安倍晋三と極右歴史修正主義者は、世界の敵である
- 2013年 1月 3日
- 時代をみる
- 安倍極右政権の危うさ成澤宗男
序章
日本軍による南京大虐殺が起きて75年を迎えた2012年の12月、この恐るべき事件を歴史の記憶に刻み、伝え継ぐことによって二度と日本が他国と戦火を交えず、東アジアの平和を生み出すための教訓としようと考えた少なからぬ日本人にとって、極めて大きな試練が課せられた。
同月16日に実施された総選挙の結果、前回の2009年8月の総選挙で敗北して野党に転落していた自由民主党が圧倒的多数を占め、再び政権の座に就いたのだ。しかも、首相に返り咲いたのは、極右歴史修正主義者の安倍晋三に他ならない。もはや、日本国内だけに留まらない段階となった。
なぜならこの自民党は、いまだ日本軍による加害の記憶が鮮明な中国や韓国、北朝鮮といった諸国に対し、この記憶自体があたかも歴史的に正確さを欠き、他国からの記憶の呼び起こしを求める隣国の声は不当な言いがかりであって、それに耳を傾けるのは「自虐的」と主張する歴史修正主義者の巣窟である。のみならず、自民党のこうした恥ずべき体質を最も雄弁に象徴するのが、安倍だからだ。
日本は1951年9月の対日講和条約の調印によって国際社会に復帰したが、日本から被害を受けたアジア諸国にとって前提とされたのは、日本が大日本帝国と決別し、自らの行為を加害者として隣国に心底から謝罪することであったはずだ。だが戦後のドイツ連邦共和国の出発点がナチズムとの決別とホロコーストへの謝罪であったのに反し、戦後日本の大半の時代を与党として君臨した自民党は常に歴史修正主義者の拠点であり続け、今もそれはまったく変わらない。
おそらく世界は、「ホロコーストはなかった」などと主張する政治家がドイツの首相に就任するという事態は想像しがたいだろう。だが南京大虐殺から75年たった現在、世界が目撃しているのは、日本の新首相が、今も南京大虐殺は「虚構」などと主張する歴史修正主義者の側に立つ政治家であるという驚くべき光景なのだ。
そのため、日本軍によっておびただしい数の人々が犠牲になり、その目撃者、体験者もまだ生存しているアジアの諸国民、そして北米を始めとしたアジア系コミュニティの人々は、この極右歴史修正主義者の首相に対し、「南京大虐殺は『虚構』だと考えているのか」、「日本が隣国を侵略したという歴史事実を認めるのか」と改めて質す正当な権利がある。
とりわけ韓国や北朝鮮、そして世界のコリアンにとっては、南京大虐殺と並んで大日本帝国が手を染めた最も残忍で恥ずべき犯罪の一つである従軍「慰安婦」について、「どのように認識しているのか」と安倍に質すことが急務である。なぜならこの首相は、今でも公教育の歴史の授業から、従軍「慰安婦」の既述を削除することに執着しているからだ。
このような人物が首相である限り、日本が国際社会復帰から61年が経とうとしている今日においても、改めてそこでの一員たりうる資格があるのか否かの正当性が根本的に問われるべきだろう。この作業の責務は、何よりもまず日本人が負う。同時に繰り返すようにアジアを始めとした世界の諸国民にとっては、そうした問いかけは正当な権利として与えられているはずだ。
1 安倍という政治家
安倍は、自民党の中でも特異な存在である。この男は、外務大臣など要職を歴任し、自民党の総裁候補者の一人でもあった父親・安倍晋太郎の七光りで1993年に初当選して以来、一貫して党内有数の極右修正主義者として行動することにより、現在の地位を勝ち得たといってよいからだ。以下、その経歴を列挙する。
・安倍は当選したばかりの1993年8月、自民党の「歴史・検討委員会」の委員となる。この「委員会」は右派の学者を招いて20回ほどの会合をもち、その検討内容をまとめて95年8月15日(日本の敗戦記念日)に『大東亜戦争の総括』なる本を出版する。そこでは、①「大東亜戦争」(アジア太平洋戦争)は侵略戦争ではなく、自存・自衛の戦争であり、アジア解放の戦争であった。② 南京大虐殺、「慰安婦」などの加害はデッチあげであり、日本は戦争犯罪を犯していない。加害責任もない。③ 教科書には、侵略や加害についてありもしない既述があり、新たな「教科書のたたかい」(教科書を『偏向している』と攻撃する)が必要である――と既述してあった。現在の安倍も、同じ認識である。
・敗戦から50年目の1995年8月に侵略戦争への反省が盛り込まれた国会決議が採択されようとしていた動きに反対し、「歴史・検討委員会」のメンバーを中心とした右派の「終戦50周年国会議員連盟」が1994年12月に結成された際、安倍は事務局長代理に抜擢される。この「議員連盟」は、神道系を中心とした極右宗教集団と連携して「終戦50周年国民運動実行委員会」を運営し、「日本は侵略国家ではなかった」「戦争に反省する決議には反対する」という主張を盛り込んだ決議を、全国26県議会、90市町村議会で可決させた。
・党内のこうした右派議員は1996年6月、歴史教科書への攻撃を狙った「明るい日本・国会議員連盟」を結成し、安倍は事務局長代理となる。さらに安倍は1997年2月に結成された同じ歴史教科書への攻撃に特化した「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(2004年に『日本の前途と歴史教育を考える議員の会』と改名)の事務局長となった。
・安倍は常にこうしたグループの先頭に立ち、「従軍『慰安婦』は売春婦」だとして歴史教科書からの従軍「慰安婦」や南京大虐殺の既述削除に向けて奔走する。教科書を検定する文部科学省の官僚のみならず、教科書会社の社長や教科書執筆者に対しても、侵略戦争や従軍「慰安婦」の既述が「わい曲されている」などと詰問し、削除するよう圧力をかけた。
・安倍が官房副長官だった2001年1月30日、日本の公共放送であるNHKが放映した番組「戦争をどう裁くか(2)問われる戦時性暴力」の制作に事前に介入し、従軍「慰安婦」を扱った箇所についてNHKの放送総局長に「ひどい内容だ」「公平で客観的な番組にするように」「それができないならやめてしまえ」と攻撃した。その結果、放映された番組の内容が大きく変更された。その中には、2000年12月に東京で開催された「女性国際戦犯法廷」の席上、日本軍による強姦や慰安婦制度が「人道に対する罪」を構成すると認定し、日本国と昭和天皇に責任があるとした部分の全面的カットが含まれる。
2 「河野談話」への攻撃
宮澤喜一首相時代の1993年8月4日、「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」(河野談話)が発表される。そこでは、官房長官の河野洋平が主に以下のような内容を述べていた。
「調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」
この河野談話に対し、同じ自民党ながら最も激しく攻撃したのが安倍であった。
・安倍は「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」とはかり、会合に河野を呼び、「確たる証拠もなく『強制性』を先方にもとめられるままに認めた」などと「談話」を攻撃したが、河野は屈しなかった。さらに安倍は1997年5月27日にも衆議院決算委員会で「従軍『慰安婦』は強制という側面がなければ(教科書に)特記する必要はない。この強制性については、まったくそれを検証する文書が出てきていない」と発言している。
・安倍は幹事長当時の2004年6月14日、「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が主催したシンポジウムの席上、「河野談話」を無視し、「従軍『慰安婦』という歴史的事実はなかった」と断言し、「文部科学省にも教科書改善(注=従軍『慰安婦』の記述削除)への働きかけを積極的に行っていく」と述べている。
3 首相時代の二枚舌
安倍は2006年9月26日、首相に選出される。だが、一国の代表としてそれ以前の極右歴史修正主義者の姿を貫くことは最初から無理があった。そのような姿勢は自民党、あるいは日本国内で通用はしても、到底国際社会では多大な嫌悪感と反発を招くのは明らかだった。特に安倍が醜態をさらしたのは、従軍「慰安婦」をめぐる問題であった。
・安倍は2006年10月4日、衆議院本会議で、河野談話について「政府の基本的立場は、河野談話を受け継いでいる」と答弁した。これに対し、安倍を支持していた右派勢力から批判があがったためか、2007年3月5日の参議院予算委員会で、「河野談話をこれからも継承していく」と述べながらも、「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性、狭義の強制性を裏付ける証言はなかった」などと答弁し、河野談話の「強制性」について修正が必要との考えを示唆した。
・米下院議会で2007年1月31日、「『慰安婦』問題で日本政府に対し謝罪を求める決議」案が民主党のマイク・ホンダ議員によって提出された際、安倍は「決議が採択されても謝罪するつもりはない」「慰安婦を日本軍兵士が拉致・強制したとの『狭義の強制性』の証拠はない」などと繰り返した。「河野談話」自体、政府の名において「従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」と「謝罪」しているにもかかわらずだ。しかも「強制」されたのでなく彼女たちがあたかも「自主的」に「日本軍兵士」の相手をしたと言わんばかりのこの発言は、米国の『ニューヨーク・タイムズ』や『ロサンゼルス・タイムズ』、『ボストン・グローブ』といった各紙に批判された。
・このためか、結局安倍は外国(特に欧米)の目を最後まで無視するわけにはいかなかったようだ。英BBCは2007年4月27日、訪米した安倍がブッシュ大統領とキャンプデービッドで会談した際、「極めて痛ましい状況に慰安婦の方々が強制的に置かれたことについて大変申し訳なく思う(I feel deeply sorry that they were forced to be placed in such extremely painful situations.)」と発言したと報じている。また、米『ニューズウィーク』4月30日号は、訪米に先立って安倍をインタビューした記事を掲載したが、安倍は「私たちは、戦時下の環境において、従軍慰安婦として苦難や苦痛を受けることを強制された方々に責任を感じている(We feel responsible for having forced these women to go through that hardship and pain as comfort women under the circumstances at the time.)」と発言している。ここでは「強制性」を明らかに認めており、二枚舌と批判されても仕方なかった。
4 再び牙をむく
安倍は2007年9月12日、国会での所信表明演説を行った直後、各党の代表質問を受ける当日になって突然政権を投げ出し、辞任するという前代未聞の醜態を演じた。世論から「無責任」との批判が浴びせられるが、何ごとも忘れやすい国民の性格に助けられて2012年9月26日、再び自民党の総裁に選出される。その前後から、前の首相時代に保守派や右翼を失望させた「失敗した歴史修正主義者」の汚名を挽回するかのように、再び極右的言動を強めていく。
・名古屋市長の河村たかしが2月20日、中国共産党南京市委員会の幹部と面会した際、「いわゆる南京事件はなかったのではないか」と語り大きな問題になった。これに対して右翼勢力は3月6日、東京都内で「『河村発言』支持・『南京虐殺』の虚構を撃つ」と題した「緊急国民集会」を開いたが、安倍はそこに「河村支持」のメッセージを送った。さらに同年8月3日と9月24日には、右翼勢力の「機関紙」ともいえる『産経新聞』に「河村たかし名古屋市長の「南京」発言を支持する意見広告」が掲載されたが、安倍は主な「呼びかけ人」の一人となっている。
・2012年8月28日付の『産経新聞』で、安倍は首相時代に自身が「引き継いでいく」と明言したはずの「河野談話」について、また一転して「(自民党が与党に復帰すれば)見直しをする必要がある。新たな政府見解を出すべきだろう」と発言した。しかも「見直し」の対象は、①1982年8月26日に、宮澤喜一官房長官が、教科書の検定にあたっては「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」を定めると発表した「宮澤談話」=「近隣諸国条項」②敗戦から50年経った1995年8月15日、村山富市首相が発表した「談話」の二つも含まれる。
この「村山談話」には、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と記されている。なおこの「村山談話」についても安倍は前首相時代、「政府の認識」だと答弁していた。
・なお、安倍新内閣の菅義偉官房長官は12月27日の記者会見で、「河野談話」について「学者や専門家の研究が行われている。そうした検討を重ねることが望ましい」と見直しを示唆した。前首相時代に一度は実質的に認めた従軍「慰安婦」の「強制性」を、また蒸し返す可能性が高い。菅官房長官はこの会見で「村山談話」については、「歴代内閣の立場を引き継ぐ考えだ」と述べたが、その3日後の12月30日、安倍は産経新聞の単独インタビューに答え、「村山談話は、社会党の首相である村山富市首相が出された談話だ。21世紀にふさわしい未来志向の談話を発出したい」と言っている。安倍は「村山談話」が発表された当時、これに攻撃を加え、前首相時代には「引き継ぐ」と変えながら、首相を辞めた後に「見直す」と公言した。また首相に返り咲いたと思ったら一週間も経たないうちに「引き継ぐ」と「見直す」との矛盾したメッセージを世に対して送っている。
・2012年4月10日、自民党本部で党の「文部科学部会」と「日本の前途と歴史教育を考える議員連盟」の合同会議が開かれた。そこでは文部科学省の担当者が呼ばれ、高校の教科書検定について報告したが、安倍は従軍「慰安婦」の記述について「動員された」「かりだされた」とする記述があると非難し、「自分は総理のときに、『いわゆる従軍慰安婦の強制連行はなかった』と国会で答弁したが、一体、いつ変更したのか?なぜ(政府答弁を)無視するのか?」と詰問し、また「強制性」を問題にした。安倍によれば、従軍「慰安婦」について記述すると、「常識からかけ離れた教科書」(2011年5月10日に都内で開かれた右翼の集会での発言)なのだという。なおこの席では、自民党議員たちは、「中学校の教科書から従軍『慰安婦』の記述が削除されたのに、高校の教科書に記載されている」との批判が相次いだ。
なお、この「『いわゆる従軍慰安婦の強制連行はなかった』と国会で答弁したが、一体、いつ変更したのか」という安倍の主張はおかしい。安倍が示しているのは前首相時代、辻元清美衆院議員の質問書に対する2007年3月16日の閣議決定をへた答弁書のことだ。ここでは「河野談話」について、「政府の基本的立場は、官房長官談話を継承している」と言明している。
「河野談話」では、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」「その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と、その「強制性」を認めている。
安倍首相時代の2007年の答弁書では、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」と述べているが、特に「河野談話」と食い違っているわけではない。なぜなら、「河野談話」を取りまとめた当時の 石原信雄官房副長官は、次のように認めているからだ。
「結局私どもは通達とか指令とかという文書的なもの、強制性を立証するような物的証拠は結局見つけられなかったのですが、実際に慰安婦とされた人たち16人のヒヤリングの結果は、どう考えても、これは作り話じゃない、本人がその意に反して慰安婦にされたことは間違いないということになりましたので」、「調査団の報告をベースにして政府として強制性があったと認定したわけです」(アジア女性基金オーラルヒストリー・プロジェクトの聞き取りより、2006年3月7日)。
したがって安倍が今になって、教科書に「動員された」「かりだされた」という記述があるのを怒るのは不思議である。「資料」ではなく、従軍「慰安婦」にされた女性自身の聞き取りからそのような記述は裏付けられているのであって、何もおかしくはない。「変更」などなかったのは、安倍自身も含め歴代内閣が「河野談話」を「継承」すると宣言しているからだ。安倍は、わずか5年前の自分の行為の意味もわからないほど愚かなのか。
・安倍は2012年12月26日、新内閣の閣僚を発表したが、19人の閣僚中、これまで一貫して教科書から従軍「慰安婦」や南京大虐殺の記述を削除させる策動を続けてきた「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」のメンバーが約半数の9人加わっている。さらに、神道勢力を中核とする日本最大の右翼団体である「日本会議」と連携している「日本会議国会議員懇談会」に加盟する閣僚が、安倍も含めて実に13人もいる。安倍新内閣の極右的性格を雄弁に示している。
・安倍が任命した新閣僚で、最も警戒を要する一人は文部科学大臣の下村博文である。この男は「日本会議国会議員懇談会」の幹事長であり、極右歴史修正主義者として安倍と共に「教科書攻撃」を一貫して続けてきた。安倍が再び自民党の総裁に選任された直後に新設した「教育再生実行本部」の本部長であり、今回の総選挙に際し、①自虐史観に基づく偏向教育の中止②「宮澤談話」による科書検定での「近隣諸国条項」の廃止③愛国教育の強化――といった党の「教育に関する公約」を作成した。下村氏は、日本の侵略の歴史を認めたり、反省することが「自虐史観」だと主張している。今後、日本の歴史教科書の記述がどのように改悪されるか、国内外での注視が必要であろう。
5 世界が今後日本を警戒すべき理由
安倍は新首相になって再び、日本国内で極右歴史修正主義者として振る舞いながら、米国に出向くと「大変申し訳なく思う」とか「責任を感じている」などと口にする二枚舌を使うつもりなのか。日本国民ならず全世界の人々は、それを決して許すべきではない。
安倍は2012年8月28日、テレビに出演し、「河野談話をそのまま維持すれば韓国と真の友好関係を結べない」という趣旨の発言をした。だが、韓国の人々にとってみれば、安倍のような人物が首相となり、あるいは「有力政治家」でいられ、さらには自民党のような恥を知らない徒党が支配的である限りは、日本に対して永遠に「真の友好関係」を築けるとは考えないだろう。これは韓国のみならず、アジア、ひいては全世界の国々にとっても同様のはずだ。
改めて繰り返す。安倍のような極右歴史修正主義者たちが権力の頂点を握った日本が今問われているのは、国際社会の一角を占める正当な資格があるのか否かである。
下村は2012年10月3日、アパホテルチェーンのオーナーとの会談で、「前回の安倍政権が掲げた『戦後レジームからの脱却』は、東京裁判史観や河野談話、村山談話など日本の近現代史の全てを見直すということです」と述べている。この「東京裁判史観」とは、安倍や下村など極右歴史修正主義者がよく口にするが、要するに日本を侵略国家として裁いた1946年5月3日から1948年11月12日まで開廷された極東軍事裁判は勝者による裁きであり、日本を侵略国家として裁いたのは認め難いという主張が前提にある。
だが対日講和条約は第11条で「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾」する(Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan)と規定している。この「戦争犯罪」は、言うまでもなく中国を始めとしたアジア諸国への侵
略を指す。
安倍や下村が「東京裁判史観」を「見直す」ならば、論理的に考えると政府としてこの裁判の無効を宣言し、同時に日本との講和条約に署名した世界48ヵ国に破棄を通告しなくてはならなくなる。それがいかに非現実的で愚かなことか、安倍に象徴される日本の極右歴史修正主義者は理解できないらしい。
彼らは侵略の事実を頑として認めようとせず、「自存・自衛の戦争」と居直り、その事実を認めることは「自虐史観」と非難するのだ。しかも教科書を通じ従軍「慰安婦」や南京大虐殺の事実を教えることに対しても、執拗に妨害し続けている。このような勢力が再び権力を握ったことは、日本の民主主義と国際上の信頼性にとって大きな脅威である。同時にそれは、アジアを始めとした国際社会への挑戦なのだ。
この極右歴史修正主義者の挑戦に対し、世界は反撃すると共に、安倍が一歩国外に出たならば、現地で抗議行動が取り組まれ、開催されるだろう記者会見で報道関係者が上記に記した事実を確認する質問を提出することを強く望む。それは、安倍が国際的視野からすればいかに自身が恥知らずで、卑劣な存在であるかを思い知らせるための最も有効な方策となるだろう。
安倍に象徴される日本の極右歴史修正主義者は、ドイツのネオナチと同様に、自国民のみならず世界にとっても共通の敵なのだ。
初出: 「Peace Philosophy」2013.01.02 より許可を得て転載。
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2013/01/muneo-narusawa-shinzo-abe-far-rightist.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye2141:20130103〕
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