「暴走老人」ならぬ「風狂老人」に鉄槌を -時代錯誤の石原慎太郎をのさばらせてはならない-
- 2012年 12月 13日
- 時代をみる
- 伊藤力司石原慎太郎選挙
任期途中の東京都知事の職務を放棄して国政復帰を宣言した石原慎太郎。本人は「暴走老人」を自認しているが、彼の実像を探れば「風狂老人」と呼んだほうがぴったりだ。大阪で時めいている橋下徹大阪市長に日本維新の会の党首に奉られて総選挙に臨み、平和憲法を破棄するとか、日本の核武装をシミュレートすべきだとか、全くアナクロニズム(時代錯誤)の言説を大真面目に語っているからだ。
石原は1932(昭和7)年9月30日生まれ。太平洋戦争で日本が敗れた1945(昭和20)年8月15日に旧制中学1年生だった。この世代は1939(昭和14)年に「尋常小学校」に入学したのだが、小学3年生に進級した1941年4月にいきなり「国民学校」生徒にさせられた。国民学校とは、初等教育から「大君(天皇陛下)のために喜んで死ねる小国民を育てる」ことを目指す学校だった。1941年12月8日、真珠湾攻撃とマレー半島上陸作戦によって幕を切った太平洋戦争(当時は「大東亜戦争」と呼んだ)を、日本人は歓呼の声で迎えた。この時国民学校1年生だった筆者は、対英米戦争緒戦の勝利に心から感動した。
しかしそれから3年から4年後つまり昭和19年から20年にかけて、太平洋における日本軍は物量に勝る米軍を率いるマッカーサー元帥の反攻に、玉砕に次ぐ玉砕を繰り返すに至った。それでも筆者は、太平洋の島々で相次いで玉砕した日本軍民の魂魄が、必ずや「神風」を吹かせ、米軍は太平洋の藻屑と化すと教える先生の言い分を信じていた。だから8月15日の「忍びがたきを忍び」という“玉音”放送は信じられなかった。無垢な少年を騙した「上御一人」(天皇)体制への不信が芽生えて当然である。ただ「これで死ななくても済む」という安堵感を感じたことも事実である。
「小国民」の呪縛から解放されたわれわれは、腹をすかせながらも戦後民主主義の“果実”を味わうことができた。とりわけ「主権在民」「平和主義」「基本的人権の尊重」を織り込んだ日本国憲法は、あれほどの犠牲を払った日本人がようやく獲得した宝物である。「軍隊は永久に持たない」「交戦権は放棄する」ことを誓った憲法9条は、まさに光り輝いて見えた。筆者たちに日本国憲法を教えてくれた新制中学の先生は、中国大陸から復員した旧陸軍一等兵だったが「これで日本は戦争をしない国になれた。お前たちは幸せ者だ」と語った言葉に実感がこもっていた。
筆者より2歳年長の石原だが、「小国民」教育に裏切られ、思春期に平和憲法を国を挙げて祝った体験を共有しているはずだ。それが80歳の今では「憲法破棄」を正面から掲げる右翼国家主義者となり果てた。「核兵器を持たない国家は一等国とはみなされない」とする核兵器への執着は、彼が自民党代議士として党内右派グループ「青嵐会」を結成した1970年代からの持論だ。「日本維新の会」代表として外国特派員協会の講演(11月20日)で「日本は核兵器のシミュレーションをやるべきで、それが(核)抑止力になる」と高言、だから(核兵器開発のために)日本は原発を絶対に維持すべきだというのである。
「原発推進論者」と自認する石原は、東京都知事に就任した翌年の2000年4月に開かれた日本原子力産業会議の大会で「完璧な管理技術を前提にすれば、東京湾に原子力発電所を造っても良いと考えている」と発言したほどだ。「3・11」の大災害を当初「天罰」とコメントした彼は、被災者など多数の国民からの抗議を受けて発言を撤回・謝罪したが、福島県の原発事故被災者に対する同情や支援の言葉は聞かれなかった。被災した福島県民にとって、東京電力福島第1、第2原発で発電された電力の大半が消費されてきた東京都、その東京都を代表する知事の態様を許せないという空気が広がるのは当然だ。
「大阪維新の会」から「日本維新の会」を立ち上げた橋下徹は、少なくとも今度の衆院選公示の前までは「脱原発」の旗を振っていた。ところが全国的に「維新の会」を盛り上げるためには「原発推進」の石原と組まざるを得ないと決意したのだろう。その結果、関西電力筆頭株主である大阪市を代表する橋下の「脱原発路線」は一挙に崩れ去った。石原と橋下の「野合」は橋下を当選させた大阪市民の期待を裏切った。
衆院解散・総選挙を控えて国政復帰宣言をした石原は11月13日、自民党の右寄り分派「たちあがれ日本」を「太陽の党」に改組して党首になったが、その僅か4日後の17日には「太陽の党」を解散、「日本維新の会」に合流した。石原も橋下も自民、民主に対抗する第3極を浮上させるには合流以外にないと判断したからだろう。「野合」を急いだために原発問題以外にも、橋下の「維新八策」と石原の方針とはかなりずれている。「日本維新の会」は「二本異心の怪」と改名すべきだ、などとからかう声もネット上で聞かれている。
石原は今年4月にワシントンに飛び、ネオコンの牙城「ヘリテージ財団」の講演で、尖閣諸島を東京都が買い取る計画を発表した。そこで彼は「占領憲法の破棄」「日本の核武装のシミュレーション」とセットで「尖閣購入」を表明した。東京都の尖閣購入計画は野田内閣の尖閣国有化に転化、これが中国側の怒りを爆発させた。大規模な反日デモが荒れまくっただけでなく、日中間の深刻な「政冷経冷」に至っている。ここまでは石原の狙い通りだ。しかし尖閣問題で不安を募らせた国民は9条改憲や核武装に耳を傾けるようになるはずだとの石原の期待には、16日の投票で鉄槌を下さなければならない。
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