「12・16/反革命」の開始 -総選挙結果に関するY君への手紙-
- 2012年 12月 20日
- 時代をみる
- 半澤健市反革命選挙
Y君
最近便りがありませんが如何お過ごしですか。
30代半ばの働き盛りで「年寄りの繰り言」には興味がなくなりましたか。
それとも個人的に難しい事情でも発生したのですか。たまにはウンとかスンとか言ってきて下さい。
《10年前の40歳差の出会い》
出会いは10年前と記憶しています。
貴君は一旦は社会人になったが、勉強をやり直そうと大学の法学部に入り直した。私は企業を定年退職後、数年の彷徨期を経て、大学院へ入った。日本近代史をアジアとの関連で学ぼうと考えたからです。貴君は法学部で資格でも取るのかと思ったら、ゼミは好きな歴史を取った。そこで我々は知り合った。指導教授は、学部ゼミでジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』とアンドルー・ゴードン編著『歴史としての戦後日本』をテキストにして輪読をやりました。高額な学費を払っている年金生活者である私は、あらゆる機会を逃すまいと学部ゼミにも出席した。60代後期の私と20代半ばの貴君という年齢差にもかかわらずよく話をしたものです。
中でも思い出すのは、「あの戦争になぜ反対しなかったのですか」という貴君の質問です。私はどう答えたかを記憶していません。「簡単には答えられない」と言って色々なケースを挙げ、「反対できなかった理由」を述べたような気がします。
15年戦争のどの時期なのか。インテリの場合と庶民の場合。左翼の洗礼を受けていたか。文科系か、理科系か。男か女か。若者か年寄りか。それらの要素の組み合わせから私が説明しました。人々が「同時代をどう生きたか」も問題になったと記憶します。そして、「今日」は「同時代の歴史」の一部である。「同時代者にだけに分かることがある。しかし同時代者には分からないことがある」などと偉そうなことを私は言いました。
《「12・16/反革命」の開始》
2012年12月16日。「そのこと」が起こった。
「そのこと」とは、「同時代者にだけに分かることがある。しかし同時代者には分からないことがある」として論ずるに値する重大事のことです。
それは何か。総選挙における「自民党」の地滑り的大勝利です。「日本維新の会」の躍進です。3年前の「政権交代」を覆して、自民党が294名の代議士を獲得した。「維新」は、民主党の57名に迫る54名の議席を得ました。
この驚くべき悲惨な結果を、私は「安倍・石原の12月16日」と呼ぶことにします。この事態をどう説明できるか。メディアは様々な「解説」をしています。「何もできない民主党は愛想をつかされた」、「受け皿としての第3極はまとまらず共倒れに」、「有権者は消去法でマシな自民党に投じた」、「小選挙区制度の弊害が出た」、などなどです。誤ってはいない。それぞれ尤もな説明だと思う。しかし現象の説明に過ぎない。歴史的含意については述べていない。
「驚くべき悲惨な結果」と見る私はこう解釈しています。これは「12/16反革命」進軍の開始である。なぜ「反革命」と大仰にいうのか。それは「国のかたち」を決めた憲法が変えられようとしているからです。
自民党総裁の安倍晋三、維新代表石原慎太郎は、憲法改正を叫んでいる。石原は「改正」どころか「即時廃棄」と言っていた。二人とも「戦後レジームからの脱却」を呼ばわっている。2013年7月の参院選までの間、安倍政権がヘマをやらず、再び自民・維新が大勝すれば、後世の歴史家はそれを「12/16反革命」と呼ぶでしょう。
公明党が反対しても憲法「改正」は可能です。
現憲法の民主的な条項は骨抜きにされる。詳しくは自民党の草案をご覧なさい。
自衛隊は「国防軍」となり米軍の完全な傭兵となるでしょう。「集団的自衛権」の行使に世界の裏側にまで展開することになる。石破茂が沖縄基地は将来県外へが理想と言いだした。それは沖縄の不屈の闘争に対して小出しに見せる「アメ」であり、日の丸をつけた「国防軍」のオスプレイが世界と日本国中を飛び回る「ムチ」と一体のものでしょう。
《後ろ向きの「戦後レジームからの脱却」》
「戦後レジームからの脱却」とは、本来なら対米従属からの脱却です。彼らは決してそれを言わない。総選挙勝利後に外交に関して発した安倍の第一声は「日米同盟」の強化でした。来年早々にも渡米して「参勤交代」を復活する。お土産にTPP交渉参加表明を持っていくとメディアは報道している。
安倍晋三の経済政策は、徹底したコンクリート消費的「バラマキ」―「バラマキ」は民主党攻撃のセリフだった―とヘリコプターマネー論的金融緩和を謳っている。インフレ・ターゲット論に名を借りた超インフレ造出による巨額な政府債務の帳消しを図っているのかも知れない。一方で社会保障に関しては、「自助・共助・公助」というレトリックで、弱肉強食の新自由主義を推進しようとしている。
要するに「安倍・石原の12月16日」は、「12/16反革命」の勃発の日、「極右政治家・大企業・官僚・メディア・学会」という「原子力ムラ・オールジャパン版」再構成のスタートを意味するのである。
以上が私の総選挙結果の分析です。おそらく貴君は、「なぜ戦争に反対しなかったのか」とのアナロジーで、「そんな悲観的な将来を、同時代者=有権者がなぜ選択したのか」という質問を発することでしょう。「メディア的解釈」が欠落していると問うことでしょう。
《有権者はなぜそんな選択をしたのか》
私の答えは次の通りです。
要するに有権者の失敗です。下品にいうと有権者がアホな選択をしたということです。「有権者がアホ」という批判は、タテマエ論からは言いづらい。政治家や優等生メディアは口が裂けても言えないでしょう。しかし、戦後レジームの核心である憲法が、「改正」されようとしているのです。東電福島第一原発の4号機が崩壊すれば日本は全滅するという危機にあるのです。それを見ずに、ナダレを打って自民党に政権を任せるのを、私は「愚行」としか言えない。
有権者は選挙の争点を自覚し得なかった。
世論調査での関心は「経済・景気」と「社会保障問題」がトップだった。憲法や原発の位置は低位でした。就業者の4割近くが「非正規雇用者」であり、円高で倒産寸前の中小企業が溢れ、商店街はシャッター通りとなった今の日本です。関心が経済に集中するのは涙が出るほどよくわかる。そこへ自民党の顔見知りが、インフレターゲット論を引っ提げて景気を良くすると街宣した。尖閣では、「シナ人」にバカにされるなと言った。「竹島」に上陸されて韓国にナメられていると言った。人々はこの強硬発言に共感した。本来なら共感せずに抑制すべき行為である。しかし鬱屈した日常に耐えかねた有権者は拍手を送り一瞬の解放感を味わった。
溺れる者は藁をも摑むという。自民党と維新は藁だったのか。それ以上のものだったと私は思う。有権者は母親の胎内へ回帰するような気分になったのではないか。自民党と維新はそれで大勝したのです。
《滝壺への距離・救済の可能性は》
手紙の最初の方で「同時代者にだけに分かることがある。しかし同時代者には分からないことがある」と書きました。私は自分では「分かる」と思ったことを書いたつもりです。しかし「分からないこともある」ことは自覚しています。ならば結果はいつ分かるのか。
滝壺の近い激流の上にいる。渦を巻き逆流しているような場所の上にいる。我々のいるのはそういう場所だと思います。反革命は粛々と進んでいる。救命ボートを投げなくてはいけない。それは届くのか。
Y君、ウンとかスンとか言ってきて下さい。貴君の意見を是非聞きたいのです。
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