求するものだから、この国のからくりを1つだけ垣間見るチャンスを受け入れ先が作ってくれた。それは最近オープンした「光復地区商業中心」という中国と朝鮮合弁のショッピング・センター(外貨商店)の見学だ。写真撮影は一切ダメ、立ち止まることもせずにただ速足で一回りするだけという厳しい条件付きの見学だ。
中国の簡体字による名称も併記された外貨商店
新しいだけあって、広いきれいな店内だったが、陳列されている商品はほとんどが中国製だ。値段票を見て仰天した。なにしろべらぼうに高い。立ち止まれないからちらと見て記憶するしかないのだが、後で皆の記憶を頼りにわかっている分を共有したのだが、たとえば桃ジャム1瓶9000ウオン、ミリンダ4200ウオン、シャンプー9900ウオン、醤油大瓶1万9000ウオン、男物コート12万ウオン、背広上下45万ウオン、自転車44万ウオンなどなど。一般職員労働者の賃金は月3000ウオンぐらい、幹部で5000ウオンぐらいと言われるのに、この値段は一体なんだ。
以前の報告で、北朝鮮では外国人に両替をさせないのが不思議な政策だと書いた覚えがあるが、その秘密がこれで分かった。ホテルのカウンターには両替はしてくれないが、各国通貨とウオンの換算レートが表示してある。それによるとウオンはおおよそ日本円の8割くらいの価値があることになっている。
しかし、両替をしないから、外国人は食堂やタクシーや土産物などで外貨をそのまま払う。換算表はそのための目安だ。こうして街には人民元(最も多い)やユーロやドルや円が流れ出る。それを政府は吸収しなければならない。われわれが見たのはどうやらそのための店なのだ。そこでは外貨は表向きの換算レートでなく、実勢で使える。そのレートは1ドル=5000ウオンだという。上の値段を5000で割れば、ドル価格になる。大体、合理的な値段になる。
じつはピョンヤンには中央市場という市場があって、そこではかねて外貨で売買が行われている。そこはとても見せてもらえないのだが、そこでは1ドル=6000ウオン、さらに巷の闇相場では1ドル=7000ウオンにもなっているという。
かりに1ドル=5000ウオンとすれば、80円が5000ウオンということだから、1円が実勢では62ウオンくらいになる。それが表向きのレートでは1円=1.2ウオンくらいだから、その開きの大きさは尋常ではない。だから外国人から取るときは表向きの高いレートで換算し、国民の手に渡った外貨には実勢で使わせる商品を用意して、それを吸収しているのだ。
これがはっきり分かったのが、今回の旅行の収穫だった。それにしてもあの無表情の人たちが、世の中の変革を求める日が来るのだろうか。それを疑問に思ってしまった旅行であった。
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〔opinion1012:120929〕
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