日本には米中覇権戦争を防ぐ役割が -日中間の破局を考える(下)-
- 2012年 10月 4日
- 評論・紹介・意見
- 伊藤力司尖閣日中関係
尖閣諸島をめぐる日中間の棚上げ方式が機能しなくなった背景には、中国の経済・軍事大国化という事情もある。大国化した中国は、1840年のアヘン戦争で大清帝国が大英帝国に敗れて以来、170年もの屈辱の歴史から脱しつつある。その屈辱は、20世紀前半に国土を日本帝国主義に侵略され、蹂躙された歴史的事実で増幅された。一昨年のGDP(国内総生産)統計で日本を抜いて世界第2位の経済大国になった中国が、今度こそ日本を見返してやろうというナショナリズムに駆られても不思議はない。
大国化した中国は尖閣諸島などの東シナ海だけでなく、ベトナム、フィリピンなどと小さな島々の領有権争いを抱える南シナ海でも権益確保の動きを活発化している。第2次世界大戦の勝利以来、太平洋の覇権を独占してきた米国にとって由々しい事態だ。オバマ米政権が本年1月早々アジア太平洋地域重視を打ち出す新国防戦略を発表したのは、急速に海空軍戦力の増強を続ける中国に対抗するためだ。もし太平洋をめぐる米中の覇権争いが戦争になったら、日本はひとたまりもない。日本は歴史的、地政学的に米中の覇権戦争を防ぐ役割を担わなければならない立場にあるのだ。
遣唐使の歴史を振り返るまでもなく、日本は古代から中国文明の恩恵を受けてきた。もし中国から漢字が導入されなかったら、日本は万葉集も古事記・日本書紀も持てなかったろう。仏教はもとより孔子、孟子、老子などの中国思想・政治哲学を学んだことにより、日本は世界有数の文明を築くことができた。(ちなみに江戸時代に寺子屋が普及したことにより、明治初期の日本人の識字率は世界のトップ級だった。)しかしアヘン戦争に敗れた清国の惨状を見た高杉晋作ら、時代に目覚めた若い志士たちは明治維新を成功させ、西欧をモデルにした日本の近代国家づくりを進めた。
「脱亜入欧」に励んだ日本は、日清戦争と日露戦争に勝利すると西欧帝国主義の亜流国家となり、1910年に韓国を植民地化。1932年に満州を準植民地化しただけでなく1937年からは中国本土への侵略を進めた。日本の中国侵略に反対する米国から石油禁輸を食らった日本は1941年、真珠湾攻撃で米国との戦端を開いた。独伊日の3国枢軸対米英ソ中など連合国の第2次世界大戦は1945年枢軸側の完敗に終わり、日本は連合国のポツダム宣言を受諾して全面降伏した。
1937年から1945年までの日中戦争の8年間、中国本土で日本軍は暴虐の限りを尽した。この間の中国側の死者は、1985年に発表された中国共産党の統計によると、軍人100万人、民間人2000万人、合計2100万人に上ったとされる。しかし国共合作で抗日戦争に勝った中国側では、国民党・蒋介石も共産党・毛沢東も日本に賠償を求めなかった。「暴に報いるには恩を以って為す」という蒋介石の言葉が遺されているが、中国側が対日賠償請求をしなかったことは、原爆を含む米空軍の猛爆撃で産業基盤を完全破壊された日本にとっては実に有り難いことだった。
時代は跳んで1972年、日中国交回復を決意した毛沢東・周恩来コンビは、「日本帝国主義は日中両国人民共通の敵である」というテーゼを掲げた。「あの日本兵たちも帝国主義者に狩り出され、戦地に連行された犠牲者だったのだ」という説明で、日本に恨みを持つ中国人を説得した。当時は毛・周コンビの権威が絶対の時代だったから、中国人は一応納得した。しかし日本帝国主義の代表であるA級戦犯が靖国神社に合祀され、その靖国神社に小泉純一郎首相が毎年参拝するに及んで中国人の怒りは沸騰した。
一方で小泉首相以前の歴代自民党政府は、途上国向けのODA(政府開発援助)を中国に最も手厚く振り向けた。鄧小平副首相の肝いりで1978年末から始まった「改革・開放政策」による中国の高度成長は、当初日本のODAで急速に進められたインフラ整備(例えば上海・宝山製鉄所の建設)に支えられたのだった。1980年代は胡耀邦総書記・趙紫陽首相の改革派コンビと日本側の援助がうまく噛み合う日中「蜜月時代」だった。
しかし1989年の天安門事件で趙紫陽総書記(当時)が失脚、代わって上海のボスだった江沢民氏が総書記に、やがて国家主席に就く。1992年の第14回共産党大会から2002年の第15回党大会までの10年間、「上海閥」全盛の江沢民時代が続く。この時代の中国は、毛沢東時代から一転して反日・民族主義教育を全国で徹底して進めた。この反日教育を受けた人々が今日の現役世代であり、最近の反日デモの中心勢力である。
江沢民氏の父親は、日本の傀儡政権として1940年から1945年まで存在した国民党南京政府(汪兆銘主席)の高官だった。つまり江沢民氏は漢奸(売国奴)の息子である。1945年に19歳で中国共産党に入党した同氏は父親のことは隠していたが、同氏が出世して有名人になると父親のことが噂になった。こうした背景があって、江沢民主席は政権トップの立場に就いてから、ことさらに反日教育を推進したといわれる。だから毛沢東時代に学校教育を受けた先代の中国人と江沢民時代の教育を受けた現代人とは、対日姿勢が微妙に異なるようだ。
今年秋には、5年ごとに開かれる中国共産党の第18回党大会で、胡錦濤氏から習近平氏へのトップ交代が行われる予定だ。今年の党大会は11月8日に開会されることが9月28日になってようやく発表された。これまで党大会はいつも10月に開かれ、その日程は8月中に発表されてきた。今年の党大会では胡氏から習氏へのトップ交代は確定しているが、最高権力グループの政治局常務委員会のメンバーの人選が注目の的だ。常務委入りが噂されていた重慶市のボス、薄煕来政治局員が妻の殺人事件絡みのスキャンダルで失脚した余波で、首脳部の人事をめぐる権力闘争の決着を着けるのに9月末までかかったということのようだ。
尖閣をめぐる日中関係は、噂される中国共産党首脳部内の権力闘争と無縁ではないだろう。権力闘争は、胡錦濤氏の共青(共産主義青年団)派、江沢民派、習近平、薄煕来氏らの太子党派の3派が複雑に絡み合って闘われていると言われる。この大事な時期、9月1日から2週間にわたり習近平氏が姿を隠したことも、権力闘争絡みの謎のひとつだ。胡錦濤指導部は、権力闘争に勝つために軍部の支援を得ようとして、ことさらに対日強硬姿勢を貫いたのかもしれない。あるいは江沢民派に対日姿勢が弱腰と批判された胡錦濤派が強硬姿勢を採らざるを得なくなったという事情も考えられる。
21世紀に入って世界中の軍事専門家が注目しているのは、中国の高度経済成長のペースを上回る中国の軍備増強ぶりだ。公表された国防予算だけでも過去20年間に毎年2桁成長を続けてきたが、これ以外にも別枠の軍事費が組まれている。増え続けている軍事費は主に海空軍力装備の現代化、宇宙の軍事利用などに当てられている。2011年3月に発表された中国政府の国防白書は、当面の国防政策の目標と任務として「領土、領海、領空の防衛と国家の海洋権益の保護」を明確に打ち出している。
海空軍力を増強しての中国の急速な海洋進出は近隣諸国を警戒させているだけでなく、第2次大戦後世界の海洋覇権を握り続けてきた米国にショックを与えている。オバマ政権は本年1月からようやくアジア太平洋を最も重視する新戦略を打ち出し、中国の海洋進出の動きをチェックする体制の整備に動き出した。過去30年にわたって高度成長を続けてきた中国は、2020年代に米国を追い抜いて世界1の経済大国になるかもしれない。その経済力に見合った軍事大国化を進めていることは間違いない。
衰退しつつあるとはいえ、まだ唯一の超大国であるアメリカ。太平洋をはさんで軍事大国化しつつある昇り龍の中国。古今東西の歴史を尋ねると、衰退期の覇権国と上昇中の新興大国は必ず覇権争いを行っている。しかし、まさか核大国同士の米中が太平洋の覇権を争って戦争を起こすとは考えられない。財政赤字に苦しむ米国の国債を3兆ドルも買ってもらっている中国に、米国が本気で戦争を仕掛けることはできっこない。米中は経済的に相互依存しつつも、政治哲学の相違もあって厳しい緊張関係にある。
このように緊張をはらんだ米中のはざまに立つわが日本。アメリカべったりの自民党から政権を奪った民主党だが、オスプレイの沖縄・普天間基地配備をめぐる動きを見ても、野田政権の対米従属の姿勢は自民党政権と変わらない。むしろ沖縄県民の意向を無視して、オスプレイ配備を急ぐアメリカの対中戦略に進んで同調し、中国と敵対しようとしているように見える。日本は本来歴史的、地政学的に米中間の争いを調停すべき立場に位置している。中国とアメリカの双方を理解できる文明的素養を持っているのは、おそらくこの地上で日本だけだ。今こそ日本はアメリカ従属から脱し、中国とまっとうな付き合いをすべき時だ。
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