ワルシャワに旧知を尋ねて想う、「喪失」
- 2012年 11月 4日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
今年は8月にワルシャワを数日訪ねた。目的は、旧知のタデウシ・コヴァリク教授に会って、彼の新書(Polska Transformacja 2009、その英訳 from SOLIDARITY to SELLOUT 2012)について意見をかわすことであった。残念ながら、それはかなえられなかった。今夏亡くなられていた。電話口に出た人がそう告げた。
彼は、1980年8月の超大ストライキと「連帯」労組誕生のはるか以前からワレンサを始めとする地下労働運動家達を支えてきた知識人グループの主要リーダーであった。1989年からの体制転換以来、支援知識人達の圧倒的多数が自主管理共和国ポーランドの理念をあっという間もなく忘れ去り、ネオリベ、あるいはそれに近いリベラリズムへ転進、ないし本来の素性を顕示した。彼らが支援してきた基幹産業(重厚長大)の労働者部隊を裸のまま資本主義にまかせてしまった。タデウシ・コヴァリク教授はそれが出来ないタイプの人格と理論を保持していた。一貫して勤労大衆の労働と生活を軸にする経済社会システムを追求して来た。
彼の姿勢は、新著の次の一節からも明らかであろう。「今日、ソ連モデルは、経済発展に成功しなかった歴史的道程であると広汎に見なされている。しかしながら、かかる一般的結論は、すべてを語り尽くしていない。当10年期の初めに行われた世論調査『共産主義ポーランドと現ポーランドのどちらが生活し易いですか』への回答は、50パーセント強が旧体制を良しとし、わずか11.5パーセントが現システムを良しとする、である。同様の傾向がすべてのポスト共産主義諸国に見られる。1989年後にポーランドに樹立されたシステムは、自分達の生活に好ましからぬインパクトをもたらしている。三分の二以上の回答者がそう語っている。・・・・・旧体制の長所、・・・・・完全雇用、そして低水準であれ、全面的な社会保障。」(ポーランド語版p.16、英語版p.25)
ここで、ポーランド文学研究家のつかだみちこ女史の一文を参考として紹介しておこう。
(引用開始)
そのコンパートメントには、もとグダニスクの造船所に勤めていたという70代の女性がいた。彼女は連帯運動後の世界情勢の混乱を憂いながら、次のように話してくれた。
「造船所の生活はあのことが起こるまで、つまりアンナ・バレンチノヴィッチが不当解雇されるまで本当に理想的なものであった。サナトリウムも病院も社員食堂の設備も完璧だった。一文も払わずに高等教育を受けることだってできた。失業者も一人もいなかった。それが今は学校にいくのには高い月謝を払わなくてはならないし、失業者は20%、つまり五人に一人。年金も低い。1000ズオティ(約三万円)の年金で800ズオティのアパート代を払って90歳の母親の面倒をみなくてはならない。今、ただ一つのことを確信をもっていうことができる。もし世界がこんな風になるとわかっていたら、連帯の活動家たちは果してあんな行動にでただろうか?彼らだって決してこんな風になることを望みはしなかったということなの」
確かに「連帯運動」の活動家の中には、自分で自分の首を締めたような、苦い思いをかみしめている人も多いことだろう。
彼女の話に相づちを打つほかの乗客たちも、9.11以来急展開してしまった現在の世界状況を嘆きながら、「先が見えない」「先が見えない」と嘆きつつ、二時間遅れでワルシャワ中央駅に無事到着したのであった。ワルシャワでは日本の新潟県中越地震の映像に、テレビの画面が大揺れに揺れていた。(『交通新聞』)
(引用終わり)
私も毎年数日ワルシャワを定点観測する毎に、同じことをタクシー運転手や普通人から聞かされる。別に反体制運動をする気力があるわけではないが、「資本主義になったら、今よりは・・・は、全く嘘だった。」勿論、ポジティブな人もいる。ある週刊誌にジャーナリストが「1989年以来、日々の暮らしはほぼ変わっていない。但し、検閲がなくなって気苦労なく仕事が出来る。それが変化だ。」言論を職業とする人々はこのメリットだけでも、生活水準が上がっていなくても、現行システムを肯定できる。知識層は上がった人たちが多いだろう。しかしながら、通常勤労者であって、生活が苦しくなったり、十数パーセントの失業率に直面すれば、・・・。
週刊誌『連帯』(10月12日)の表紙は、小さな町のがらんとした、うらぶれた表通りの写真と「町にも村にも仕事なし」のキャプション。そして縮小した「連帯」労組議長ピョートル・ドゥダの発言「新しい8月が必要だ」と彼の顔写真。
私は、日本のポーランド「連帯」運動の知的支援者達が、旧体制転落で満足してしまい、「連帯」運動を担った基幹労働者階級のその後のつらい運命に冷淡なのが気になる。自己責任の体制になったのだから、それでよい、と言うことなのだろう。スターリン主義打倒が主目的で労働者運動支援はその手段であった資本主義絶対論者であれば、それはそれで合理的かつ倫理的であろう。しかし、私の記憶が間違っていなければ、そんな支援者は少数であったと思うが。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1060:121104〕
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