「時間文化集団」から考える「年号」尊重論
- 2012年 11月 1日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
二昔前ある旧帝大系研究所で研究者総会が開かれた時、議長を務めていたリベラル文化人の所長が「諸氏は世界に開かれる市民社会をとよく言われるが、学内の文書で年号を抵抗なく用いているではないか」と多くのリベラル的・左派的研究者の非一貫性に苦言を呈したことがあった。資本主義への左派的批判者と言う点では人後に落ちない私(非常勤メンバーであった)は、「はい」と手をあげて、「私は年号に賛成する者です」と公言した。年号をやめて、西暦を使用するだけでは、特定の世界に開かれるだけで、多様な諸社会に向って開かれるわけではない。日本の諸大新聞は、西暦(年号)、あるいは年号(西暦)のスタイルをとっている。私の希望する所は、せめて大新聞が年号(西暦=キリスト暦、イスラム暦、仏教暦、・・・)の形式を採用することであった。
平成9年(1997年)4月、千葉大学社会文化科学研究科の科長として大学院入学式で次のように挨拶をしめくくった。「平成の時代を、西暦21世紀を、イスラム暦15世紀を、仏教暦26世紀を人類社会に名誉ある地位を占める民族として、個人として、研究者として生きて行きましょう。」(千葉大学『社会文化科学研究』第2号)
ところで、今年の10月に半月ほどポーランドとセルビアを旅行したところ、ベオグラードで百年前の珍しい古本に出会った。セルビア王国の『国家カレンダー 1914年』である。パラパラとページを開いて見ると、驚いたことに私の希望がすでに実現されていたのを発見した。もっとも、聖書世界の多元性の彼方は、当時、視野の外であったが。『国家カレンダー 1914年』の第2頁に自分達のキリスト暦とイスラム暦、そしてユダヤ暦との月日対照表が掲載されていた。
諸例を示しておこう。
イスラム暦 西暦
1332年 1914年
サフェル 16日 1月 1日
サフェル 29日 1月 14日
レビユルーエヴェル 1日 1月 15日
レビユルーエヴェル 30日 2月 13日
レビユルーアヒル 1日 2月 14日
レビユルーアヒル 29日 3月 14日
ジェマジユルーエヴェル 1日 3月 15日
ジェマジユルーエヴェル 30日 4月 13日
ジェマジユルーアヒル 1日 4月 14日
ジェマジユルーアヒル 29日 5月 12日
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ジルヒジェ 1日 10月 7日
ジルヒジェ 29日 11月 4日
1333年
ムハレム 1日 11月 5日
ムハレム 30日 12月 4日
サフェル 1日 12月 5日
サフェル 27日 12月 31日
ユダヤ暦 西暦
5674年 1914年
テベト 16日 1月 1日
テベト 29日 1月 14日
シェバト 1日 1月 15日
シェバト 30日 2月 13日
アダル 1日 2月 14日
アダル 29日 3月 14日
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エルル 1日 8月 10日
エルル 29日 9月 7日
5675年
ティンリ 1日 9月 8日
ティンリ 30日 10月 7日
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キスレフ 29日 12月 4日
テベト 1日 12月 5日
テベト 25日 12月 31日
また、セルビア公国の『カレンダー・年鑑1870年』を見ると、第1頁に「東方教会計算によると今年は世界創造より7378年、西方教会では5819年、ユダヤ教では5631年。」と提示されている。セルビア王国の『年鑑・カレンダー 1891年』によると、それぞれ7399年、7607年、6652年となっている。21年後の数値としては、東方教会は丁度7378+21=7399となって整合性があるが、西方教会とユダヤ教に関しては全く不整合である。不思議である。それはさておき、私は、ここには様々な自分とは異なる時間文化集団を尊重する姿勢が見られることを高く評価したい。
現代日本の市民社会人が様々な時間文化集団を黙殺するような年号否定・西暦唯一論に陥るとすれば、それは世界に開かれる扉を半開きにするようなものであろう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1058:121101〕
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