好戦的右翼の登場 ―2012年総選挙の戦況―
- 2012年 11月 26日
- 時代をみる
- 半澤健市総選挙
2009年9月に起こった「政権交代」の実体は「二大保守政党独裁の誕生」である。
私は選挙翌日の9月1日のブログでそう書いた。その理由は、争点なき選挙だったからである。
「政権交代のための政権交代」というナンセンスな争点だけで戦われたからである。
「国のかたち」が争点にならなかったからである。
《問われなかった「国のかたち」》
その時の「国のかたち」とは何か。
争点は三つあったと思う。
一つは、外交の対米自立である。
二つは、新自由主義からの脱却である。
三つは、官僚主導政治から真の民主主義政治への脱皮である。
2011年の3/11を経て、「脱原発」の可否が四つ目の争点、かつ最大の争点となった。
民主党連立政権の期間に起きたことは次の通りである。
外交は対米自立どころか従属が強まった。歓呼の声で迎えられた鳩山由紀夫の政界引退はその象徴である。鳩山は、「私がおわびしなければならないのは、『最低でも県外』を掲げたことでなく、それを実現する道筋をつけるに至らなかったことに対してである」(『文藝春秋オピニオン 2013年の論点100』)といっている。この真っ当な言葉は、しかし現在の世論ではない。メディアは「最低でも県外」発言が日米同盟を弱めたと批判した。国民の多くもその評価を妥当とした。話が逆になっているのである。そのために一億対米従属が完成した。オスプレーが日本全土を飛ぶ日は近い。しかも自衛隊も日の丸をつけたオスプレーを飛ばすであろう。都知事と首相が合作した尖閣諸島国有化で日中関係は致命的に悪化した。米国が日中紛争に武力で介入する気はひとかけらもない。日中関係がこじれて「日貨排斥」が起これば、オバマの輸出拡大策には有利な状況が生まれる。
《新自由主義と官僚主導》
新自由主義から脱却できなかった。民主党が「マニフェスト」に掲げた「反新自由主義的な」所得再分配政策の多くはバラマキの一言で葬り去られた。TPP推進は、国会解散後の首相が、わざわざ米大統領に対してコミットしている。格差拡大と戦うべき労組は政権に取り込まれている。
官僚主導はどうなったか。「マニフェスト」になかった消費税導入は官僚の作品であった。絶対多数の与党から50人が離脱した。いくら何でも消費税可決の欺瞞には我慢できなかったのである。
原発事故は「〈政・官・財・学・報〉複合体」による「無責任体制」を白日の下に晒した。大震災の被害からの回復が遅々としている中、野田佳彦は11年12月に原発事故は収束したと宣言した。この間、経済のゼロ成長が続いている。
《問われるべき対立軸は何か》
今度の選挙では「国のかたち」が真正面から問われている。
第一 原発の是非である。
「集団主義と無責任体制」が創った日本近代150年が問われている。我々は日本全土で、故郷に住めなくなる危機に直面しているのだ。脱原発に関する政治家のいう微妙な表現に騙されてはならない。最も基本的な争点は「ゼロか継続か」である。その間に濃淡がついて原発政策がズラッと並ぶのである。単純な「ゼロか継続か」論に惑わされてはならないという者たちがいる。その俗論に惑わされてはならない。これは未来の命を守る問題であって決断が必要なのである。
第二 戦後日本の原点たる憲法「改正」の是非である。
安倍晋三の自民党は「改正」案に「国防軍」の創設を入れている。日本維新の会の代表は「押しつけ憲法は破棄すべきだ」と呼ばわっている。戦後民主主義の全否定である。
第三 外交の強硬路線が争点である。
尖閣国有化で正常化後40年の日中関係を破壊した石原は、戦争と核武装の肯定に限りなく近い発言をしている。「平和主義」、「専守防衛」は、戦後の「国のかたち」の基本であった。それが危機に瀕している。
第四 真の「新自由主義」批判が求められている。
新自由主義の帰結である「リーマン・ショック」は世界的な財政危機に発展した。2013年はそれが世界恐慌に発展する年になるだろう。民主党による「反新自由主義」的政策は僅かの部分で実施されたが、総じて「バラマキ」策として嘲笑の対象となった。本当にそれでよいのか。欧州の新自由主義批判には学ぶべきことが多い。
《対立軸を自分で考える》
10歳前後で敗戦をみた私の世代は、好戦的政治家がいう「(シナ人が攻めてきたら)追っ払えばいいんだよ」という言葉を理解できない。「そんなだから中国にバカにされるのだ」という批判を、200%承知の上で私は言うのである。
2009年に成立した「二大保守政党独裁」の秩序はいま崩壊しかけている。しかしそれは「保守独裁」が崩壊しかけているのではない。反対に「リベラル保守」が崩壊し、戦争を恐れない「好戦的右翼」が公然と自己主張を始めているのである。そして彼らに対する対抗軸が存在しない―厳密には「ほとんど存在しない」―状況が生まれているのである。
メディアは対抗軸を曖昧にして「誰に投票してよいかわからない」選挙戦だと言い出している。そんなことはない。「国のかたち」に関する対立軸は明瞭である。その対立軸を基準として政党と人物を選ぶことが今回こそ必要である。勿論、私が上記に挙げた対立軸が唯一のものではない。対立軸は自分で考えてつくるのである。
考える有権者にとって選択はそんに難しい問題ではない。とはいえ我々に残された時間は長くない。「戦況」は99%の側に不利なスタートとなっている。(11月24日記す)
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