日本側の無思慮で「棚上げ」方式が瓦解 -日中関係の破局を考える(上)-
- 2012年 10月 4日
- 評論・紹介・意見
- 伊藤力司尖閣日中関係
野田内閣が9月10日尖閣諸島の国有化を閣議決定したことで、中国で反日デモの嵐が吹き荒れた。日中国交回復40年を祝うべき記念の年に、日中関係はこの40年間で最悪の事態を迎えている。暴徒化したデモ隊が日系大型店に乱入して破壊と略奪の限りを尽くす映像に「乱暴狼藉」という言葉が浮かんだ。何とおぞましい行為か。しかし前世期、われわれの父と祖父の世代は中国で何十万倍、何百万倍の乱暴狼藉を働いたのではなかったか。そのことに思いを致しながら、日中破局について考えてみたい。
日中関係の「トゲ」というべき尖閣問題を悪化させないために、これまでは問題を「棚上げ」するという曖昧な方式が両国間に働いていた。発端は1972年、時の田中角栄首相が訪中して周恩来首相と国交回復を話し合った際、田中首相が尖閣問題を取り上げようとしたところ周首相は「その話はしないでおこう」と述べたことだ。1960年代末に行われた尖閣諸島周辺・東シナ海の国際調査で有望な海底石油資源が発見された。それまで尖閣諸島の日本領有に異議を挟まなかった中国も、これを機に1970年から釣魚島(尖閣諸島の中国名)の領有権を主張し始めていた。田中首相はそのことを承知していた。
続いて1978年、日中平和友好条約締結の際に中国の実力者、鄧小平副首相が園田直外相(当時)に「放っておこう。こういう問題は10年棚上げしてもかまわない」と述べたという。園田外相が「もうそれ以上言わないでください」と応じ、双方がこの問題を「棚上げ」にするという暗黙の了解が交わされた。尖閣ではその後30年以上の間に、日本の政治結社が灯台を建てたり、中国、台湾、香港の活動家が島に上陸したりして、その都度外交紛争になったが結局は「棚上げ」方式で事態を収めてきた。しかし問題はこれが曖昧な「了解事項」であって、成文化された合意でないところに問題がある。
石原慎太郎都知事が今年4月訪米、超保守のネオコン系シンクタンク「ヘリテージ財団」の会合で「尖閣を東京都が買い取る」と爆弾発言をしたことが、棚上げ方式を瓦解させる発端となった。右翼イデオローグとして自他ともに許す石原知事としては、領土問題という妥協不可能なテーマを突きつけることで、「軟弱な対中姿勢」を続ける日本人に国家防衛意識を掻き立てようとしたのだろう。かつて米国に向けて「NOと言えるジャパン」を叫び、都知事選挙の公約に「横田基地の返還」を掲げた石原氏だが、何故あえてワシントンで日中関係にトラブルを起こす「挑発」を行ったのか。
2009年の政権交代で誕生した民主党の鳩山由紀夫首相と小沢一郎幹事長のコンビが「対等な日米同盟」「東アジア共同体構想」を掲げ、アジア重視(実質的には中国重視)を鮮明にしたことは、長年自民党政権下の日本を「従属的同盟者」扱いをしてきた米国を刺激した。米海兵隊・沖縄普天間基地の「国外移転、悪くても県外移転」に失敗した鳩山政権は、1年ももたずに潰されたが、日本独自の対中接近を嫌うワシントンの空気を察知していたからこその「アメリカに恩を売る」石原発言だったに違いない。
石原発言を受けて野田佳彦内閣は動いた。東京都でなく国が島を買い取る方針を決めて、地主からの買い取り交渉に敏速に動いたのである。東京都に買い取られたら、石原氏の持論である灯台の改修や船舶停泊施設の建設に取り組むだろう。そうすれば尖閣の現状変更を行うことになり、「棚上げ」で暗黙に了解している島の現状維持に反する結果を招く。「平穏かつ安定的な維持管理を図るために」(藤村修官房長官9月10日記者会見)国が買い取ることを決めたという訳だ。
この前日の9月9日、野田首相はウラジオストクで開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議の合間に、胡錦濤中国主席と15分間の立ち話をした。日本側は正式な日中首脳会談を申し入れたのだが、中国側は既に報じられていた野田内閣の尖閣国有化計画に反発して正式会談に応じなかった。この立ち話で何を話したかと記者団に問われた野田首相は「中国の発展は、わが国や地域社会にはチャンスで戦略的互恵関係を深化させていきたい。現下の日中関係については大局的見地から対応したいと申し上げた」と語った。
一方の胡主席の発言は、中国の公式メディアで繰り返し報道された。その趣旨は「このところ中日関係は釣魚島問題で厳しい局面を迎えている。この問題で中国の立場は一貫しており、明確だ。日本がいかなる方法で釣魚島を買おうと、それは不法であり、無効である。中国は(日本が)島を購入することに断固反対する。中国政府の領土主権を守る立場は絶対に揺るがない。日本は事態の重大さを十分に認識し、間違った決定を絶対にしてはならない。中国と同じように日中関係の発展を守るという大局に立たねばならない」というものだった。
しかしその翌日、野田内閣は予定通り尖閣の国庫による買い取り、つまり尖閣の国有化を閣議決定した。胡錦濤主席のメンツは丸つぶれである。その翌日の11日から中国全土で反日デモの嵐が吹き荒れた。それから8日間、当局公認の反日デモが中国各地で連続した。9月18日は、満州事変(東北3省の日本による事実上の植民地化)の発端となった関東軍の謀略による柳条湖事件の記念日、中国からすれば「国恥デー」だ。それまで盛り上がり続けた反日デモを、中国当局はこの日を境目に抑制に転じた。しかし、9月27日に北京で予定されていた国交回復40周年記念式典が中止になっただけでなく、民間レベルの日中交流事業やビジネス関連の各種イベントなども、中国当局の意向で片端から取りやめになった。「野田首相に裏切られた」胡錦濤政権の怒りがどれほど強いかが、連日明白になった。
野田内閣にしてみれば、島が東京都に買われて現状変更をされるのを防いだから、中国側もそれをわかって欲しいという思いがあったかもしれない。しかし中国側にしてみれば、国有化自体が大きな現状変更である。中国語では「国有化」の「化」は現状変更を意味する語だという。中国語と中国事情に通じた人によると、中国当局が「民主化」という言葉を嫌うのも同様な理由からだそうだ。
しかし野田政権側は、尖閣の国有化が次善の策であることを中国側に充分に説明しただろうか。石原知事の尖閣買い取り計画は棚上げ「合意」を反古にする意図を持っているので、それを封じるための国有化という手段を取らざるを得ないというのが、野田内閣の判断だったと思われる。しかし中国側がそうした日本側の事情を理解していたかどうか。また東京都の買い取りを封じるためには、国有化以外に第3の道はなかったのかどうか。
ともあれ野田政権は、中国がこれほどの反発をするとは予想していなかったのだろう。だが伏線はあった。石原知事の買い取り計画は日本国内で話題を集め、一般国民から買い取り資金カンパが東京都に寄せられたことがニュースになった。こうした中で去る6月、中国駐在の丹羽宇一郎大使が英紙とのインタビューで「東京都の尖閣買い取りが実行されれば、日中関係に極めて深刻な危機をもたらす」と述べていたのだ。
この丹羽発言について大方の日本メディアは批判的だった。さらに藤村修官房長官や前原誠司民主党政調会長ら野田政権の要人が「日本政府の立場を表明したものではない」「大使の職権を超えた発言だ」「東京都より国が買うべきだ」などと批判した。そのあげく大使は一時帰国を命じられた。大使はこの問題についての中国当局の厳しい姿勢を本国政府に詳しく報告し、警告したと思われる。しかし野田政権はこの警告を傾聴しなかった。
9月9日ウラジオストクでの日中首脳の立ち話は、非常に緊迫した雰囲気の下で行われた。8月15日に尖閣に上陸した香港の民族主義者14人を逮捕した日本側は、彼らを起訴せず強制送還した。これは棚上げ方式による解決だったが、この事件を機に中国、香港、台湾の民族主義感情が湧き立っていた。そうした空気の中で語られた胡錦濤発言を、野田首相はどのように受け止めたか。「大局的観点から対応したい」との野田発言を胡主席はどう解釈したか。破局のきっかけは、野田首相に思慮が足りなかったためではなかったか。
もうひとつ問題がある。ちょうど2年前の9月、尖閣諸島海域に押し掛けた中国漁船が海上保安庁の巡視船にぶつかってきた事件だ。この時海保の担当大臣だった前原誠司国土交通相は、中国漁船の船長を公務執行妨害容疑での逮捕・起訴を命じた。2004年に中国の民族派グループが尖閣に示威上陸した際、時の小泉純一郎内閣はグループを起訴せず、強制送還した。つまり棚上げ方式を採用したのだ。小泉首相は中国の嫌う靖国神社公式参拝を繰り返す反中国派と見なされていたが、棚上げ方式紛争化を防いだ。
前原大臣の指示で海保当局が漁船船長を起訴したことに中国側は怒り狂い、連日の反日デモを行った。それだけでなく、中国政府は日本の電子製品などに不可欠で、中国の独占的輸出品であるレアアースの対日輸出規制を始めた。さらに中国の国家安全当局は、日本の建設会社社員4人を無許可で軍事管理区域に侵入したスパイ容疑で逮捕した。こうした報復行為にたまりかねた時の菅直人内閣は、結局那覇地検に「日中関係を考慮して」船長を処分保留のまま釈放させ、一件落着にこぎ着けた。前原氏の浅慮が中国を大いに刺激し、棚上げ方式が脆いことが印象づけられた。この事件が「2012日中破局」の伏線となった。(続く)
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